森をかき分け、山を登る
text:James Disdale(ジェームズ・ディスデール)
【画像】【画像】ラリーカーのベース車両【ヤリス、ポロなど5台】 全149枚
translator:Takuya Hayashi(林 汰久也)
モータースポーツで名声と富を手に入れるとなると、F1ドライバーが圧倒的に優位に立つ。スピードとグラマラスさを兼ね備えたグランプリ・サーカスは、話題の中心となりやすい。
しかし、地球上で最も勇敢で多才なドライバーを探しているのであれば、森に足を踏み入れるか、山に登るかして、ラリードライバーを探す必要がある。ラリードライバーは、砂利を掴み、アスファルトを引き裂き、雪を焦がし、あらゆる場所に適応して速く走ることが要求される。
しかし、誰が最も優れているのか、どうやって決めればのだろうか?
統計を参考にすることもできるが、英AUTOCAR編集部はもう少し深く掘り下げて、数字の裏を見てトップ10を決めることにした。贔屓目もあるかもしれない。しかし、一貫性を保つために、1979年にWRCが公式に開催されて以来、参戦しているドライバーのみを選んでいる。
さて、あなたはAUTOCARのチョイスに同意してくれるだろうか?そうでない場合は誰を選ぶだろうか?
セバスチャン・オジェ
勝利数:50 ワールドタイトル:7
もう1人のセバスチャンほど勝利数やWRCチャンピオンの獲得数は多くないが、彼が達成したものは間違いなく、それ以上に価値のあるものだ。シトロエンでローブと対峙するやいなや、オジェが本物であることが明らかになった。今でも同じマシンで年長のフランス人を真っ向から打ち負かした数少ない選手の1人である。
オジェは、どのような路面でも速く、最速タイムを出してもタイヤを大切にするという不思議な能力を持っており、完璧さを追求するためには手段を選ばないという猛烈な仕事熱心でもある。圧倒的な強さを誇るフォルクスワーゲン・ポロでのタイトル獲得も期待されたが、プライベートマシンであるMスポーツ・フィエスタでヒュンダイやトヨタのファクトリー勢を相手に獲得した2つのタイトルは、彼の類まれな才能を最もよく表している。
2021年は引退前の最後の年となるが、8つ目の王冠を頭に載せて旅立つ彼に反対することはできないだろう。
ユハ・カンクネン
勝利数:25 ワールドタイトル:4
ユハをこのリストの上位に据えることには反論もあるだろう。ターマックでの弱さ(WRCのターマックで一度も勝ったことがない)は彼にとって不利に働く。3つのメーカーで4つのチャンピオンを獲得した事実は、25勝と同様に十分に印象的だ。
口髭のマエストロが特別な存在であることを示すのは、グループB、グループA、WRCのマシンで勝利を収めたという事実であり、これほど多才なドライバーはほとんどいない。
常に最速というわけではなかったが(フィンランド人にしては不思議なことに、左足でブレーキをかけることはほとんどなかった)、カンクネンのシルクのように滑らかなスタイル、メカに対する理解力、冷静な判断力は、常に適切なタイミングで適切な場所を走ることに繋がり、ライバルにプレッシャーをかけてミスを誘い、それを利用して優位に立つことができた。
プジョー205 T16でも、ランチア・デルタでも、スバル・インプレッサWRCでも、カンクネンは偉大なドライバーとして語り継がれていくことだろう。
セバスチャン・ローブ
勝利数:79 ワールドタイトル:9
統計的に見て、ローブが偉大な選手であることは否定できない。ラリーでの最多優勝。世界タイトル獲得数。ステージ優勝回数。どれも素晴らしい経歴だ。「Le Patron(ボス)」と呼ばれるローブのスピードと才能は疑う余地がなく、信じられないほど限界に近いところまでマシンを運びながら、その限界を超えることはほとんどないという不思議な能力を持っている。
フィンランドとスウェーデンのラリーを制覇した数少ない非スカンジナビア人の1人である彼は、ル・マンの表彰台、WTCCでの勝利、パイクス・ピークでの驚異的な記録などを手にしている。また、WRCラリーで全ステージを制覇した唯一の人物でもある(2005年コルシカ)。また、2006年のモンテカルロでは、初日のミスで順位を下げた後に2位に浮上するなど、驚異的なカムバックを果たしている。
