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【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.6「先生は全てお見通し」

【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.6「先生は全てお見通し」

僕は登校拒否児だった

今でこそ広く知られるようになったが、30年前の登校拒否というのはまるで精神的な病気のように扱われ、臭い物には蓋をするように、誰もが関わり合いたくない、避けて通りたい、そんな対応をする大人が多かった。当時、登校拒否児だった僕にはそう感じた。

仕事の面接では「どうして中学しか出ていないの?」と、僕が中卒であることについて誰も触れようとはしなかった。それが僕を孤立させる。世間とのズレの象徴だった。横浜の中古車店「カーセンターセレクト」の社長との面接で特徴的だったのは「差し支えなければだけど、なにかあったの?」と触れてくれたことだ。僕は直感でこの人の下でなら、やっていけるかもしれないという感触があった。素直に理由を答えた僕に社長は「わかった、じゃあ、キミの力を貸してください」と言った。

心のしこり、汚点、とまでは言わないが、僕はなにか過去を引きずりながら生きてきた気がする。でも人にはあまり話さなかったし、当然お客様には関係がないことだ。だから僕は「スカッと爽やか」な営業マンとして仕事を楽しむことにしていた。

電話の第一声はとてもユニークだった

平成12年11月、電話が鳴った。

「あのぉ、外国車ってやっぱり、お金かかりますか? 壊れるんでしょうか?」

「そうですねえ、たしかに国産車より故障はありますが、今は保証制度も充実していまして、弊社の取り扱い車種は全てインポーターにより付帯された保証を継承できる優良商品ばかりです」

少し噛み砕いてご説明したのは、この50歳代前後と思われるご婦人はあまりクルマに詳しくないと想像できる口ぶりだったからだ。でも、こうした慎重なお客様にこそ、足元を見ることなく、誠実に対応することを大切にしている。

「峯岸と申します。今度のお休みの日にお邪魔してもよろしいかしら? 銀色のベンツを見たいと思っているの」

「もちろんでございます。C200セダンでございますね」

次の週末。峯岸さんが乗ってきたのは昭和59年式の三菱ギャランシグマのターボ車だった。

「これはね、私が教務主任になった年に買ったクルマなの」と言って、ニッコリ笑った峯岸さんは先生だった。聞けば現在横浜市内の小学校で副校長をしているという。小柄だが背筋がピンと張っていて、明るく爽やかな笑顔。でも怒らせたら怖そうな先生だと思った。こちらも少し背筋が伸びる。ベテラン教諭特有のオーラがあり、ふとチョークのニオイを思い出した。

「先生、ターボ付きにお乗りなんですね!」

「これでよく主人の実家の岐阜まで行ってきたわ。でもその主人もね、半年前に”お先に失礼”してしまったの」

ご主人を病気で亡くされたばかりのようだ。しかし、峯岸先生は毎日子供達と接していると悲しみなんか吹っ飛んでしまうといってニコニコしている。あぁ、この先生は本当に教職というものに愛着があって、まさに天職なのだろう。このベテラン教諭を前に、元登校拒否児の僕はどうも足がすくんでしまう気がした。

あら、私が欲しいのは、コレじゃないのよ

98年型メルセデスベンツC200セダン、ワンオーナー禁煙、走行9000km、メルセデスケア付きのこのクルマをピカピカに磨き上げて準備していたら、あっさりとコレは違うと言われてしまった。

「屋根が自動で畳み込まれるオープンカーで・・・あぁ、この348万円の・・・」

先生が指し示す先にあったのは、SLK230コンプレッサーだった。99年モデル、ワンオーナー禁煙の5000km走行、もちろんメルセデスケア付き。コレでしたか・・・

「わたしに似合わないかしら? これで学校に行ったら、みんな、なんて言うかしらね?」

そう訊ねてくる時点で多くの場合は既に答えが出ている。自分で似合うと思っているし、だから実物を見に来ているのだ。このクルマに乗って児童たちの視線を浴びながら登校する姿や、東名を流している姿が先生の頭の中では既に出来上がっている。僕はそう思った。

しかし、先生は見積もりだけを持ってその日は帰ってしまった。そして社長のダメ出しが入る。

「オマエ、先生だって判って遠慮してんだろ? オマエの誠意がちゃんと伝わってねえよ、ニガテ意識丸出しだぞ!」

C200セダンだと思っていたら、SLKがお目当てだとは出鼻をくじかれた。というのは表向きの言い訳だったが、社長の眼はごまかせない。

電話で攻めるしかない

僕は放課後や帰宅時刻を狙って電話で攻めることにした。お休みの日を狙ったら電話の向こうがワイワイガヤガヤしている。文化祭の仮装コンテストに出場するらしく「モー娘の矢口真里に変装しているのよ!」と言われガチャ切りされた。電話の度に値段や条件の話になるのだが、結局はぐらかされる。これは無理そうだな、と思ったクリスマス前のこと。

