ランチア デルタ のみんなの質問

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ラリーゲームに関係する質問です。

SEGAが出した「セガラリーチャンピオンシップ1995」を始め、
トヨタ セリカGT-FOUR(ST205)と、ランチアデルタHFインテグラーレは
その後のセガラリーシリーズでも、ライバル車同士のような関係にありますが、

実際、ランチアとトヨタは何か因縁があるのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

因縁というか、凌ぎを削ったライバル関係ではありました。
かつて「狂気」とまで言われたグループBの終盤で大きな輝きを見せたのがデルタでした、しかし1986年のツール・ドコルスでデルタが崖から転落してマシンは爆発炎上、ドライバーのトイボネンとコ・ドライバーのクレストが焼死するという大惨事・・・この年をもってグループBは終了となりました。
翌年の1987年、下位グループからメインカテゴリーに昇格したグループAでランチア・デルタHFとトヨタ・セリカは熾烈な戦いを演じるのですが、その時に大活躍したセリカは205の先代ST185でした。
実はこのST205、重すぎるボディとセッティングの幅が小さすぎて決まらない足に手を焼き勝ったのは1995年の1000湖ラリーのみ、その唯一の勝利も規定違反によって全ポイントが剥奪されたばかりか1年間の出場停止という厳罰を受けるという不遇な車でした。

その他の回答 (3件)

  • WRCは、1986年まで「グループB」というモンスターマシンで戦われていましたが、その年に大事故が相次いだため、1987年から「グループA」という市販車を改造した車両で戦われることになりました。
    このグループAで1987年から1989年まで3年連続チャンピオンを取ったのが、ランチアデルタです。3年連続でドライバーズタイトルの1,2,3位を独占するという、圧倒的な強さでした。
    1990年にこの牙城を崩したのが、カルロス・サインツが運転するセリカGT-Fourです。
    この後ランチアとトヨタは、1991年はランチアのカンクネン選手が1位を奪取し、1992年はサインツがまた奪取するという、熾烈な1位争いを繰り返します。
    1993年になると、ランチアがワークス活動を停止したため、カンクネン選手がトヨタに移籍し、サインツ選手がランチアのセミワークスチームに移籍して、この1993年と翌1994年はトヨタがドライバーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルの両方を獲得しました。ここがトヨタの黄金時代です。
    1995年、トヨタは不正改造が発覚し、ポイントをはく奪されてしまいます。
    ここで代わって浮上したのがスバルでした。
    ちなみに、1990年から1993年までのセリカGT-FourはST185という仕様で、うろ覚えですがST205になってトヨタの強さに陰りが出てきて、その結果が不正改造という流れになっていったような記憶があります。
    ですので、ランチアデルタの本当のライバルはST185の方だと思われます。

  • セリカもデルタも同時期のWRCでスタードライバー同士が争っていましたから、両車を出しているのでしょう。

    自動車メーカー同士に因縁はありません。

    ただ、1995年はトヨタのWRCにとっては黒歴史ですね。

  • 実際のWRC でも同じ時期に競っていたライバル関係だからリアリティを出すのに良かったのではないかと思います(・ω・)ノハイ

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