【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.8「ハヤマとイタリアと」
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僕は平成12年頃に中古車屋のニイチャンを1年くらいやっていた。
ある月曜日の朝。商談中で押さえてあったトヨタ・イプサムが見送られた為、僕は商談を希望する二番手に順番がきたことを電話で伝える。相手の名前はマルコ。外国人である。
「ワカリマシタ、アシタ伺いマス」
そう言って彼は電話を切った。本当に来るのだろうか。異国の地でなんのツテも紹介もなく、知らない店に飛び込み中古車を買うのだろうか。
その日のお昼時。僕は狭い事務所のデスクで、出前で届いていた細切り肉丼の大盛りを頬張る。月曜の昼は仕事も一段落してホッと一息できる。というのは、週末の来店や商談をこなし、その事務処理や整備で預かったクルマ、下取り車の移動や入庫を終えるタイミングだからだ。僕はそんなタイミングに細切り肉丼を頬張るのが月曜日のお気に入りの過ごし方だった。だから、完全に油断していた。
「コンニチワ?」
マルコが突然来店したのだ。
「あれ、明日じゃなかったでしたっけ?」
「ハイ、そうですね。んー、でも今日来ました。困りマスか?」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
マルコは商談テーブルの椅子に座ると、どーぞどーぞと言って、僕に細切り肉丼を続けて食べろと促した。僕はコーヒーを出して、食べ終わるまで雑談しながら待ってもらうことにした。
「どうして明日じゃなくて今日来たの?」と訊いてみた。
「ニホン人はイタリア人のコト、時間にルーズだと思ってるデショ。ニホン人は約束より早めに来て待ってる。ダカラ、今日来た」
イタリア人が時間にルーズで、いい加減なイメージは確かにある。僕はこの時、93年型ランチア・テーマに乗っていて、その作りの雑なところや、どうしようもない故障の数々から、イタリア人の気質はおおよそ察しているつもりだった。でもマルコはそんな日本で、評判を覆したい、郷に入っては郷に従いたい。そんな気持ちで「明日」ではなく「今日」に来たようだ。僕は微笑ましい行き違いに思わずマルコと笑い合った。
「イプサムね、僕の田舎でも走ってマス」
イプサムは「ピクニック」という名で欧州販売されていた。どこかで聞いた逸話だが、ルノーが大量に買い込んで研究し、その結果「メガーヌ・セニック」という名作を作り上げたとか。日本におけるミニバンのベストセラーは欧州でも肯定的に捉えられているのだろう。
「日本車が買いたいんですか?」
「そうデスね。やっぱり、その国の酒がイチバン美味しいのと同じデス」
マルコはイタリアにあるワイナリーと日本の貿易会社の間を調整するコーディネーターを仕事としていた。日本の酒が好きかと訊いたら、新潟の日本酒の銘柄に始まり、八甲田山の麓で飲んだ地酒が最高だったという。そして今は宮崎の焼酎がお気に入りで、そんな日本の酒の話を延々30分は語ってくれた。マルコは自分で各地に足を運び、日本の酒を知る旅をしていた。また、酒だけでなく、あらゆる日本の文化に精通していることも窺われた。マルコが今乗っているホンダ・トゥデイの94年型は既に25万kmだという。
「すごいなあ、僕より日本に詳しいよ!」
「そう? 好きなモノには目がないネ。イタリア人は好きなモノをどんどん追いかけマス。そこがニホン人と違うとこデス」
なんだか、わかるような気がした。
彼がイプサムを欲しがる理由はひとつ。子供が生まれたからだ。やはりどこの家庭も事情は同じようだ。マルコは大したメンテナンスもせずに25万kmも走ったトゥデイを手放すのは寂しいようだが、オデッセイはちょっと大きすぎて車庫に入らないと言った。
僕はやっと細切り肉丼を平らげ、気合を入れてイプサムの説明に入る。ワンオーナー、禁煙、7500km、138万円だ。
「マエダサン、これはもう新車だから、何も言わなくて充分デス。ワカッテルよ。でもネ...」
どうも彼はイプサムの隣に先週から展示し始めたばかりのカローラが気になったようだ。
