美は見る者の目に宿る
text:AUTOCAR UK編集部
【画像】イタリアの醜い美女【ムルティプラと現行フィアットを写真で見る】 全125枚
translator:Takuya Hayashi(林 汰久也)
フィアットのムルティプラは、1990年代後半に発売して以来、数え切れないほどの「醜いクルマ」リストの主役となってきた。優れたパッケージングや数々の賞を受賞したこと、そして徹底的に良いクルマであったことを忘れ、多くの人がその挑戦的なスタイリングに目を向けることができないのだ。
腰を据えて見直してみれば、ポンティアック・アズテック、サンヨン・ロディウス、フォード・スコーピオのような悪名高い醜悪なクルマと一緒にランク付けされるよりも、ずっと良い結果が得られるはずだ。むしろ、シトロエン2CV、BMCミニ、ルノー4などと同列に語られるべきではなだろうか。ここでは、美しく醜いフィアット・ムルティプラへの頌歌をお届けする。
フィアット600
ムルティプラの歴史は、1955年に発表されたフィアット600から始まる。リアエンジンを搭載した水冷車で、BMCミニ、フォルクスワーゲン・ビートル、ルノー4CVに相当するイタリアの大衆車として開発された。
フィアットのミラフィオリ工場では270万台の600が生産されたが、南米、スペイン、ドイツ、旧ユーゴスラビアでの生産を含めると500万台に近い数字になる。
象徴的な存在ではないが、600は人気の高いフィアット500よりも汎用性が高いことがわかった。アバルトはレーシング・ドライバーになるためのバージョンを作り、ギア(Ghia)は裕福な人々のためのジョリーを作ったが、ここで最も重要なのは、フィアットの仕事である。フィアット600は、世界初の量産型MPV(ミニバン)を生み出した。
フィアット600ムルティプラ
フィアット600ムルティプラは、パッケージングの勝利と言えるクルマだった。リアから見ると、エンジンをリアアクスルの後ろに搭載した標準的なフィアット600と同じだが、キャビンはフロント全体を包むように広がっていた。フロントはほとんど垂直で、まるで小さなバンのようだ。
素晴らしい。ドアは4枚(フロントに2枚、リアに2枚のリアヒンジ式)。必要に応じて3列シートにすることもできる。また、後席を倒すと約2mの積載スペースが生まれ、ダブルベッドにすることでキャンピングカーに変身させることもできる。
600ムルティプラのスケッチ
これは、ダンテ・ジアコーサ(1905~1996年)が開発したフィアット600ムルティプラのイラストだ。ドライバーと助手席が前輪の上に乗っているため、1列目は少し窮屈かもしれないが、大人6人、または大人4人とその荷物を乗せるのに十分なスペースがある。1950年代には、祖父母の間に子供を押し込むことも許されていた。
フィアットは「このクラスのクルマで、これほど多様な使い方ができるものはない」と主張した。「ファミリーカー、デリバリーカー、街中でも田舎でも、600ムルティプラはどんなニーズにも応えます」
1960年に発表された600 Dムルティプラは、エンジンを633ccから767ccに拡大した。
フィアット600ムルティプラ・タクシー
このエンジン改良は、ムルティプラ・タクシーの販売にも貢献した。助手席の代わりに荷物棚が設置され、ダッシュボードにはタクシーメーターが追加された。後部座席には2つの標準シートとジャンプシートが装備され、2人または4人の乗客を乗せることができた。
ブラックとボトルグリーンという典型的なタクシーのカラーリングに刺激されて、個人オーナーがツートンカラーの塗装を施したクルマを注文するようになった。イタリアの主要都市ではすぐに見られるようになったが、トリノを訪れた観光客たちは、このクルマにあまり魅力を感じていないようだった。彼らは未来のムルティプラを想像していたのかもしれない……。
フィアット・ダウンタウン(1993年)
デザイナーのロベルト・ジオリト(1962年生まれ)がフィアットに入社したのは、1989年、IT関連の求人広告に応募したことがきっかけだった。革新的なEVのプロトタイプを担当することになった彼の最初の仕事は、フィアット・ダウンタウンのエクステリアとインテリアのデザインだった。
1993年にコンセプトカーとして発表されたダウンタウンは、マクラーレンF1のような3人乗りのレイアウトに、2基の電気モーターを搭載していた。重量はわずか700kgで、最高速度は100km/hに達したが、製造コストが高かったため、コンセプトの域を出なかった。
フィアットZic
その1年後、フィアットはZicコンセプトを発表した。フロントガラスの根元に取り付けられたライトはムルティプラを連想させるものだが、Zicはジオリトの「形よりも機能」というアプローチを表現するものだった。この小さなEVは大人4人が乗れるが、後席にはあまり長くは座りたくないだろう。
リアといえば、2002年になって登場した2代目ルノー・メガーヌを彷彿とさせるリアエンドのスタイリング。フォード・アングリアやシトロエン・アミを彷彿とさせるリアウインドウは、トヨタがWiLL Vi.のデザインに取り入れたアプローチでもある。
異色のMPV
フィアットのムルティプラ以前のMPV市場を見てみよう。7人乗りのMPVといえば、バンのような大型車が主流で、フィアットは当時4台あったユーロバンのうちの1台「ウリッセ」を発売した。
ルノーは、1996年にセニックを発売して5人乗りMPVのコンセプトを確立し、1997年には7人乗りのオペル/ヴォグゾール・ザフィーラがコンセプトモデルとしてデビューした。しかし、ゼロから設計された6人乗りのMPVはあっただろうか?
