ストラダーレ版も高値安定? ランチア×アバルトの怪物
名門「ボナムズ・オークション」社は2025年2月、「LES GRANDES MARQUES DU MONDE À PARIS(パリに集う世界の偉大なブランドたち)」と銘打ち、レトロモビルに訪れる目の肥えたエンスージアストを対象とした大規模オークションを開催しました。今回はその出品車両のなかから、国際クラシックカー・マーケットでもあまり見る機会のないランチア「デルタS4」のストラダーレ版をピックアップ。そのあらましと注目のオークション結果についてお伝えします。
20年以上日本に棲息したランチア「デルタS4」が2億7000万円! ワークスの姿を今に伝える奇跡の個体でした
狂瀾のグループB時代を象徴するモンスターとは?
グループBの栄冠をめぐる争いは、1982年のクラス導入から1986年シーズン終了まで続き、アウディやシトロエン、フォード、ランチア、オペル、プジョー、ローバーといった自動車メーカーが、実質的に制限のないこのカテゴリーで4輪駆動、「ツインチャージ」、ケブラー繊維のような宇宙時代の素材の使用といった革新的な自動車技術を、今日まで伝説として語り継がれているいくつかのホモロゲーション車両に投入していた。
ランチアとアバルトの傑作「037ラリー」はグループB時代の初代王者となったものの、1984年と1985年のシーズンはアウディとプジョーに苦しめられたランチアの役員たち、そして智将チェーザレ・フィオリオ率いる「ランチア・スクアドラ・コルセ」は、1986年シーズンに向けて037の後継車のプロジェクトを立ち上げた。
ランチアとアバルトのエンジニアたちの創意工夫は、フィオリオたちのニーズにみごと応え、グループB時代最強の怪物ランチア「デルタS4」(通称038)を生み出す。まず、シャシーはクロモリ製チューブラーフレームをベースに設計。アルミ合金で補強されたスチールフレームは、エポキシ樹脂とカーボンケブラーのボディパネルで覆われた。サスペンションのピボットポイントはチューブラーフレームの一部に直接溶接され、ラリー競技中のメンテナンスや修理を簡素化した。
まったく異なる2つの強制吸気技術を組み合わせた
パワーユニットは、オーバースクエア1759ccの直列4気筒DOHC 16Vエンジンを搭載。しかしS4における最大の革新は、まったく異なる2つの強制吸気技術を組み合わせ、複合的なメリットを得ることにあった。ターボは高回転域でのハイパワーを可能にしたが、低回転域でのパフォーマンスを高めるにはタイムラグという問題があった。そこで、エンジンの全域でパワーとトルクをスムーズに発揮するために、ヴォルメトリコ・スーパーチャージャーを追加するという画期的な手法がとられる。
その結果として恐るべき高性能マシンが誕生し、1985年に初の公式レースである「RACラリー」で優勝、1986年には緒戦モンテカルロで優勝を飾るも、同年の「ツール・ド・コルス」でトイヴォネン/クレスト組が破滅的な事故で落命。
そしてグループBは危険すぎると判断され、このシーズン閉幕をもって半ば強制的に終了されることになったのだ。
黒メタ&緑アルカンターラの超絶シックなカラーコーデ
ランチア デルタS4における本命、グループB仕様の最高出力は450psとされていたが、ホモロゲーション用量産モデルのツインチャージャーエンジンは最高出力250ps/6750rpm、最大トルク292Nm/4500rpmを発生。このパワーは5速マニュアルギアボックスを介して4輪に伝達され、前後トルク配分は30:70であった。
レーシングバージョンと「ストラダーレ(ロードバージョン)」は可能な限り類似させることを意図していたが、デルタS4 ストラダーレには高価格への説得力を持たせるべく、より防音性の高い豪華なコクピットが与えられる。ザガートがデザインした2つのシートは、ドアパネルとヘッドライナーと同様にアルカンターラで張られていたほか、パワーステアリングとエアコンも装備されていた。
グループBホモロゲーションのために200台を生産、その大半をストラダーレとして市販する予定ではあったものの、037ラリーをさらに上回る高価格のせいか、デルタS4 ストラダーレは商業的成功を得ることなく、1985年から1990年にかけてわずか71台が販売されたのみであった。経済的な理由から、生産された残りの車両は破棄されたか、高額な保証費用を避けるために部品として売却されたようだ。
このほどボナムズ「LES GRANDES MARQUES DU MONDE À PARIS 2025」オークションに出品されたランチア デルタS4 ストラダーレは、1985年に生産された個体。シャシーナンバー「0017」で、エンジンナンバー「0059」。ストラダーレ版のボディ架装を受託していたカロッツェリア「サヴィオ(Savio)」のシリアルナンバーは「3032」で、1987年8月4日に、ジャガーによるレース活動でも知られる「クームズ・オブ・ギルフォード(Coombs of Guildford)」社を介して、新車として初代オーナーに販売された。請求書の原本によって確認されたところによると、当時の価格は4万4442ポンドだったとのことである。
ボディカラーは、濃赤が多数を占めるS4 ストラダーレではとても珍しい「ネロ・メタリッツァート(黒メタリック)」で、「ヴェルデ(緑)」というこれまた珍しい色のアルカンターラ内装が施されていたが、これらはすべて新車時からの純正コーディネートという。
愛情深いオーナーに愛されてきた1台
その後ジャン・クリスチャン・G氏なるフランス人に譲渡され、1990年にフランスに輸入されたものの、当時のデルタS4は「Service des Mines(フランスのホモロゲーション・サービス)」にとって未知のモデルであったため、正規のナンバー登録には2年を要した。そのため、このファイルには、G氏、Serves des Mines、ランチア/フィアットの各事務所の間で交わされた、フランスで登録するための多くのやり取りが含まれている。最終的にデルタS4が1992年10月26日付にてフランス国内で登録されたのは、車両に添付されて引き渡されるファイルに含まれていた「DGM 51831 OM」ホモロゲーション書類のおかげであったという。
そして現在のオーナーはジャン・クリスチャン・G氏の友人で、2000年から四半世紀にわたりこの個体を所有し、暖房の効いたガレージに保管しているとのこと。現在の走行距離は5600kmほどに過ぎないが、最新の点検整備が施されており、当カタログの撮影のためにも走行を披露している。
また、フランスでの登録書類(Carte Grise)、2つのスペアキー、取扱説明書、ウォレット、スペアパーツカタログ、純正ツールキット、クロモドラ社製純正スペアホイール、ジャッキなどのオリジナルアクセサリーもすべて付属していたとのことだった。
1985年に製作されて以来一度も改造されることなく、再塗装も施されていない。愛情深いオーナーに愛されてきた、このデルタS4 ストラダーレに、ボナムズ社は48万ユーロ~68万ユーロ(邦貨換算約7680万円~約1億880万円)という、なかなか強気のエスティメート(推定落札価格)を設定していた。
そして2025年2月6日、パリ「グラン・パレ・ヒストリーク(Historique du Grand Palais)」にて行われた競売では順当にビッド(入札)が進み、終わってみれば62万6750ユーロ。つまり現在のレートで日本円に換算すれば、約1億20万円という驚きの高価格でハンマーが鳴らされたのである。
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みんなのコメント
下半身は後ろから蹴っ飛ばされて前へ乱暴に吹っ飛んでいくような感覚
逆に上半身は思いっきり後ろへグンと引っ張られているような感覚だった。
加速がもうデルタとは別物で デルタが普通乗用車に感じてしまい、
乗れてよかったけど、乗るんじゃ無かったと、ちょっと後悔しました。