では、なぜ彼の名前がトップにないのか?WRCの記録はすべて、大金を投じていたシトロエン・チームの全盛期に獲得したものであり、その後のタイトル獲得は、トップレベルのライバルやチームがほとんど存在しない、競争が衰退した時期に獲得したものだからだ。
コリン・マクレー
勝利数:25 ワールドタイトル:1
間違いなく最も有名なラリードライバーであるマクレーは、最速のドライバーの1人でもあり、最も華やかなドライバーでもあった。ヴォグゾール・ノヴァに乗っていた初期も、スバルやフォードに乗っていた後期も、コリンのマシンコントロールと献身は賞賛に値するものだった。天性の才能に恵まれたこのスコットランド人は、ライバルたちがしばしば口を開けて理解できないほどの速いステージタイムを出すことができた。
しかし、この別世界のようなスピードは、ほんの少しだけハードにプッシュしすぎる傾向があり、野心的なコーナー進入速度の余波で勝利やタイトルを失うこともあった。サファリやアクロポリスで何度も優勝していることからもわかるように、マクレーはメカニックとしての素質も持っていたが、ステージタイムをより速くするために必要以上にプッシュしたくなる衝動を抑えることができなかったのだ。
結局、WRCの後期型マシンがコリンのスタイルには合わず、1992年以来、未勝利のまま2003年末にWRCから身を引いた。
カルロス・サインツ
勝利数:26 ワールドタイトル:2
1987年にWRCにデビューしたサインツは、現代のプロのラリードライバーの雛形を作った人物である。この強烈なスペイン人は、クルマの性能を余すところなく引き出すことに執念を燃やしていた。他のドライバーが単に与えられたものを走らせるのに対し、サインツはタイヤ、スプリング、ダンパーのセッティングをすべて評価し、改善点があればすべてをやり直していた。
彼のスター性が高まり始めたのは、1989年にトヨタに加わり、ST165セリカGT-4の開発に携わったときだ。1990年にはフィンランドの1000レイクラリーで北欧以外の国から初めて優勝し、2つのワールドタイトルのうちの1つを獲得したのである。マシンの故障がなければ、さらに3つのタイトルを獲得していただろう。完璧さを追求した結果、2004年には若い新人を抑えて勝利を収めている。
2006年にWRCを引退した後も、ダカール・ラリーで3度の優勝を果たしており、その勢いは衰えることを知らない。
トミ・マキネン
勝利数:24回 ワールドタイトル:4
1996年から1999年にかけて、トミ・マキネンは三菱ランサー・エボリューションで4度のワールドタイトルを獲得した。フェラーリのミハエル・シューマッハのように、彼のマシンを開発・準備した英国のラリーアート・チームは、圧倒的な強さを追求するトミー・マキネンを中心に構成されていた。
操縦桿を握る彼のデジタルなアプローチは、マクレーの名人芸とは相反するものだったが、目の覚めるような速さは紛れもない事実だった。母国フィンランドでは4度の優勝を果たしているが、他の国の選手とは異なり、モンテカルロで4度、サンレモでも優勝するなど、ターマックでも速さを発揮していた。
ローブと同様、マキネンが偉大なドライバーであることを証明するには、24勝のうち22勝を三菱で挙げたように、1つのメーカーで成功を収めたという事実が必要だ。しかし、マクレー、サインツ、バーンズ、オリオール、カンクネンなどのライバルがいたため、簡単には勝てなかったのである。
リチャード・バーンズ
勝利数:10 ワールドタイトル 1
マクレーのアイルトン・セナに対するアラン・プロストのような存在であるバーンズの驚異的な能力は、統計では語り尽くせないほどだ。22歳で英国史上最年少のラリーチャンピオンとなったバーンズは、コ・ドライバーのロバート・リードとのコンビで、準備とプロフェッショナリズムの新たな基準を打ち立てた。特に詳細なペースノートは、頭の中で前方のステージの4K HDRのような製造を構築することを可能にしたのだ。1997年のRACラリーでは最も顕著だ。