1996年パリモーターショー
神経質な読者は目を瞑った方がいい。フィアット・ムルティプラのコンセプトモデルだ。市販モデルと非常によく似ていたが、それはフィアットが市場とディーラーに、この珍しい外観を受け入れる準備をさせたかったからである。
フィアットのプラットフォーム開発責任者であるジュゼッペ・スカリオーラは、次のように述べている。
「これは、計算されたリスクです。革新的な機能を搭載しているため、ディーラーには事前にフィアットが何をしているのかを知ってもらう必要があると考え、早い段階でお知らせしました」
興味深いのは、フィアットが右ハンドル仕様を計画していなかったことである。1996年のパリモーターショーでの発表は、ルノー・セニックを追いかけるためのタイミングだったのだろうか?おそらくそうだろう。
ニューヨーク近代美術館
ニューヨーク近代美術館で開催された「Different Roads: 次の世紀の自動車」と題された展覧会では、展示された9台のうちの1台がフィアット・ムルティプだった。マンハッタンではさぞかし目立ったことだろう。
ニューヨーク・タイムズ紙の取材に応じた見物人は、「あれは醜いクルマだ」と言った。それは、彼がムルティプラの車内に入り、気の利いた機能や広いキャビンをチェックする前のことだった。「醜いね」と彼は断言する。「しかし、わたしはスタイルにこだわらない。わたしを見てくれ、蝶ネクタイをしているだろ」
欧州での発売
フィアット・ムルティプラは、ニューヨーカーにイタリアン・エレガンスと洗練されたデザインを披露する頃には、すでに欧州で販売されていた。1998年11月にイタリア、オランダ、ベルギーで販売を開始し、1999年にはドイツ、フランス、その他の欧州諸国でも発売された。
ジュゼッペ・スカリオーラはオートモーティブ・・ニュース・ヨーロッパの取材に対し、「年間10万台の販売は多すぎるので、4万台程度で収支が合うように計算した」と語った。「しかし、個人的には年間7万5千台売れても不思議ではない」
ムルティプラは、1999年に3万9189台を販売し、2001年には4万9841台のピークを迎えた。
2000年の英国発売
英国は、ムルティプラを迎える心の準備に時間がかかった。2000年に英国で発売された頃の「Makes sense on the inside」という宣伝文句は、ムルティプラが反感を買うことを想定してのものだった。リアウィンドウのステッカーには、「フロントを見てから」と自虐的な文句が書かれていた。
ジェレミー・クラークソンは、「論理的に考えられたストレートな作品として、これは傑作だ」と評した。ムルティプラは、ベースとなったフィアット・ブラーバのハッチバックよりもわずかに背が低いものの、1871mmというフォード・スコーピオと同等の幅(そしてそれに劣らない個性)を持っていた。つまり、2列3人乗りのスペースと430Lのトランクを確保したのである。
エクステリアデザイン
このパッケージの成功は、当時のフィアットの経営陣であったパオロ・カンタレラが設定した厳しい条件を考えれば、なおさら驚くべきことだ。限られた予算で開発され、少ない生産量でも利益が出て、6人とその荷物が入るスペースがあり、代替燃料にも対応できる柔軟性がある。
本質的には、ハッチバックに大きなキャビンを載せたものだ。他の多くのクルマとは異なり、ムルティプラは底が広く始まり、中央で狭く、そしてルーフに向かってまっすぐに伸びている。これは、ジオリトが経営陣の要求を満たすための唯一の方法で、「コーヒーポット」と呼ばれるようになった。フロントガラスの下にあるライトはハイビーム用だ。
インテリアデザイン
この俯瞰写真は、フィアット・ムルティプラを6人乗りにしたときのもの。時は1990年代。テディベアの数とダブルデニムの完全な過重積載に注目。
車幅があるので、フルサイズのシートを6つ載せることが可能だった。7人乗りSUVの3列目シートに押し込まれたことのある人なら、これがどれだけ贅沢なことか分かるだろう。
フロアがフラットなので足元や荷物を置くスペースが広く、リアシートを取り外せば3人乗りのワゴン車にもなる。4人乗りの場合は、中央の2つのシートを前に倒すと、収納トレイと8つのカップホルダーが現れる。
ダッシュボード
市販モデルでは1996年のコンセプトを踏襲し、ダッシュボードの高い位置にあるセンタークラスターに操作系をまとめた。ダイヤル、プライマリーコントロール、シフトノブはドライバー側に向けて配置され、助手席側には収納トレイやコンパートメントが配置されている。