「コレはどういうことデスか?」
そこにはマジックで僕が下手くそな文字で書いた「5VALVE」があった。
「ああ、コレはね。カローラだけど、少しエンジンパワーがあるモデルということです」
「何CC? 何馬力? ミッションは? 最高速は?」
マルコから矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
「1600cc、5バルブDOHC、165馬力、6段マニュアル、最高速はたぶん200キロくらいだけど、リミッターがついているから180キロまでかな」
「何デスかそれは! ニホンにはそういうクレイジーなクルマがあるんデスカ? ただのパパが乗るクルマにしか見えないヨぉ!」
大分興奮しているようだ。感心した表情を隠さないマルコの興味の対象は確実にカローラに移ってしまった。1997年登録の走行6000km、禁煙、ワンオーナー。元のオーナーはクラウンを所有するセカンドカー出身の自社管理物件。値段はイプサムと同じ138万円で出している。マルコはAE111型カローラGT20バルブのキーをひねり、試乗へ出ることにした。
流石だと思ったのは、マルコの運転がバツグンに上手いことだった。ややトルクの細い4A-Gのゼロ発進時のスムーズなクラッチワークに始まり、ギアの上げ下げのテンポ。エンジンを吹かすタイミング。エンジンを歌わせるアクセルワークの巧さ。トヨタツインカムが、まるでアルファツインカムのように気持ちよく歌っている。しかも、今日初めて出会って、今タイヤを転がし始めたばかりなのに。
彼の運転を見てわかるのは、アクセルを踏みつけていないことだ。アクセルを撫でるかのように扱っている。それはハンドルもブレーキも然り。それで充分に速く、エンジンは楽しげに歌っている。クルマのアクセルを踏みつけ、エンジンが頑張っているのを感じるのがドライビングの喜びだと思っている人もいるが、彼の運転はクルマと同調しながらクルマと共に楽しんでいる。そう見えた。
「やっぱり運転が上手なんだね」
「イタリアでは運転が上手くないと彼女デキないよ」
やっぱりそうなのか。店に戻ろうと道案内をすると、マルコは寄りたいところがあるという。
「三浦藤沢信用金庫は近くにありマスか?」
「ああ、この辺にはないですね、お金下ろすの?」
「このクルマのお金、振り込みマス」
「それなら別の日でもいいですよ」
「でも、こんなアルファロメオでも作らないようなクルマ、モタモタしてたら誰かが買ってしまうね」
「大丈夫。今日は少しだけお金を払っていただいて、残りを明日にでも振り込みしてもらえれば、このクルマは他の人には勧めません」
「わかった、アリガトウ」
書類を作成しながら、僕が93年型ランチア・テーマに5年以上乗っていたこと、僕の弟は最新型のフィアット・プントを買ったばかりのことを話した。
「ケイスケ、そういうコトはもっと早く言ってヨ!今夜はワインを開けマスから葉山にある僕の家に来て。ヨリコ(彼の妻)のゴハンは最高だからネ。もちろんゲストルームもちゃんとあるヨ」
彼の流暢な日本語のおしゃべりで商談は半日仕事となり、既に閉店時間を迎えそうになっていた。後ろで見ていた社長が言う。
「マエダは明日休みだったな。今夜はご馳走になったらどうだ? ランチアでお送りしてさしあげなさい。明日は帰りがけに葉山警察に車庫証明の提出な」
シフトでは、明日は休みではない。
夜の横浜横須賀道路を5速2800回転で走るランチア・テーマ。マルコは妻のヨリコさんに「トモダチを連れて行く」と電話をすると少し遠い目をして「この道、アウトストラーダA3に似ている」と言った。逗子インターを降りて逗葉新道で100円を支払い、森戸を抜けて御用邸のちょっと手前の山側に入ったところにマルコの自宅はあった。こぢんまりとした古民家風の日本建築で、中はキレイにリフォームされており、檜の香りがほのかに感じられた。たしかに間口は狭く、テーマも2回の切り返しでやっと進入できた。ピーコックグリーンのトゥデイが停まっている。ヨリコさんはまだ三ヶ月の赤ちゃんを抱きながら玄関で迎えてくれた。
「突然、押しかけまして、すみません」
「今日はちょうど佐島の港でタコと鯛の良いのを仕入れてきたから」
