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【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.9「エンドウさん」

【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.9「エンドウさん」

巡り合い

これまで、いろんな仕事に就き、いろんな人と巡り合い、そして同僚にも恵まれてきた。ありきたりだが、僕にとってはそこから学び得た人生訓は大きな財産であると思う。

僕は平成12年頃に中古車屋のニイチャンを1年くらいやっていた。そこの社長のエンドウさんも僕に貴重な体験を与えてくれたひとりだった。

とある日。僕は大手銀行の重役、狭山さんに帝国ホテルの貸オフィスに呼ばれ、手に汗握りながら700万円のベンツの商談に挑んでいた。慣れない相手に極度の緊張もあったが、それも無事に成約に至り、ホッと胸をなでおろしながら桜田通を南進し帰路に就いた。そうだ、社長だ。社長に報告だ。チョット路駐させていただき、携帯電話の淡い光を頼りにダイアルする。

「ああマエダさ、帰りにお客さんトコ寄って来てほしいんだわ。来週の登録間に合わなくてさ、謄本受け取ってきて欲しいの」

電話の向こうは忙しそうだ。僕の報告を聞くのもそこそこに、社長からはそのような指示が。お安い御用だ。少し道は混んでいるが、下道で帰ればいい。

エンドウさんによると「目黒通りから入ったトコでお店開いている人で、そのお店に行けば従業員の方に書類を預けてあるらしいから」とのこと。

言われた住所に行くと、先程まで手に汗握る緊張の商談を終え、成約済のメルセデス・ベンツの車内にまで香ばしい良い匂いが漂っていくる。その店はどう考えても焼肉店だった。

スーツだから匂いがついたらイヤだな

そう思いながら入店すると、隠れ家的な高級店のようだ。黒服の店員さんが落ち着いた声で僕を案内してくれる。言われるまま店の奥に入っていくと、間接照明がどんどん薄暗くなり怪しげな雰囲気を醸し出している。その先にある個室では、まだ夕方だというのにドアの外まで溢れんばかりに盛り上がっている。なんと、僕はその個室に通されたのだ。

「おーーー、マエダお疲れ!」
「成立オメデトー!」

なんだ、エンドウさんも来ていたのか。いや、事務のオネエさんの磯見さんや、先輩オカダくん、洗車の清水さん。なんだ、みんないるじゃないか。呆気にとられる僕にニヤニヤしながらエンドウさんが言う。

「今日はマエダが苦労して商談を成立させてくれた。だから俺からのちょっとしたお祝いな。あーお兄さん、特上ハラミと特上カルビ、人数分追加よろしく!あ、あと人参!マエダの好物だからな!」

エンドウさんはこういう男なのである。僕は会社に入ってこの半年近く、今回の狭山さんのように社会的地位のあるお客様をお相手できずにいた。僕にはそういうスキルがなかったのだ。媚びてもいけない。高飛車でもいけない。適切な知識や教養を求められるエリートビジネスマンは顧客リストの中に何人もいたが、僕はそういう人たちとの商談はからっきしダメだった。この日、帝国ホテルでの商談でベンツを買ってくれた狭山さんはその初めてのお客様だった。こうした方を満足にお相手できるようになって、初めて営業は一人前。エンドウさんはずっとそう言い続けていたし、僕にはそれがプレッシャーと感じていたことを、エンドウさんはよくわかっていた。

エンドウさんの愛車はハイエースだ。1984年式くらいのスーパーGL。足回りがいつもドロドロなのは、エンドウさんの得意先の多くが、中小建設業の経営者や監督といった人々だったことと無関係ではない。店ではビカモンのセルシオやベンツ、BMを展示しながら、日々の肉体労働に身を粉にし、額に汗しながら必死に働いている得意先にエンドウさんはどこか強いシンパシーを感じていた。だから積極的に現場に出向いては若い衆のクルマも丁寧に世話をしていた。

「やっぱ、現場にビカモンのセルシオで行くわけには行かねぇよな、マエダ」

だからハイエースなのだ。でも、エリート系顧客のもとにこの車で参上しても平気らしい。それは離れた場所の有料駐車場などに止めてしまうから、そもそも見られることがあまりない。もし、見られても「タイヤ運搬用なんですよ」と誤魔化すだけだ。それに「薄利」を印象づけられるのも一石二鳥だという。

