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日本試乗フィアット500論 これはクルマじゃない!?

“ハイファイ指向”がすべてじゃない!

というわけでBMWミニを知った今、冷静に見てしまうと物凄い感動というほどではない。意地悪く考えると、既存のコンポーネンツを使ったお手軽商品の域を出てないとは思う。だが、ふと、こうも思うのだ。日頃、最新のクルマばかりみてる私たちは、つい、なんでも新しくて進化したものばかりがいいと思いがちだが、それは本当に正しいのかと。

言わば“ハイファイ指向”。軽量、高品質、高機能、高速処理スピードを有り難がる考え方だが、それがすべてではないし、そもそも私のように現行パンダに乗った後でフィアット500に乗る人なんてほとんどいないはずだし、そもそも旧型フィアット500なんてマンガでしか見たことない人もいる。

となるとこのフィアット500は、単純に見た目かわいく、走って楽しい、最新コンパクトカーに違いないのだ。しかもブランド大国、イタリア直送品!(工場はポーランドだが…)

だいたいこのクルマのキャラクター化は、メーカー側としてはいつでもできたのに、敢えてやらなかったフシがある。なにしろVWビートルにしろ、旧型フィアット500にしろ、その懐かしいデザインで復刻版を出せば、ある程度売れるのはわかっていたはずなのだ。なぜならば旧型500は、イタリア戦後復興の立役者であり、家族愛の象徴である。イタリア経済がいまひとつであり、家族の絆が薄れつつある現在、復刻版が出ればそれは単なるクルマ以上のものとして受け入れられる。実際、現在イタリアで新型500は、家族愛を深めるものとして買われているそうだ。

ではなぜメーカーは発売後50年経つまでそれをやらなかったのか。それはおそらくメーカーとしてのプライドである。特に世界的にデザイン力に誇りを持っているイタリア人としては、安直な昔の焼き直しのようなデザインを嫌ったのだろう。事実、フィアットは91年に「500」ではなく、「チンクエチェント」という名前の全く違うデザインのコンパクトカーを出している。名前は昔のイメージを使ったが、全く新しいチャレンジをしたのだ。だが、残念ながら新型500ほどは話題にならなかった。

要するにこの“クルマのキャラクター化”という現象は、ユーザー主導のクルマ作りにほかならないのである。メーカーのプライドなど関係ない。ユーザーは“こういうものが欲しい”のである。自動車産業も100年を超え、やっとこういう時代がやってきたのだ。言わば歌手の沢田研二が、長年のオキテを破り、昔のヒットソングを歌うようなものだ。

つまり、大衆がフィアット500を求めたのである。

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