フォルクスワーゲン ゴルフ (ハッチバック) のみんなの質問

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1970年代、VW社は空冷RR車のビートルから水冷FF車のゴルフへの転換を成功させました。

ほとんど単一車種で会社を存続させていた同社としては、存亡をかけた大勝負だったと思いますが、はたしてゴルフの手本になった車は当事存在していたのでしょうか?もしもそのような車が存在していなかったとしたら、どうしてこのような変革ができたのでしょうか?不可能に思えるのですが。

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ベストアンサーに選ばれた回答

VWは1965年にアウトウニオン(現在のアウディは元々アウトウニオンの保有ブランド)を傘下に収め、1969年にはNSUを買収してアウトウニオンと併合しています。アウトウニオン、NSUの両社ともFF車を得意としていて、VWのFF技術はこの2社から引き継いだものです。

2ボックス型のエンジン横置き前輪駆動車としては、1950年代には既にBMCミニが登場していたし、ジアコーサ式前輪駆動も1964年にはフィアット系で量産が開始されてます。

質問者からのお礼コメント

2023.11.13 16:14

素晴らしいお話し、有難うございます。謎が解けた思いです。他の方々も有難うございました。

その他の回答 (3件)

  • 当時VW傘下にあったアウディNSUアウトウニオンのNSU・K70(VW・K70として発売)や同じくアウディNSUアウトウニオンのアウディ・80とその姉妹車VW・パサートあたりの影響が大ですね。

    Type1の後継車は当初ポルシェに設計を依頼したEA266でしたが、前社長死去に伴って社長に就任したルドルフ・ライディングはコスト(車両そのものが高価だっただけでなく、ポルシェへのライセンス料もType1同様に1台あたりで支払う必要があった)面でEA266の開発中止を決定。当時の開発陣の人脈の関係や、ゴルフ開発責任者の好み(衝突安全性から横置きFFを好んだ)もあって上記の結果に落ち着きました。

    K70は世界初のロータリーエンジン車Ro80の姉妹車(エンジンはレシプロ)でしたが、Ro80の大失敗を受けて低迷。パサートは十分なヒット作でしたが元々VWのラインナップにはなかったクラスであったこともありゴルフの成功の前に霞んでしまったといったところでしょうか。

  • 空冷ビートルは原価が高すぎてゴルフに切り替えた話を聞く。
    当時最終型ビートルに乗っていたけど、車検の代車はゴルフ。
    しかも良くチューニングされた奴で、素晴らしく操縦性が良く、麻薬のようにいつまでも走りたくなる。
    12カ月点検で整備に行ったのに、帰りはゴルフの注文契約書にハンコ押していた。今思うとゴルフ神話作り、所長まで含めた営業戦略があった気がする。ビートルの下取りも、かなり高額だったし。
    あの高額なビートルの下取りだったら、トコロテン式にゴルフに乗り換えても不思議じゃない。ビートル新車160万で買って3年4万キロ乗って110万円下取り

  • Dジェトロ・ニクスの開発とFIAT車の影響が有るのでは?

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