サイトトップへ

サイト
トップへ


現在位置: carview! > 編集記事 > コラム > いまや伝説の国産メーカー「プリンス自動車」を知っているか?

ここから本文です

いまや伝説の国産メーカー「プリンス自動車」を知っているか?

いまや伝説の国産メーカー「プリンス自動車」を知っているか?

プリンス・スカイラインGT S54A-1型

プリンス自動車はどんなメーカーだったのか?

プリンス自動車は1966年に正式に日産に吸収合併されるが、その前身となる「富士精密工業」は、戦後、GHQによって軍需産業の「中島飛行機」と「立川飛行機」という2つの航空機メーカーが解体された後、紆余曲折を経て誕生した企業のひとつだ。そのためプリンス自動車は、戦闘機を作った中島飛行機のDNAを中心に、爆撃機を作った立川飛行機も併せて受け継ぐことになった。そんなプリンス自動車のエンジニアが強者揃いだったことは容易に想像できる。ちなみに「プリンス」という社名の由来は、富士精密工業の乗用車を当時の皇太子(現在の天皇陛下)がお乗りになったことから来ている。

同社を代表するエンジン設計者の一人であり、中島飛行機で戦闘機のエンジンを開発していた故・中川良一さんにインタビューしたことがあったが、プリンス自動車が海外メーカーと提携しなかった理由を「人のモノマネはしない」と語っていたのを今でも覚えている。プリンスは最後の最後まで独自で先進的な技術を探求する技術集団だった。まだヨチヨチ歩きの他の日本メーカーは外資と提携して技術を磨いたが、プリンス自動車だけはオールジャパンを貫いたのだ。

オートモビル カウンシル 2016で展示されていたレーシングカーの「プリンス R380」はブラバムのシャシーを使うが、GR8型エンジンと車体はプリンス自動車がオリジナルで設計した。戦後わずか20年という今考えても驚異的な短期間での偉業であり、同時にGR8型エンジンをベースに市販化したS20型エンジンを搭載した箱スカ(プリンス スカイラインGT-R)も生み出したのだ。

今思い返してみると、日産に合併されたことでプリンス自動車のエンジニア魂の火が消えてしまったことは、今日に至る日本の自動車産業にとって悲運だったのではないだろうか。プリンス自動車のDNAを正当なビジネスに導ける指導者がいたら、日本からポルシェやBMWのような自動車メーカーが育っていたはずだ、そう私は思っている。

【こちらもオススメ】
歴代スカイラインなど伝説の名車を展示。日産、プリンス合併50年

コメントの使い方

みんなのコメント

ログインしてコメントを書く

査定を依頼する

メーカー
モデル
年式
走行距離

おすすめのニュース

サイトトップへ

あわせて読みたい

サイトトップへ

ログイン

中古車探しをもっと便利に

  • 中古車お気に入り管理
  • おすすめ中古車の表示

あなたにおすすめのサービス

メーカー
モデル
年式
走行距離

関連サービス

メールマガジン メールマガジン