ラドナーを通過する16kmのコースでは、霧に覆われて視界がきかなかったが、リチャードの三菱はマクレーのスバルより1分も速かったのだ。さらに、ステージ中盤ではディディエ・オリオールを捕らえて追い抜き、困惑させる場面もあった。
1999年から2001年にかけて、スバル・インプレッサWRCで最高のパフォーマンスを発揮し、8つの大会での優勝とワールドタイトル獲得を果たした。プジョーでの2年間は期待に応えることができず、2004年にスバルに戻ったものの、2005年には脳腫瘍により34歳の若さでこの世を去った。
ビョルン・ワルデガルド
勝利数:16 ワールドタイトル:1
史上初の公式ドライバーズ・ワールドチャンピオンとなったビョルン・ワルデガルドは、すべてのマシンで速さと安定性を発揮した。また、他のドライバーが引退した後も、彼の卓越した才能によって勝利を続けることができたため、長いキャリアを築いた。
1969年のモンテカルロ・ラリーで優勝し、ポルシェ911で頭角を現した彼は、ランチア・ストラトス、フォード・エスコートMK2、メルセデス500 SLCなど、さまざまなマシンで勝利を重ねた。最後の勝利は、最初の勝利から21年後の1990年、トヨタ・セリカGT-4で過酷なサファリ・ラリーを制覇したときだった。
雪と砂利の国スウェーデンで育ったワルデガルドは、アフリカの砂埃に最も馴染んでおり、サファリで4勝、コートジボワールで3勝を挙げている。アフリカ大陸をこよなく愛していたワルデガルドは、60代になってもイースト・アフリカン・クラシック・サファリに参戦し続け、2007年と2011年には完全優勝を果たしている。
ワルター・ロール
勝利数:14 ワールドタイトル:2
多くの人にとって、ロールは「ドライバーの中のドライバー」であり、生粋のドライビングの才能と知的センスの融合によって、路面やマシンを問わず手強い相手となっている。14勝と2つのワールドタイトルがそれを物語っているが、真価を発掘するにはもう少し掘り下げなければならない。
例えば、モンテカルロ・ラリーでは、後輪駆動のオペル・アスコナ、ミドエンジンのランチア037、ターボ付き4輪駆動のアウディ・クワトロという全く異なる3台のマシンで3連覇を達成した。また、火を噴くような恐ろしいS1クワトロと格闘して勝利を収めた唯一のドライバーでもある(1985年サンレモ)。また、彼の多才さは、ル・マン24時間レースでのクラス優勝、パイクス・ピークでの優勝、DTMやIMSAシリーズでの優勝にもつながった。
では、なぜ彼は上位にランクインされていないのか?それは、才能に恵まれていたにもかかわらず、フィンランドの1000レイクや英国のRACなど、専門性が高すぎたり、地元の知識が必要とされるイベントをスキップしたからだ。
マルク・アレン
勝利数:19 ワールドタイトル:0
スターリング・モスのように、マルク・アレンは間違いなく、ワールトタイトルを獲得したことのない偉大なドライバーだ。というのも、1986年のサンレモでは、FISA(国際自動車連盟)の政治的な思惑により、彼と彼の所属するランチア・チームが優勝を逃し、宿敵プジョーのユハ・カンクネンに王座を明け渡してしまったからだ。
「最大限の攻撃」というキャッチフレーズで知られるアレンは、史上最も速いドライバーの1人だった。20年近くをフィアットとランチアで過ごした彼は、冷徹なフィンランド人というよりは激しいラテン人のような気質を持っていた。成功のほとんどはグループAとBの両方のランチア・デルタであったが、彼が最も楽しんだのは、小柄な体を狭い室内に押し込むミドエンジンの037であった。
軽くてスーパーチャージャーを搭載した後輪駆動の037は、1982年と1983年のツール・ド・コルスのラリーで連覇を果たし、グラベルだけでなくターマックでも速さを発揮した数少ないフィンランド人の1人となった。
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