スーパーカーより希少 かつての名車の現存数は
英国のDVLA(運転免許庁)の統計によると、現在英国で走行可能な状態にあるマクラーレン720Sは約600台だ。ランボルギーニ・ウルスは800台。フェラーリF430の派生は1000台近くある。つまり、英国では1970年代、80年代、90年代の大衆車よりも、これらの「エキゾチックカー(スーパーカー)」を目にする機会が多いのだ。
【画像】みんなに愛された英国の大衆車【オースチン・アレグロ、マキシ、メトロを写真でじっくり見る】 全75枚
そこで今回は、数多く販売された人気車種でありながら、今やほとんど見かけることのなくなった希少なクルマを取り上げたい。クラシックカーが文化として根付き、古いクルマを大事に扱うイメージのある英国でも、かつての名車は確実に数を減らしつつある。
現存するクラシックカーやレトロカーに関するDVLAの統計データは、時として信頼性に欠けることがある。本稿で記載する現存数は、あくまで英国で課税対象となる車両を数えた値であるため、大まかな目安として見てほしい。英国では長期間使用しない車両をSORNとして申請できるので、関連する場合はそちらも参照する。
オースチン・アレグロ:269台が現存(英国)
オースチン・アレグロのような悪名高いクルマでさえ、生存率は低い。この数字には、威厳のあるグリルを備えた豪華なバンデンプラ版も含まれている。しかし、SORNに登録されているアレグロも多数あるので、完全に消えてしまうわけではないだろう。
オースチン・マキシ:119台
オースチン・マキシは、英国自動車産業の失敗の象徴のようなクルマである。後輪駆動の古臭いセダンが主流だった時代に、現代的で広々とした前輪駆動のハッチバックとして登場し、世界を席巻するはずだった。しかし、ブリティッシュ・レイランドの製造品質がそれを阻んだ。
オースチン/MGメトロ:395台
オースチン・メトロは、「世界に誇れる英国車」という約束のもと、そのPRに応えるに十分な性能を備えていた。見事な広告キャンペーンにより、英国民は愛国心の波に押し流され、ダイアナ元妃との関係も害を与えることはなかった。1991年に改良型のローバー・メトロが登場するまで、約150万台が生産された。
オースチン/MG/ローバー・モンテゴ:111台
モンテゴ単体では、良いクルマだった。しかし、競合他社がもっと優れたライバル車を製造していたため、「史上最も速いMG」と謳われたモンテゴ・ターボでさえ、末期の衰退を防ぐことはできなかった。1994年に生産終了している。
クライスラー/ヒルマン/タルボ・アベンジャー:335台
1970年に発売されたヒルマン・アベンジャーは、クライスラーの管理下で開発された最初のルーツ・グループ車であった。実際、1976年のフェイスリフトでクライスラー・アベンジャーとなり、その後クライスラー・ヨーロッパの崩壊に伴い、タルボとして姿を消した。フォード・エスコートやコルチナに代わる、希少で興味深い存在である。
シトロエンAX:354台
シトロエンAXの生産台数は、1986年から1999年にかけて250万台に達する。積極的な販売戦術と鋭い価格設定により、一時期は英国の道路でよく見かけられたが、現在では目にすることができれば幸運と言えるレベルだろう。サクソも同じように衰退の一途をたどっているのではないだろうか。
シトロエンBX:251台
1982年から1994年まで合計230万台が生産された、シトロエンのもう1つの大ヒット商品。シトロエンは広告でマルチェロ・ガンディーニ氏に言及し、「ランボルギーニのデザイナーはどうやってランボルギーニにたどり着くのか」と問いかけた。さらに重要なのは、質素なディーゼル車の投入により、シトロエンが収益性の高いビジネスユースに参入したことである。
シトロエンGS/GSA:84台
1971年の欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したシトロエンGSは、1970年代で最も技術的に進歩したクルマの1つである。モーリス・マリーナのような平凡なクルマに代わる注目の存在であり、ハッチバックのGSAの登場により、その有用性はさらに高まった。生産台数は190万台。
ダットサン/日産ブルーバード:244台