「そう、わかったわ。じゃあ明日、買いに行きますから」

「えぇ???本当ですか!?」 となったのは僕も社長も同じだった。あの諦めの悪い社長もこりゃダメだと思っていたようだが、先生は突如買いに来てくれることになった。オークションに出さなくてよかった。なぜなら、またとない上玉のSLKだからだ。

「前田さんの粘り勝ちね」

ニッコリ笑って、先生は開口一番そう言った。粘ったつもりはないが、既に思い入れもお持ちで、このクルマと共に在るご自分の姿も描いている。そのお手伝いがしたくて電話の度にお話しし続けた。じつは先生はヤナセの認定中古車も見に行かれていたようだったが、曰く、

「ヤナセなら間違いないし、正直、向こうのほうが条件も良かったの。でも、あなたから買いたいと思ったのよ」

「ベテランの先生に、そう仰っていただけて光栄です」

「ベテランは余計よ、ふふふ。でも、教師は公正に人を評価するのも仕事なのよ」

「いやぁ、峯岸先生のような先生にもっと早くに出会っていたら・・・」

先生は全てお見通し

「あなた、学校、行ってなかったでしょう?」

「え!?どうしてわかるんですか!?」

もしかしたら僕の名前は横浜市教育委員会の中で、指導に難渋した生徒として知れ渡っているのだろうか。ゾッとしながら契約書の支度をする手のひらにジワリと汗がにじむ。

「やっぱり、そうよね?わかりますとも、ベテランですからね、ふふふ」

先生には全てお見通しだった。すごい眼力だ。

「そういう子は特有の目をしているから。不登校の子はみんなそう。悩んでいるけど、とても真っ直ぐな目をしているわね。でも、あなたがこうして立派に社会人として活躍している姿は、きっと悩んでいる子たちにとって希望の光になるわ。自信を持ちなさい」

つまり、僕が登校拒否、不登校だったから、僕からSLKを買うことにしたというのだ。まさか登校拒否がベテラン教師を口説き落とす「武器」になろうとは予想外のことだった。

契約書の内訳は車両本体価格に正規の諸費用を加え、下取りのシグマターボに10万円をつけて、合計額から千円以下の端数をカットする内容で提示した。自信ある商品。清廉潔白な明瞭価格。何も恥じることはない。何も引け目を感じることはない。正々堂々、社会人として胸を張り、誇りと矜持を持ち職務にあたる。それが先生が与えてくださった「評価」に対する僕からの回答だと思ったからだ。

「そうよ。それでよろしい!」

先生はそう言うと、ニッコリ笑って契約書に判をついた。

なんだか作文にハナマルをもらったような気分だ。

先生は石原裕次郎の大ファン

契約締結後ではあったが、試乗に出かけることになった。出発前、寒いのにSLKのセールスポイントのバリオルーフを開ける。

「わぁー、ステキじゃない、裕さんのベンツみたい!うちの人も裕次郎っていうのよ!」

なるほど、先生は石原裕次郎の大ファン。毎年命日には総持寺をお参りするそうだ。試乗から戻ると、先程のやりとりを後ろで聞いていた社長が突然切り出す。

「先生、実はうちの娘、最近学校に行きたがらなくて困っているんです」

すると、、、

「なに言ってるの!アンタは典型的な非行少年の顔ね。学校に行きたくない理由なんて、アンタが一番わかってるでしょ!困ったら前田さんに相談なさい!」

社長は先生に一蹴されてしまった。でも、そう言われても僕からのアドバイスなんてあったものじゃない。僕の親と同じように、放っておくのが一番、好きなことをさせるのが一番、僕からはそれぐらいのことしか言えない。

僕が初めて学校に行かなくなった1988年1月から30年が経過した。レールを逸脱した僕の人生はキツいワインディングロードさながらだったかもしれない。その間、様々な出会いがあり、そうした中で励まされ、力を貸していただき、ここまでやってきた。そういう30年だった。でも、実際に地面を踏みしめ、ステアリングを握り、諦めずにスロットルを煽り続けたのは誰あろう、自分自身だと自信を持って言える。

そう思い至らしめてくれるのは、きっと峯岸先生との出会いがあったからだろう。今はそんな気がしてならない。

(文章:前田恵祐/イラスト:田中むねよし)

【この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません】

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