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ポルシェミュージアムへ 圧巻の歴史が一望に

このアルミ無垢ボディは何なのだ?

シュツットガルトを訪れるのは三度目だ。前回は90年代だったから、覚えているのは断片だけ。現地入りした翌日の日曜日にSバーン(都市近郊鉄道)に乗って出掛けると、ポルシェプラッツ駅の真ん前に威容を誇るその建物はあった。

地図から勝手に想像していた田園が広がるイメージとは違って、ツッフェンハウゼンのポルシェAG本社と工場が間近にデンと控える周囲は、のどかさとはほど遠い密度の濃さ。そりゃそうだろう。考えてみれば当然の景観なのだった。

メルセデスベンツ博物館もそうだが、ドイツ人のここぞという建築のデザインに賭けるエネルギーは半端じゃない。電車で訪れても、クルマでやって来ても(地下駐車場完備)、度肝を抜く威容とデザイン感覚に目を奪われ、外観を写真に収めようと夢中になるだろう。

エントランスでポルシェジャパンに紹介されていた広報担当のディエター・グロスさんに来訪を告げ、挨拶もそこそこに長いエスカレーターで2フロアの展示スペースを目指した。上り切った前掛かりの目にまず飛び込んで来たのは、アルミ叩き出しと思われる無垢のホワイトボディである。

なんとなくポルシェ? 直観的に感じられるそれは、1939年のベルリン~ローマ間1300kmレース参戦のために開発されたタイプ64。一般には「Berlin・Roma・Wagen」の名で親しまれる、現在のポルシェ911のルーツとなるフェルディナンド・ポルシェ博士(1875~1951)のオリジナルだった。

ポルシェ通なら当然頭に入っている常識の範疇だろうが、残念ながら僕は知らなかった。この展示を見なければ、それこそが国民車(フォルクスワーゲン)ビートルをベースに開発されたポルシェスポーツカーの原型だという歴史的事実を学ぶこともなかったかも。

ベルリン・ローマレースは、当時枢軸同盟を結んでいたドイツとイタリアの親交と国威発揚を目的に企画されたが、寸前で第二次世界大戦の戦端が開かれたことで中止となった。3台生産されたタイプ64が初期の目的を果たすことはなかったが、ポルシェ博士はこのクルマを日常的に使うことで後のポルシェ356につながるデータを蓄積したという。

アルミボディは54kgと軽く、空力的洗練を窺わせる流線型は45psの1.1リッターエンジンで150km/hの巡行が可能。テストフィールドは当時完成したアウトバーンだったという。ポルシェAGの設立は大戦を挟んだ9年後の1948年(本田技研工業創業と同年!)だが、現代的なスポーツカーとしての成功はそれより前に約束されていたことになる。ストーリーとデザインとクォリティ。優れたブランドに欠かせない条件は常に不変だ。

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