2台の携帯

エンドウさんはエリート顧客向けと建設系の顧客向けに、携帯電話を2台使い分けていた。そして84年型ハイエースにも早々にハンズフリーキットを導入した。

「あー、常務!お世話さまっす!セレクトのエンドウっす!ところで常務、昨日の府中のヨンパチ獲ったの?え、獲った?本当!?アンタも危ねえ橋渡るなぁ、はははは!」

そんな会話が終わり、その次の会話では。

「セレクトのエンドウでございます、いつも大変お世話になっております。先だってのメルセデスケア継承の件でございますね?明日にでも弊社の従業員を向かわせます。ただ、お車を一旦お預かりして宜しいでしょうか?では18時に新宿ということで」

といった、二重人格のようなキャラクラーの切り替えの巧さ。そして彼にはその時々に「ウソ」がない。エンドウさんのような社長がいなければ、この中古車屋は草の根的に信用と評判を高めることはなかったのかもしれない。

エンドウさんはクルマに対する眼力の鋭さも並々ならぬものがあった。他店で無事故と査定されたものを、微妙なサブフレームの歪みと左右ヘッドライトの劣化具合の違い、左右フェンダインナーのシーリングの違いなどから、エンドウさんは事故車と判定した。無事故、実メーター、メーカー保証継承納車をうたっているカーセンターセレクトは彼の眼力によるとこは多々あった。

ある日。僕はY32型日産グロリア、平成7年式グランツーリスモS2 限定車を見たいというお客様をお相手した。下取りナシ。年齢は50歳くらい。身奇麗な紳士といった印象。限定装備のBBS鍛造アルミホイール、リアスポイラー、車体はソリッド黒の屋内保管。程度は例によって極上。それを158万円で出していた。お客様は実車をロクに見もせず「即金」で買うというのだ。商談もスムーズ、あっけなく押印まで辿り着く。でも、念の為に試乗に出かけてもらった。そこでエンドウさんに呼び止められる。

「マエダさ、あのお客さん、なんでいまY32なのかっていうお話、できているか?」
「いえ、そうなる前に契約の話になりまして」
「いや、そこは突っ込んだほうがいいな、俺はそう思う」

「下取りナシ」で、年齢50の紳士がY32グロリアを購入する。その背景が僕には確かによく見えていなかった。普通は乗り継いできたクルマがある。車を買う所作も手馴れている。初心者でないことくらいはすぐにわかる。何か事情があるのではないのか、というのがエンドウさんの読みだった。

試乗から戻ったお客様

僕はそれとなく世間話の延長として、今まで乗ってこられたクルマについて伺うことにした。

すると、免許を取ったのは子供が出来てからの30歳代で、スカイラインやBMWなどに乗り、初代オデッセイはかなり気に入っておられた様子がわかった。やはり僕の「商談力」がまだまだ及んでいないことを痛感した。

更に聞けば、今乗っているのは買ったばかりのエルグランドだという。息子さんも大学に上がり、家族でワンランク大きいクルマで旅行でもしたいと思っていたのだ。

ところが、車庫に入らないという。いや、現実には入るのだが、免許を取ったばかりの息子さんには間口が狭すぎて、クルマで出かけるたび、帰ってくるたびにお父様である彼に助けを呼ぶのだという。

「それに、Y32グラツーのこの限定車、スカイラインに乗っていた頃に憧れていましてね」

Y32グロリア購入の動機だった。

そこで僕は疑問をぶつける。

「そのエルグランドはどうされました?」
「ああ、まだありますよ」
「ご処分されるのですか?」
「こういうのって買取専門店の方が、条件いいでしょう?」
「いやいや、ぜひ私どもに査定だけでも、させていただけませんか?きっとご期待にお応えできると思います」
「え?そうなの?」

ハッスル物件

下取りは条件が不利と思っている人は多い。しかし、必ずしもそうでもない。クルマの購入に際して、下取りがある場合、新しいクルマを買う店に相談するのが早道であることも少なくない。これには諸説あるが僕なりの結論だ。ディーラーで新車を買うときの下取りに限れば、会社の中で相場が厳格に決まっているが、中古車を買う場合の下取りはやや事情が異なる。

