【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.4「天才が買ったタマゴ」
掲載 更新 carview!
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僕は平成12年頃に中古車屋のニイチャンを1年くらいやっていた。お客様の大半は個人事業主や中小企業の経営者である事が多く、いわゆるサラリーマンのお客様は本当に来ない。それは僕が中卒で学がないという点と無関係ではないと思うけれど、だからといって、高学歴のインテリを相手に出来ないわけでもなかった。
宮島くんという横浜国大生も僕のお客様の一人だった。しかも、理工系でゆくゆくは人工知能の開発に携わるのだと言って勉学に励んでいた。ドラマあぶない刑事に犯人役で出演した頃の俳優、水谷あつし似の色白でひょろっと背の高い好青年である。
宮島くんは自転車で来店した。カッコいいロードタイプとかMTBとかでなく、石川県野々市町の実家から持ってきたという四角い前照灯がついたボロいママチャリで、キュッコキュッコ言わせながらやってきた。しかも、うちの店の手前のカーブでコケたらしく、膝丈のズボンだった為に足は擦りむき、タイヤはパンクしていた。店には薬箱や何故か自転車の修理キットもあって、彼の足廻りの手当と自転車のパンクを修理してあげた。
宮島くんは国大近くの下宿からちょっと離れている駐車場を既に契約済みだった。真新しい印鑑に印鑑証明も揃っている。クルマの購入を前提に初めての印鑑登録を済ませていたのだ。
「学内には自動車部ってのがあるんですけど、なんだかああいう汗臭いの、苦手なんですよね、僕」
インテリである。そして僕はインテリじゃないけど共感ができた。クルマ好きだからといってイジリ倒して、泥や油や汗まみれになるのがクルマ好きの証拠、みたいな人たちとは僕もずいぶん前から距離を置いていたからだ。
そしてインテリのクルマ好きは話が長い。将来に期待のかかる国大生の宮島くんは冷徹に、まるで自分がクルマを設計したかのように続けてまくし立てた。
要約すると、クルマのエンジンは物理学上、車体のできるだけ中心に配置することが望ましく、しかも重心を低くするためにアンダーフロアであることがさらに望ましい。極力車室を確保するために補機類を含む走行メカニズムのためのスペースは最小限にとどめ、合理的に配置、デザインされたものが、これからの時代の理想となる自動車、移動手段である、というのだ。
彼のお目当ては、名前を出すまでもなく、平成2年式の走行3.8万km、1オーナー、無事故記録簿付、地元横浜の「農家」のセカンドカー出身。価格128万円で出している初代エスティマであることはわかった。色はサンセットブラウントーニングG。希少色である、不人気だけど。
彼は肩から下げた、転んだ時にちょっと汚してしまったナイロンのショルダーバッグの中に、浜銀の封筒に詰め込んだ現金128万円を既に持っていた。弁当屋とカラオケ屋のバイトを掛け持ちしたり、田舎のお婆ちゃんからの仕送りを貯めて作ったお金だという。物心ついた時にはエスティマが町を走っているのを見ていたので、このクルマの合理的で美しくパッケージされているのが、子供の頃からの理想だという。自分が乗る運命。そういう感じだった。
「このクルマは、僕のためにあるとしか思えません」
クルマを買おうとしている人は、こうした「思い」とともに来店することが多い。そして、そこまで「思いつめている」ひとは、まず間違いなくお金を支度してあり、あとはハンコを押すだけというところまで、既に気持ちが出来上がっている。
「僕にこのクルマを売ってください!お願いします!」
なんて真っ直ぐな子なんだろう。自分とは6歳くらいしか違わないが、思わず応援したくなる、そういうタイプのインテリ、というか秀才だった。当時、流行り始めていたエアロにシャコタン、20セルシオの顔を移植している怪しさ満点のエスティマに飛びつくような人たちとは遠いところにいる子だった。
「大丈夫だよ。僕もキミになら気持ちよく売りたい、と思っているから」
