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【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.3「そして夜は更けていった」

【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.3「そして夜は更けていった」

音信不通だった電話

平成12年頃に勤めていた中古車屋時代の話である。僕が中古車屋に就職して半年位したある日のこと、仕事中に携帯電話が鳴った。見覚えのない着信番号に恐る恐る出てみると、聞き慣れたちょっと酒灼けしているあの人の声がして仕事の手が止まった。

「あー、ケースケさん!高柳、タカヤナギ!覚えてる?」

高柳さんとは、僕が中卒から働き始めた最初の職場で出会った印刷会社のオジさんで、お世話になっていた。社会の右も左もわからない僕に、紺色のスーツをバリッと着こなし、七三にセットされた白髪がトレードマークの仕事人だった高柳さん。僕のようなヒヨッコにもちゃんと礼を尽くしてくださって、初めて名刺交換をさせていただいた方でもある。忘れるはずもない。

僕が勤めた最初の職場はというと、芝居小屋みたいなところで、まだネットもなかった時代に郵便のダイレクトメールをバンバン打って、常連客を掴み、芝居のチケットやグッズ、ビデオなんかを売る仕事をしていた。だから、印刷会社の部長さんだった高柳さんとは切っても切れない間柄だった。でも、そんな高柳さんも僕が転職しようかと迷っていた頃、僕よりも一足先に会社をリタイアし、風の噂では自分で何かの商売を始めた、みたいなことを聞いていたが、音信不通だった。

久々に再会したクラウン

そんな高柳さんから久々の電話に懐かしい思いがした。どこから聞きつけたか、僕が中古車屋で売り子をやっているのを知って、僕からクルマを買いたいという申し出には俄然ハッスルしたことは言うまでもない。

僕の知る限り、高柳さんの車歴は90年代前半から、81マーク2の後期2.5グランデG、90マーク2の同じく後期2.5グランデG、そしてその次が15クラウン後期3.0ロイヤルサルーンのダークブルーツートン、そしてこのクラウンに今も乗っているらしい。

高柳さんはけっしてカーマニアではないが、営業には常に自分のクルマで回られ、マーク2やクラウンに刷り上がったばかりのインク臭いダイレクトメールを満載して、シャコタンみたいにして運んできてくれるような人だった。だからクルマと付き合っている時間は長いし、ヘビーユーザーとして持論はある方だった。

久々に再会した15クラウンは登録3年目にして既に9万kmだった。

「ケースケさん、コイツァもう駄目だよな」

吐き捨てるように査定額がつかないことを嘆いてみせた高柳さんだが、拝見したクラウンでびっくりしたのはタバコ臭が全くしないことだった。高柳さんはタバコを吸う。でもクルマの中では吸わないことにしていたらしい。シガーライターも灰皿も綺麗なままで、これなら禁煙車で通用する。高柳さんのクルマは、どこかパリッとした緊張感を保っていた。

お目当てはガイシャ

僕は無事故ワンオーナーで密度の濃い東京トヨタの整備記録の残ったこの15クラウンに80万円という値段を指した。(僕が勝手に査定をしたその値段に、後で社長には怒られた)むろんこれはご奉仕ハッスル価格である。パールホワイトの屋根付き(ムーンルーフ付きの意)、マルチ付きならその値段でいいが、紺色の屋根なしマルチなしでは無理な値段。

高柳さんのお目当ては本体価格ジャスト250万で中古車情報雑誌にも出したボストングリーンのE36、BMW320iの98年最終モノ。サービスフリーウェイも使えて走行まだまだの1万2000kmである。勤め人も勤め上げて自営になり、世間や会社のしがらみもなくなり、好きに車が選べるようになった、だからBMWなのだという。大きすぎずそれでいて内装が革張りでサンルーフもついているデラックス仕様(氏の弁)。これを、初めて買えるガイシャなのだとしたら御の字と思っていた高柳さんの反応は大フィーバーだった。

「オイ!おめえんとこ、そんなんで商売デージョーブなんかい!!」

彼は興奮すると故郷の言葉が出てくる。でも、僕は冷静に思う。クラウンやマーク2が長かった人が、いかに生活観が変わったとは言え、いきなりBMWではちょっとギャップがありすぎる。下手すると乗って初めて「自分向きでない」と感じることがあることを過去の例からも知っている。