まず、店にとって買っていただくクルマには既に利幅があり、そこに新たに下取り車という利益の調整幅が加わると、条件提示もかなりフレキシブルになる。とくに自社販売が可能なら、中間経費は抑えられるので、そのまま下取り額にも反映しやすい。そして場合によっては期待を超える取引条件にお客様は満足し、店側もウハウハになる、いわゆる「Win-Win」の取引に発展する可能性がある。もちろん、これは店の経営状況、下取り車のコンディション、店がどれだけの下取り車を現金化する販路を持っているか、などの条件によるところもある。

後日、相模原にあるお客様のご自宅に伺うと、なんと、新車での納車半年、走行300kmのエルグランド・ハイウェイスターが止まっている。家の車庫に止めにくかったというが、車体に傷は一切無く、禁煙車。これならウチで売れる。いわゆるハッスル物件、Win-Winのパターンた。僕はその場で下取り金額を提示し、お客様は驚嘆の声を上げていた

エンドウさんは、お客様が商談時に下取りの話しをしない理由と背景を見抜いていたのだ。今の僕なら、そういったことに気づけるかもしれないが、当時20代半ばの僕には、このような洞察を即座に発揮する能力がなかった。査定から帰るとエンドウさんが待っていた。

「な?言っただろ、ははは」

気付きを与えてくれた出会い

僕は先輩や年長者の言うことにあまり耳を傾けずに生きて来た。しかし、僕のこの考え方が大きく改まった原因を考えると、この時のエンドウさんとのエピソードに必ず辿り着く。やはり僕の人生には、この仕事とエンドウさんとの出会いが必要不可欠だったのだ。それが身にしみて分かる。

普段の僕なら、お客様が機嫌よく即金で、しかも大した値引きもなく契約ができたら、それだけで「ああ、ハッピーハッピー」で終わる。だから、この一件は僕の未熟な自己満足が仕事の可能性をフイにしてしまう怖さと、当時の至らなさを痛感する出来事だった。

エンドウさんとの出会いは、僕にそういった気付きを与えてくれる出会いだった。もちろん車の知識が深まるだけでなく、この中古車屋での接客を通じて、日々それらを糧にすることができた。今思えば大変貴重な時間だった。

エンドウさんは「今日はもう遅いから、また明日な」といって、ハイエースをガラガラ言わせながら僕より一足先に会社を出た。

翌年、僕は退職した

理由は色々ある。若気の至りだ。退職届を提出したその夜、エンドウさんは相当荒れたらしい。代行にハイエースを運転させてベロベロになるまで酔っ払って帰ってきたという。

「俺はな、マエダ。お前を一人前に育てたとはまだ思わねえ。だけど、お前はかならず、モノになる」僕を送り出すエンドウさんの悔しそうなあの顔が忘れられない。

僕はこの中古車屋でトップセールスだった。13ヶ月居て105台を売った。先輩のオカダ君に成績で抜かれたことは数える程だ。

後年。エンドウさんは店を畳んだと聞いた。中古車販売の販路や流通の形態が大きく変化し、エンドウさんのような、個人経営に近い中古車店は商売がやりにくくなったのだ。

話を聞いた時には既に団地のポストからも彼の表札は消えていた。

いかにも彼らしい引き際だと思った。

(文章:前田恵祐/イラスト:田中むねよし)

【この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません】

vol.8 ハヤマとイタリアと

あとがき

このシリーズは、平成12年頃に実際に中古車店で売り子をしていた著者が実体験した接客や人間関係をベースに書き上げたフィクション作品となり、今回が最終話です。お読みいただきありがとうございました。(前田恵祐)

編集部より:このクルマ小説シリーズの著者である前田恵祐さんは、闘病生活の末、2018年5月18日(金)に永眠されました。1話から8話までの原稿はご本人のブログで既に掲載していた内容を編集部で再編集したものとなります。また、今回の最終話は亡くなる2週間前にご本人の希望により、新たに書き起こした原稿となります。謹んでご冥福をお祈りします。(カービュー!編集部)

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