ランチア デルタ のみんなの質問

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マツダはシトロエンと提携していたのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

1980年代の話になります。
当時のマツダは取引先銀行の思惑もあり、会社の拡大路線に走りました。
トヨタ並みに販売チャンネルを5つ持つことを企て、車両の販売種類を増やすために輸入車の販売も行うことにしました。

結果、以下の販売チャンネルが出来ました。
・マツダ店
・マツダオート店→アンフィニ店
・オートラマ店:販売会社(株)オートラマを設立、資本提携先だったフォード・ブランド車を販売。マツダ設計製造のフォード・フェスティバがヒット作。
・ユーノス店:販売会社(株)ユーノスを設立、ユーノス名義のマツダ車とシトロエンを販売。ユーノス・ロードスター→マツダ・ロードスターが生まれる。
・オートザム店:販売会社(株)オートザムを設立、マツダの軽自動車が主力、加えてランチアを販売!。WRCで知られるランチア・デルタも売ってたそう。

バブル崩壊後、マツダ本体の業績不振でこれらの販売店は整理され、販売チャンネルはマツダ店とアンフィニ店が残りました。輸入車の取り扱いも終了しています。


ユーノス店を設立するときは、新規で販売店を募集しました。バブルの勢いがあったため、各地の地場資本が応募して店舗を立てました。JR数社や名鉄、ショッピングモールを運営する商社などが参入しました。
この販売店を募集する手法は、オートラマが先行して行なっていました。

シトロエンの輸入については、西部自動車販売と並行してユーノスが輸入権を持っていましたが、輸入業務を効率化するためにシトロエン・ジャポンを設立しています。
バブル期には西武自動車販売も、西武デパートの店頭を利用して販売ブースを設けるなどしていました。

バブル崩壊ののちにマツダが撤退して新西部自動車販売に一本化され、さらに新西部自動車販売も業務終了して、新生シトロエン・ジャポンがシトロエンの日本法人として設立されています。


ユーノスが存在していたときは、マツダからシトロエンに改善要望などは出していたようです。

質問者からのお礼コメント

2022.11.3 17:38

どの方も真摯に応えていただけましたが、記憶の雑談に華が咲きましたので。
皆さん有り難うございました。どうぞ御贔屓に。

その他の回答 (3件)

  • いや

    むりやり販売チャネルを増やすトヨタ方式をとろうとして、アンフィニだユーノスだ、オートザムだ、とチャネルを増やした

    が、マツダにはもともと車種は多くないので、後の「クロノスの悲劇」と言われる派生車種を増やしたが、それでも足りず、シトロエンとかランチャを売った

    オートザム店って街の整備工場で、そこでもクルマ売ってることは売ってます、みたいな店だったのに、そこでシトロエンやランチァを売っていて、むりやりにも程があるってみんなわかっていた

    マツダが経営破綻する原因にもなった

  • 販売提携です。
    資本や技術提携はしていません。
    過去には、ホンダが欧州フォードやジープ、トヨタがVWなどの販売提携をしていました。
    おそらく、貿易摩擦の回避手段の一つでしょう。

  • 昔はユーノスチャンネルでシトロエン販売してましたね。

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