素材や色を巧みに使うことで、ムルティプラは、「象皮」からデザインのインスピレーションを得たような同時代のMPVのライバルたちに差をつけた。
エンジン
エンジンは、1.6Lのガソリンと1.9Lのディーゼルを搭載し、一部の市場ではLPG仕様も用意された。パフォーマンスは刺激的というよりも、むしろ活発であったが、ムルティプラのワイドなスタンスは、驚くほど運転しやすいものであった。
この画像からもわかるように、フィアットはハイブリッド車の導入を検討していた。1.6L 16バルブのガソリンエンジンと三相電気モーターを搭載した「ムルティプラ・ハイブリッド・パワー」は、プロトタイプとして公開された。
フェイスリフト
フィアットは、このクルマの生産を中止した。大胆で個性的なスタイリングへの批判にさらされたフィアットは、2004年夏にフェイスリフトを実施し、ムルティプラは個性的というよりは派生的な外観になった。標準的なヘッドライトと再構築されたボンネットが、期待外れのモデルチェンジの目玉となった。
販売台数を見ると、2003年は2万1305台、2004年には2万1278台と、徐々に減少している。フェイスリフトはすぐに効果を発揮し、2004年には3万674台に回復した。しかし、その効果は一時的なもので、2007年にはフェイスリフト前の水準に戻ってしまった。
ホンダFR-V(エディックス)
フェイスリフトと同時期に、ホンダは6人乗りのMPV、FR-V(日本名:エディックス)を発売した。FR-Vは、CR-Vやストリームに代わる家族向けのMPVとして、フェイスリフト後のムルティプラよりも個性的なデザインを採用していた。
2009年に生産を終了したが、FR-Vに後継モデルがなかったことは、6人乗りMPVの需要の低さを物語っている。そして、新しいタイプのクロスオーバーが注目されていたことも、廃止の理由だろう。
2010年に生産終了
イタリアでの生産は2010年に終了し、その時点で年間販売台数は8604台にまで落ち込んでいた。2011年に最後の466モデルがフィアットのショールームを去り、累計販売台数は約33万台となった。しかし、ルノー・セニックやオペル・ザフィーラに比べれば大したことはない。
ここで特筆すべきは、スバーロ・ムルティプラ・マルチドア(画像の車両ではない)だ。フィアットはスバーロに依頼して、2006年のトリノ冬季オリンピックのために6ドア8人乗りモデルを2台製作した。ムルティプラの多用途性を示す一例である。
Zotye M300
Zotye Automobile(衆泰汽車)のM300は、2008年から2010年にかけて中国でCKD(Complete Knock Down)キットを用いて生産・販売されたムルティプラで、Zotyeムルティプラの名で呼ばれていた。
生産終了となった2013年、Zotye社はEVバージョンを開発した。「M300 EV」と名付けられたこの電動MPVの航続距離は約160kmで、わずか220台が生産された。少数ではあるが、これもムルティプラの多用途性を示す一例である。
フィアット500L
フィアット・ムルティプラがゆっくりとした死を遂げた一方で、自動車デザイナーのロベルト・ジオリトはフィアットで成功を収め、2007年には新型500のデザインを担当した。
また、ムルティプラよりも美しいとは言えないことで有名なフィアット500Lのデザインも手掛けている。この2つのMPVの根本的な違いは、一方は最大限のスペースを確保するために内側から設計され、もう一方は成功したフィアット500のスタイリングを採用せざるを得なかったということだ。
フィアット・ムルティプラ
ムルティプラはどのように記憶されるべきだろうか。
醜い?いや。スタイルに問題がある?そうかもしれない。個性的か?それは間違いない。
ムルティプラを好きになることはできなくても、その個性と魅力には間違いなく惹かれるだろう。現代の名車であるムルティプラが英国で発売されて21年になることを記念して、英AUTOCAR編集部が紹介した。
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みんなのコメント
こう言ったデザインを見て将来のデザインの可能性が高くなる
確かに人各々ですが人間の進化の過程は各々の可能性が有ったからこそ今の文化が存在する