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【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.2「奥様は運転好き」

【クルマ小説】僕は新人トップセールス vol.2「奥様は運転好き」

思い起こせば

僕は17年前、中古車屋のニイチャンを1年くらいやっていたわけなんだが、その間にいろんなお客様をお相手させていただき、最終的には100台くらいのクルマをお世話させていただいた。この台数は、当時比べる相手もいなくわからなかったが、月に7台から8台以上を売っていたという計算は、かなり自慢していい数字だったと後年わかった。

しかし、面白いことに僕のお客様というのは不思議とサラリーマンなどの勤め人という種類の人は少なくて、たとえばこの前のお客様みたいな手に職を持った「技術職」の人はじつは他にも何人かいたし、ベンツE320の当年モデルを買いに来た栃木の不動産屋の社長とか、そうそう、六本木の画廊のオーナーという人がローバーミニに乗って来て僕からジャガーXJ8を買っていったこともあった。茨城県阿見市で映画配給会社を一人でやっているお爺さんの、インフィニティQ45の最終型ワンオーナー9000kmの買いっぷりも凄かったな・・・という具合に、思い起こせば個人事業主系のお客様ばかりで、そして個性的な買いっぷりのお客様の顔をいくらでも思い出せる、そういう濃厚な時間だった。

ある夏の昼下がり、ホットラインが鳴った

ショボイ中古車屋のくせして0120のお客様専用ホットラインと呼ぶ専用回線を引いてあり、そこにかかってくる電話は常連さんとか、買取希望の人とか、カーセンサーを見て買いたい人とか、事務的などうでもいい電話はかかってこないだけのことだが、でも鳴ると胸が騒いだ。

「査定をお願い致します。車種は日産ローレル、年式は平成4年の10月登録、色はダークグレーで走行距離は7万7000kmになったところです・・・」

率直言って期待できないと思った。車齢8年のローレル、1年に1万kmずつの走行ペースと思われるが、なんせビカモン(内外装ともに極上の物件)の高級車で商売をしている僕らだったから、ウチの店には置けない。ということはオークション転売ということになり、そこで経費が発生し、他店とあまり変わりない値段しか指せないだろう・・・

「ご期待に添えるかどうかわかりませんが、お近くでしたら一度ご来店いただきまして、おクルマを拝見させていただけませんでしょうか?」

・・・そう言うと、

「承知しました。ではこの週末に予定つけまして、御社を訪問させていただきます」

折り目正しい言葉遣いをなさるシッカリした印象のお客様だと思った。じつはこうしたタイミングから、お客様のプロファイリングというものを、僕ら営業は開始している。言葉遣い、声の感じ、電話の向こうの騒音など。とにかく、このお客様はシッカリした方で、こちらもそれにお応えできるような接客をすればきっといい商談になるかもしれない、という予感はあった。

ダークグレーのC33ローレル後期型がやってきた

品川54ナンバーには少し年季を感じたが、美しく保たれたフルノーマル車で、運転しているのは女性。助手席に電話をしてきた人と思しき七三分けの男性が乗車している。そして音を聞く限り、なんとマニュアル車だ。先に男性が降車して、「先日はお電話で失礼いたしました・・・」と僕に一礼すると手馴れた様子で胸ポケットから名刺入れを出し、真っ白な名刺を両手で差し出す。新宿や相模原でお馴染みの百貨店の営業部長という肩書き。どうりであの整った日本語を綺麗に操るわけだ。僕のお客様にしては珍しい、絵に描いたようなビジネスマン。そして「よいしょ」といいながら運転席から降りてきたのは、細身で色白の美しい「奥様」・・・とわかったのは、この女性の下腹部はこころなしかふっくらしていらっしゃる。「ああ、これは新しいご家族を迎えるにあたっての買い替えだな」とすぐに察した。

僕はさっそく査定に取り掛かった。とにかくキレイに乗っている。ローレルにありがちな内装の布のハガレもないし、洗車傷もない。グレードはRB20E搭載車のメダリストで、切削処理の15インチアルミロードホイールやスーパーファインコーティングをオプションで選んでいる。タイヤはミシュランで山はたっぷり。車検証の名義を見ると、どうやら奥様の所有で旧姓のままだが住所は成城、平成4年登録だが平成5年に東京日産の中古車センターからワンオーナーで購入しているという履歴も書類からわかった。ローレルのマニュアルをあえて選んで買い求め、それをこの女性は独身時代から長く愛用してきたのだ。

「マニュアル車がお好きなんですね」

「わたし、運転するのが好きなんで、マニュアルじゃないとダメなんです」

「でもこの型のローレルというのも、また渋い選択ですね」

「このカタチ、大人っぽいのに優しい感じがして、すごく好きなんです。それと室内がいいんですよ、時計とか木目とか、ちょっとアンティークな感じがして・・・気に入ってたんですけどね・・・」

奥様のローレル愛に溢れるコメントである。概ね察することができたが、どうやら今回の買い替えはご主人からの要請が強かった模様だ。ご主人曰く「子供が生まれたらこのクルマでは手狭になりますし、それにわたくし、マニュアル車を運転することができないのです。このままですと助手席専門でございまして」

