【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.7「あの時やり残したこと」
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初代セルシオはメルセデスやBMW、ジャガー等をうならせるほどの素晴らしい出来で、それがイヤだった。それよりも、ちょっとくらい商品力が落ちてもインフィニティQ45のあのアウトローな感じの方が僕にはしっくりきた。直球より変化球の方が僕には合っている。
僕は平成12年頃に中古車屋のニイチャンを1年くらいやっていた。中古車店に雇ってもらってから店の主力商品であるセルシオに実際に触れてみると、じつに完成度が高く、しかも日本人のどこか控えめで清らかな精神にそっと寄り添う、そんな奥ゆかしさが感じられる出来にはとても感心させられた。欧州車と比べて走りの良さもあり、これはこれでひとつのキャラクターになっている。特に2代目後期、UCF20系セルシオは自信を持ってお客様にお勧めできる。そう思った。
しかし、僕には売れなかった。
2000年当時、20セルシオのビカモノ(内外装ともに極上の物件)の中古車を買いに来るお客様と、今セルシオを買いに来るタイプのお客様というのは全然違った。2000年の前半までは20セルシオはかろうじて現行モデルだったから、新車の20セルシオと比較する人も少なくなかったし、この年の後半に登場する30セルシオが肥大化するという噂を聞いて、こちらを選ぶというタイプの方もいた。
そして最も特徴的なのは、シビアで厳しいお客様が非常に多かったということだ。シッカリとした社会的地位と肩書きがあり、僕としては避けているわけじゃないのに商談をまとめられないタイプのお客様。そういう厳しい方々のお車をお世話できるようになって、初めてクルマ屋としては一人前だ。僕はそういう意味ではずっと半人前だったかもしれない。
セルシオの商談で最初にお相手したのは、市役所にお勤めの係長、市川さんだった。
市川さんは草野球の帰りに泥だらけのユニフォームを着替えもせずに、10セルシオの革シートにシートエプロンをかけて僕らの店にやってきた。10セルシオはとても綺麗に磨かれた黒の後期型で、純正16インチ、マルチなしのB仕様、聞けば屋内保管だという。雨上がりだったので、洗車をしてさしあげた。
市川さんの年齢は30歳代後半。ご両親と同居で、地元では代々続く農家の土地持ち。身分がしっかりされた方である。喋ってみればとても物腰の柔らかい方で、いつもニコニコしている。しかし、セルシオの抜け目のない完成度に強い思い入れがあり、次もセルシオなのは必然という感じだった。
僕がお勧めしたのは、1年落ち99年モノ、B仕様eRバージョンのホワイトパールツートン。内装は黒本革ばかりのeRバージョンとしては珍しいベージュ本革。走行5000kmを538万円で出している極上ワンオーナー車だ。エアサスは避けたいと言われるお客様も多く、そんな方々にはヨーロッパ仕様の足廻りを持つeRバージョンはひとつの付加価値として、非常に魅力的な仕様と捉えていた。
ナンバー付なので、eRバージョンを試乗する。10後期よりずっとシッカリした足廻りと、正確性の高いハンドル、静粛性、明るいベージュインテリアなど、すっかりお気に入りのようで、店に帰るとすぐにローンの審査となった。ローン会社も多額の頭金やお客様の身の上の確かさなどから、二つ返事で審査を通過し、正式に契約書をお作りした。しかし、市川さんはハンコを押さずに「一度持ち帰らせてください」と言ってその日は帰られた。どうしても両親の承諾が必要だというのだ。
市川さんのお父様は地元の名士でクラウンが長く、今はメルセデスのSに乗っている。その息子である市川さんはセルシオに乗り、市役所に勤務。絵に描いたような「堅い」家柄を想像させる。こちらとしても絶対に間違ったモノはお渡しできない。ユーザー仕入れだが、その元のオーナーは我々を通じて新車を購入している。いわゆる「自社管理物件」。もちろんディーラー整備・保証継承で納車する。無事故・実メーターは僕たちの合言葉だ。文句のつけようもないはずだ。
両親があまり色好い反応ではないという。クルマなんていい大人なら自分で決めて、自由に買えるものだと僕は思い込んでいた。しかし、彼の家ではそうではないようだ。やはり厳しい家柄なのだろう。