どうやらナイスタイミングでお邪魔したようだ。
僕はマルコと赤ちゃんをあやしながらヨリコさんの手料理を待つ。その間もマルコのおしゃべりは止まらない。89年サンマリノグランプリを見に行った帰りに、突然道に飛び出してきた野犬を避けようとしたら、360度スピンして死ぬかと思ったけど、どこにもぶつからずそのまま走って帰った「どうだ、ナイジェル・マンセルみたいだろ?」なんていう嘘だかホントだかわからないような武勇伝をいくつも繰り出した。
どうやらF1の話も通じるみたいだ。どのドライバーが好きかと訊くと「一番速いのはアイルトン・セナだが、心情的にはナイジェル・マンセルだ」と答え、イタリア人ドライバーは?と訊けば「フェラーリだってイタリア人を使わない、今はそういう時代だ」と言った。僕は「92年ドイツGPのセナとパトレーゼのバトルは気に入っているよ、パトレーゼのアタックは素晴らしかった」と言うと、マルコは「いいところに目をつけているな」と首をたてにふって頷いていた。
最初に運ばれてきた料理は鯛のカルパッチョ。これに白ワインが開けられた。その次はあさり蒸しが来て、パスタはペペロンチーノだったが、これがバツグンだった。ここでマルコが少し改まって切り出す。
「ワインはオイシイか?ニホン人の好き嫌いで言って欲しい」
マルコは日本人の舌に自分たちのワインがどうなのか気がかりなのだ。僕はワインのことは何も知らないと伝えた上で、持てる語彙の限りを尽くしてインプレッションした。
「この白ワインは、まるで桜の花が咲く季節のような華やかでフルーティな味わいがあり、なめらかだけど少しシャープ、エレガントな飲み心地がとてもいい」
「そうか、じゃあ今度はコッチを飲んでみろ」
マルコは骨付き子羊肉のソテーと一緒に別の「赤」を開けた。
「こっちは正直に言うけどエンピツみたいな味だね。でも不思議とこの渋みが料理に合っている」
「ケイスケ、オマエはソムリエになれる!」
よくわからないが、僕は悪くないインプレッションをしたようだ。彼の運転からも感じたが、イタリア人はまず自分が楽しむ方法を熟知しているようだ。そして他人を楽しませるアンテナの鋭さは格別だ。きっと、そういう人種なのだとこの時改めて思った。
僕は目をこすりながら「オハヨウ」と起きると、マルコは起きたばかりのようで、ヨリコさんは朝食の準備をしていた。今朝は和食のようだ。
「ケイスケ、ゴハンを食べたら、みんなで海岸を散歩しよう」
なんだか不思議な気分だ。マルコは僕から日本人のど真ん中ともいうべきトヨタ・カローラを買い、僕はイタリア人のど真ん中とも言うべきランチア・テーマに乗り、横横はアウトストラーダに似ていて、三浦の地魚を使ったイタリアンとイタリアワインで歓待を受け、そして僕らは意気投合し、友達になった。砂浜を歩きながらマルコは言った。
「ココは僕の田舎の景色を思い出すネ」
僕は外国へ旅行したことがない。世界のいろんな考え方、文化、習慣の「違い」に接することで、もっとわかり合えるなら、とても豊かな気持ちになれるのだろう。
それから数年後。マルコは彼の活躍により立ち上がった日本法人で重役となり出世した。すっかり成功を収めたかのようにも見えたが、リーマンショックで業績が悪化し、彼の会社は日本から撤退した。そして同時にマルコは家族を連れてイタリアに帰った。彼との最後のメールには「実家でワイナリーになります」と書いてあった。
2018年の春。僕は14年ぶりにイタリア車を持つことに決めた。総額50万円程のボロいヤツだ。外装はガサガサで、エンジンのアンダーカバーも酷く、普段自分では選ばないタイプの中古車だ。でも、ボロいのに不思議と僕にはそれがなんだか格好よく輝いて見える。エンジンは楽しげに歌い上げ、自分らしくイキイキとしているように見えた。
そんな時ふと、マルコは今頃どうしているだろうと思い出す。
(文章:前田恵祐/イラスト:田中むねよし)
【この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません】
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