奥様は運転好き、ご主人のほうは・・・普通は逆だ

僕はローレルに25万円という値段を指した。これは当時のオークション相場の値段である。通常オークション出品を前提とした査定なら、その分の経費や店の儲けを差し引いた額を提示するものだが、このローレルなら、僕は自分が店頭で売る自信があった。だから強気に出たのだ。それくらいイイ個体だったというのもあるし、それに奥様にカッコつけたかった、という思いもあったのかもしれない。この値段を見たご主人は、「こんな価格をご提示いただいたのはこちらが初めてです」といって目を丸くされた。奥様は「フフフ・・・」と少しだけ微笑んでいた。

僕は次のクルマに何をお勧めしようかと在庫を見渡して考えたが、ワンオーナー禁煙で走行7500kmの車庫保管だった極上のイプサム(初代後期)が相応しいのではないかと思い、ご提案し、試乗に出かけた。

お二人は交互にハンドルを握った。ご主人は取り回しの良さや視界の良さ、それに落ち着いた印象のダークブルーというボディ色もお気に召された様子だった。下取り差し引き計算して総額138万円。ご主人は納得顔だ。しかし奥様はどうもイマイチのご様子。ご主人もそんな奥様を察して考え込んでしまった。奥様に問いかけてみる。

「イプサムに乗ってみて、いかがでしたか」

「静かで広いけど・・・なんだか運転してると眠くなりそうですね」

「やはり運転がお好きでいらっしゃるのですね」

奥様はお腹をさすりながらこう言った「でも・・・もうそんなこと言っていられないのかしらね・・・」

なかなか打開案が見えないまま、時間だけが過ぎる

店の展示場を三人で歩きながら考える。店には、当時から人気のあったエルグランドやグランドハイエース、デリカスペースギアなんかも並べてあったが、今回のクルマ選びにはマニュアルが運転できない、運転に不慣れと思われるご主人のご意向が大きいと僕は認識していたので、イプサムをと思った。しかし、じつはそうではなくて、買い替えようと言い出したのはきっとご主人、でもやはりクルマ選びは運転好きの奥様が主役、ということは、エルグラやグラハイをおいそれとお勧めしても・・・そんなことを考えていると、奥様は足を止めてこう言った。

「こういうクルマってどうなんでしょうね・・・」

「このタイプは妊娠なさっている方が運転席に乗り込むのは大変だと思いますよ・・・」

「でもホラ、碓氷峠でこの子に追い越されたことあったじゃない、ねえアナタ」

「ああ、そうだったかなあ・・・」

ウソのような話だが、多分本当だろう。はっきり言ってしまうが、100系ハイエース後期の3000ターボディーゼルは速い。そして理屈の上では「進化した」ミニバンであるところのエルグラやグラハイ、むろんイプサムなどよりざっと100倍(笑)くらいは、ハンドルを握るのが楽しくなるクルマなのだ。いわゆる荷車として鍛えられた確かな足取りとタフな心臓は伊達ではない。禁煙ワンオーナー1年落ち6800km。在庫車の価格は車両本体265万円でイプサムの倍。やや旧式キャブオーバー型でハンデはある。

しかし、これはもしかすると・・・

取るものとりあえず、試乗に出る。むろん妊婦の奥様がハンドルを握る。

最初はキャブオーバータイプの運転席からの視界や運転操作に馴染めない様子だったが、それも次第次第に慣れてきた。やがてターボディーゼルの過給音を響かせながら、まるで鼻歌交じりといった感じで快調に走る。ご主人は二列目で室内の広さや使いやすさなどをフムフムと言いながらチェックする。やっぱりこの夫婦、普通と逆なのだ。試乗から戻るやいなや、奥様は目を見開いて僕に言う。

「すごくイイですね、これだったらバンバン走れそう」

僕の予感は的中した。彼女を退屈にさせない何かを、このハイエースは持っていたということだ。ご主人も腕組みしながら程度の良さに納得している様子。ローレルの下取り金額がちょうど諸費用分に充当されるカタチとなったが、奥様の「もう一声!」にお応えしてポリマーコーティングをサービスさせていただくことにし、そこでめでたく契約書に押印となった。でも、勝手にポリマーをサービスして社長にはバカヤロウと怒られた。

後日、ハイエースを初回の点検でお預かりした時、無事に女の子が生まれたとご主人が嬉しそうに話してくださった。奥様は運転がしたくてウズウズしながらお産に臨んでいたという。産院から帰宅する際にも、ご主人がハイエースで迎えに行くとおぼつかない運転を見るに見かねて、新生児をご主人に任せ、奥様が自らハンドルを握って帰ってきたらしい。考えてみればその赤ちゃんも、順調に育っていれば来年には免許が取れる歳。

あの母親の血を引いているのだとしたら、一体どんな娘に育っているのだろう。

(文章:前田恵祐/イラスト:田中むねよし)

【この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません】

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