「まあまあ、高柳さん、試乗、行きましょうよ、まずは味わってくださいよ」

BMWのシルキーシックスは例によってシューンと軽く目を覚まし、革装特有のニオイに高柳さんはますますテンションが上がり、そして彼はワイパーを動かす。

「オリョリョ!そうか!逆なんだよなぁ外車は。イケネェイケネェ」

でも、その後しばらく静寂が流れた。やや低めのファイナルを持つ320i特有のやや引っ張るシフトスケジュールにより、普通に走っていてもBMWの硬質なサウンドを味わうことが出来る。そして彼の興奮を冷ますようにこのエンジン音が室内に響いていた。

乗り終えた表情は硬かった

やっぱり駄目だったか、と思ったが次の瞬間、興奮から転じて深い感銘のため息を混じらせて彼は言った。

「いやぁ、目が覚めるようだね。鮮やかで実にいい走りだ」

こういうケースは初めてではない。例えば、マーク2ツアラーVに乗っていて、自分では走り屋でクルマのことを知り尽くしていると自負のある人が、このように初めてBMW、しかもどうってことないと思っていた320や318に乗ってみて「目が覚める」といった発言をするシーンを僕は何度となく目にしてきたし、何を隠そう僕自身がそうだった。その反面、国産車に慣れきった人には、ちょっと重たすぎて、と拒絶されることもある。評価が真っ二つになる可能性のある国産からBMへの乗り換えだったが、高柳さんは非常にポジティブに受け入れてくれたようで安心した。

そして高柳さんはセカンドバッグの中から銀行の封筒を取り出し、提示した見積額の端数、8千6百何十円をちょん切った分だけのお札を取り出し、印鑑証明2枚と実印、記入済の車庫の自認書、そんな一式を並べ始めた。僕のお客さんは自営や中小の経営者が多く、ローンは圧倒的に少なくてラクだった。みんなこのようにゲンナマを忍ばせて僕の元にやってくるのだ。

「ケースケさんよぉ、端数はあとでな、あとで・・・」

意味がわからなかったが、それぐらいなら社長に怒られても自分の給料から天引きにしてもらえばいいやと思い、端数切りした契約書を作って捺印していただいた。そして営業先から社長が戻る。

「あぁこれは社長さん、ウチのケースケがお世話になっておりますようで・・・違うか!(笑)」

と言って目を見開き、おどけてみせる姿が猛烈に懐かしくてちょっとだけグッと来てしまった。そう、彼にはお世話になっていたのである。お世話になっていた、だけではなく、仕事のイロハを教えていただいたところもある。そんな恩義のある人に満足していただけるクルマをお世話できるということ、クルマの売り子にとってはこの上ない喜びなのだ。

「社長さん、ケースケを、今日はお持ち帰りしてもいいですかな?」

上機嫌で向かった先

高柳さんは親指と人差し指をクイクイとやって酒を飲むジェスチャーをしてみせた。久しぶりに一杯やろう、ということのようだ。

「今日はいい条件、出していただきましたからなぁ」

社長も意味を理解した。後処理もあったがそれはニヤニヤしながら見ているセンパイのオカダ君に任せることにして、僕らはタクシーで職場を出た。

向かった先は、高柳さんが会社員時代からよく通っていたらしい、キレイなお姉さんたちの接待と高級なバーボンやらビーフジャーキーが出てくる銀座のお店だった。

「ケースケ!こういう店初めてだろ!ん?」

そこで高柳さんは、今日はどんなにいい買い物をしたのか、BMがどんなに素晴らしいクルマだったか、そして成長した僕の仕事ぶりをお姉さん達に褒めちぎった。僕はすっかり有頂天になるまでバーボンをグイグイ飲まされた挙句、「ケースケ、もう一軒だぞ!いいな!」と言われるまま、これまた高柳さんが常連らしい銀座のお店(その2)になだれ込んだ。そして、そこのキレイなお姉さん達を伴って、「シメは別腹だぞ!」とばかりに、高級な国産本マグロの大トロや希少部位しか出さないような寿司屋、までは記憶にある。

たぶん、僕がさっき見積で切り落とした端数分の十倍以上は取り戻して、その夜は更けていった。

(文章:前田恵祐/イラスト:田中むねよし)

【この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません】

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