ブルーバードの強みは、そのオールラウンドな能力にあった。目立つ特徴はないものの、信頼性、快適性、燃費の良さが評価され、英国内のビジネスユーザーやタクシー運転手にとって最適なクルマとなっていた。また、日産のタイン・アンド・ウェア州サンダーランド工場で製造された最初のモデルでもある。
ダットサン/日産100A/チェリー:51台
ダットサン・チェリー(英国では100A)は、日本から上陸した初期のスーパーミニの1つである。この時代の日本車は機械的な信頼性が売りで、故障する欧州車を尻目に、朝にはちゃんとエンジンがかかる。それでも現在はほとんど残っていない。
フィアット126:233台
今回紹介している他のクルマたちと同様に、フィアット126も1990年代に衰退期を迎え、価格は底をつき、錆が多くの車両を腐らせていった。1970年代には、最もベーシックなミニよりも安価だったこともあり、人気を博した。ヌオーヴァ500ほど象徴的なモデルではないが、欧州ではカルト的な人気を博している。
フィアット・ウーノ:172台
プジョー205ほど美しくはないが、フィアット・ウーノが現代のスーパーミニを形成する上で果たした役割は大きい。1984年には欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、205を2位に追いやった。24台が現存するウーノ・ターボはマニア垂涎のモデルだが、ウーノ自体を見る機会があれば、それはそれでラッキーだと思う。
フォード・コルチナ:4673台
印象に薄いかもしれないが、フォード・コルチナは英国で約260万台も販売されたのである。コルチナは長年にわたり、ファミリーカーや社用車として親しまれ、しばしば模倣の対象となったが、滅多に負けることはなかった。1982年に最後の1台が製造されたが、1987年まで売れ残ったものもある。そのうちの288台は、ロータス・コルチナという貴重な派生モデルである。
フォード・オリオン:320台
リアワイパーを備えたセダンがお好きなら、フォード・オリオンMk3がおすすめだ。ハッチバックやステーションワゴンに比べると使い勝手は劣るが、リアワイパーは雨の中でバックするときに便利だ。……AUTOCARの記事でこんなことを紹介するとは思わなかったが。
フォード・プローブ:275台
フォードは1997年に生産を終了するまでに、英国で1万5000台のプローブを販売したが、年間2万台の目標には遠く及ばず、残念な結果に終わっている。マツダMX-6(日本名:カペラ)とプラットフォームを共有し、米国で生産されたプローブは、カプリの精神的後継車となることはできなかったのだ。見た目も走りも良かっただけに残念だ。
フォード・シエラ/サファイア:2465台
1982年に登場したフォード・シエラは、今となっては当たり前の存在だが、当時は別世界から現れたような存在だった。コルチナのオーナーを説得し、「ゼリー型」と呼ばれる斬新なファミリーカーに乗り換えさせるという難題を課したが、当初は苦戦したものの、すぐに軌道に乗った。パフォーマンス仕様やサーキットでの活躍も、その成功を支えるものとなった。
FSO:32台
FSO(Fabryka Samochodow Osobowych:ポーランド語で「乗用車工場」の意)は、1948年に設立されたポーランドの自動車および部品メーカーである。1965年にポルスキ・フィアットブランドで自動車製造を開始し、1978年に125pベース、ジウジアーロデザインのポロネーズが登場した。
ヒョンデ・ポニー:10台
ポニーはヒョンデ(現代自動車)にとって初めての量産・輸出車であり、英国で販売した最初のモデルであった。オースチン・モーリス出身のジョージ・ターンブル氏を開発に、ジョルジェット・ジウジアーロ氏をデザインに起用し、三菱とフォードの部品を使用してポニーを作り上げた。シンプルだがうまくできていて、英国での韓国車販売の始まりとなった。
キア・プライド:35台
ヒョンデの英国初導入から、兄弟ブランドであるキアに目を向ける。プライドはマツダ121をベースにしており、当時は7年保証などない時代であったが、フォード・フィエスタやオペル/ヴォグゾール・コルサを下回る価格で、キアの足場を固めるのに貢献した。
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