ご両親曰く「いい年になって、親のすねをかじって、しかも、セルシオなんていう高価なクルマを乗り回して、草野球にかまけるなんて、どういうつもりだ」とのこと。
市川さんご本人はというと、それに反発もせずに、どうしたものかと悩んでいる様子だった。僕はその様子にどうも違和感があった。
彼は市川家の跡取りである。今は市役所勤務だが、いずれ実家を継ぐのだろう。そのために実家住まいをしている。だが、そんな息子の行動を過剰に規制し、抑圧するのはどうかと思った。厳しくシッカリとした人間に育て上げたいと思うのは親心かもしれないが、クルマくらい好きにさせてあげてほしい。そう思った。
「分かりました、市川様。お待ちしますから、十分にご家族で検討いただければと思います」
そう申し上げて電話を切った。
しかし、片耳をそばだてて聞いていた僕の指導役の社長は不満げだった。僕らが提案しているクルマは良質で間違いはない。社長は続けて僕を諭すように忠告してくれた。
自分の好きなクルマがそばにある喜び。
自分が人生を切り開く開放感。
彼にはそれを知ってもらう必要があるのではないのか。
それが彼にとっての成長ではないのか。
殻を破るキッカケではないのか。
押しが弱いとか、条件面が悪いとか、そういうことではない。クルマを手に入れる「意味」をきちんと提案できていない。社長は僕にそう話してくれた。
たしかに、思い返してみれば、市川さんは少し優しすぎるところがある。悪く言えば優柔不断なタイプだ。そういう人は、なかなか自分で自分のことを決められない。ましてや発言力のある実家の両親のもとで暮らしていると、影響も受けるだろう。できる営業というのは商談中や試乗中に、そのようなことを察してトークに盛り込んでいくものだが、僕はまだ出来ていなかった。そういうことだった。
「やっぱり今回は」と切り出す市川さん。この期に及んで僕は昨日、社長から言われたことを思い出しながら食い下がってみる。しかし、もう後の祭り。家族会議は紛糾し、「どうしても買うなら勘当だ」とまで言われたらしい。そんな家ならさっさと見切りをつけて家を出ればいいじゃないですか、と僕は喉元まで出かかったが、それは言えなかった。こうして僕の最初のセルシオ商談はあっけなく終了した。
さらに、その後。
セルシオは店の主力だったから、僕は何度も商談に臨んだ。お医者さん、税理士さん、警察官僚、大手企業の重役、などなど。本当に地位の高い人たちが買い求める国産最高のクルマだった。僕よりずっとズボラな先輩のオカダくんでさえ、バンバン売れるセルシオなのに、僕は連戦連敗だ。新車に持っていかれることもあったし、見積もりを見て首をかしげられて終わったこともあった。でも、それらはあの時の市川さんとの商談がうまくいかなかった記憶、トラウマに囚われていたためかもしれない。
僕はセルシオを一台も売れなかった、という一件を今でも時々思い出す。そして、その度に「クルマって一体何だろう?」と繰り返し自問する。
2000年当時のセルシオはたしかに高級車だ。自分への喜びだけでなく、自分の周囲や家族、社会に対する影響というものも小さくない買い物なのだろう。その意味で、セルシオ、高級車というのは非常に自由にままならない商品なのかもしれない。家族の目、会社の目、世間の目。そうした、無言の抑圧の中で、当時の高級車オーナーは生きているのだろう。そして、僕はといえば、そういう人生とは真逆の自由な生き方を好む人間だ。今思えば、まるでソリがあわないタイプのお客様であったことは確かだった。
クルマというのは自由の象徴のようなものなのに。
人生観の象徴でさえある。
でも、彼らにも僕には想像できない心地よさや喜びがあったのだろう。そんな彼らの心理を当時の僕が咀嚼し、理解に及んでいたら、それは無敵のトップセールスになれたのかもしれない。そして、その後の僕の人生さえも大きく違っていたのかもしれない。それだけが今も悔やまれる。
(文章:前田恵祐/イラスト:田中むねよし)
【この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません】
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