そう言うと安心してくれた様子だった。当時の僕は営業として幾ら負けるだの、他店より条件が良いだの悪いだの、大人の銭金に絡む見苦しい駆け引きに身を馴染ませていたので、宮島くんのピュアな印象は鮮烈だった。心洗われる商談だ。
「宮島くん、まだクルマをちゃんと見てないよね、車検もあるから試乗もしたほうがいいよ」
「ひとつ、よろしいですか?」
人差し指を突き上げ、僕に尋ねる姿はなんだか、ドラマの中のあの刑事さんにそっくりだった。平成12年はドラマ「相棒」の創世期で、まだプレシーズンを放映し始めた頃だ。無論、刑事モノが好きな僕はチェックしていたし、そう話したら「バレましたね」と苦笑して、宮島くんは水谷豊ファンであることを打ち明けてくれた。カワイイところもある。
「で、ご質問の内容は?」
「このクルマはフロントの補機類をシャフトで駆動しています。そして、そのシャフトのカップリングが摩耗するとシャフトの回転軸が偏心して車体に接触し、音を出します。その対策はしてもらえますか?」
流石である。クルマ屋の僕らでさえ、このエスティマの補機シャフトの異音問題については情報が少なく、とくに走行距離の進んだ個体において発生することが多かったから、なかなか事例を見ることができずにいたが、確実に、初代エスティマ特有のレアトラブルであることは確かだった。
「納車前点検は神奈川トヨタに出すから、問題があれば連絡しますよ」
そう回答して彼は納得してくれた。
「まるで新車のようですね、他の店でもエスティマを見に行きましたが、これはダントツです。ええ。ニオイからして、違いますね」と言って彼はまた人差し指を突き上げてみせた。
運転席でハンドルを取る彼は、免許を取ったばかりで、初心者マークを貼り付けて試乗したが、ウチの店のクルマの良さを理解してくれたようだった。
元のオーナーである農家の屋根付き車庫に収められていた10年物のエスティマは美しく輝き、内装は禁煙。しかもエスティマ特有のハードプラスチックに塗装を施しているダッシュボードやドア部分の塗装剥がれも皆無だった。愛情が深かった証である。
車両本体価格128万円、ここまで宮島くんの自己資金で当日に現金入金してもらった。しかし諸費用のことをあまり考えていなかったらしく、不足の11万円ほどは野々市のお婆ちゃんに、東京見物を約束することで融資してもらい、期日までに遅滞なく支払ってくれた。そういう気持ちの良い買い方をしてくれた彼だから、こちらからのお礼の意味も込めて、カップリング交換代の約6万円はサービスしてあげることにした。
ナンバーは横浜33のまま。彼の希望だった。僕は元のオーナーの顔も知っているので「新しい所有者が同じナンバーで購入されたいと希望しています」とお伺いを立てると「ほほう、どんな人?」と聞かれたので、商談の経緯をお話しすると、にこやかに了承してくださった。元のオーナーはFFになってしまった二代目エスティマは購入しなかった人である。
神奈トヨの点検整備も終え納車を迎えた。「カップリングはやっておいたよ」と言うと、ことのほか喜んでくれた。
「これで安心して旅ができます。田舎にもコイツで帰るし、日本縦断するのが僕の目標なんです」
それ以来、宮島くんからは毎年店に年賀状が届いたらしい。僕は一年で店を辞めてしまったが、たまに店に遊びに行くと彼の話になるのは、彼の律儀な性格たる所以だろう。そして数年前、彼は某研究機関の主席研究員の地位にあると聞いた。年賀状にはとても22万km走行とは思えない、玉のように美しい茶色のエスティマの写真がプリントされていた。お婆ちゃんとの約束を果たし、列島を縦断し、きっといろんなところを走り回りながら、初代エスティマは現代の先端を行くAI研究者のハートを捉え続けている、ということになる。
これも、あるクルマの特性を捉えることのできる重要な一面、とは言えないだろうか。
(文章:前田恵祐/イラスト:田中むねよし)
【この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません】
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