開くだけでカッコいい ガルウィング搭載車
クルマをドラマチックに演出したいなら、ガルウィングドアをつけるのが一番簡単な方法だ。メルセデス・ベンツの300SLガルウィングが登場して以来、このドアは高級車の代名詞ともなっている。
【画像】わくわくが止まらないガルウィングドア【300SL、デロリアンなど記事で紹介したモデルを写真で見る】 全130枚
ガルウィングドアは、カモメ(Gull)の翼のように開くことからこのように呼ばれる。乗り降りするためだけのアイテムではないが、どのような用途であれ、ガルウィングは人々を惹きつけてやまない。
今回は、ガルウィングを装備したメモリアルなモデルを年代順に紹介したい。
メルセデス・ベンツ300SL – 1954年
1950年代を代表するスーパーカーである300SLは、正式には「ガルウィング」と呼ばれたことはないが、そのドアの機構から広くそう呼ばれている。この愛称が定着したのは、当時のメルセデスの頑丈さを完璧に表現しているからだ。ガルウィングドアは、見た目ではなく強度を高める巨大なシル構造のために必要だったのだ。
だが、後に登場した300SLロードスターでは、使い勝手に優れた通常のドアを採用しながら、さらに高いボディ強度を確保することに成功している。それでも、富裕層や著名人をはじめとする大きの人がガルウィングを選んだ。
メルセデスの初期のレーシングカーをもとに開発された300SLは、社交界だけでなくサーキットでも大いに活躍。アルミニウムを使用した軽量バージョンも29台作られている。
デ・トマソ・マングスタ – 1967年
ガルウィングはいいが、別にドアにこだわる必要はない。エンジンカバーに採用すれば、もっと素晴らしいデザインが出来上がるのではないか。そう考えたデ・トマソは、同社初のスーパーカー、マングスタを開発した。リアのヒンジを開けると、4.7L V8エンジンが現れる。
エンジンカバーの上部はガラス張りになっており、通行人にマングスタのパワートレインを見せつけることができたが、ドライバーの後方視界を確保することはほとんどできなかった。
イタリアと米国にルーツを持つデ・トマソゆえか、当時のエキゾチックカーと比較してもかなり高い価格で販売された。1972年までに約400台が生産されている。
メルクスRS 1000 – 1969年
旧ソビエト時代の東ドイツで、ガルウィングドアのスポーツカーを製造することは難しいはずが、メルクスRS 1000はそれを成し遂げてしまった。メルクスの低床クーペボディは、乗降性に優れたドアを必要としたため、ガルウィングが採用された。共産圏には似つかわしくない、流麗なフォルムによくマッチしている。
グラスファイバー製ボディの下には、ヴァルトブルク製の992cc 2ストロークエンジンを搭載。鉄のカーテンの「向こう側」で培われた2ストロークエンジンのチューニングのノウハウが生かされ、最高出力は69ps、最高速度は165km/hに達した。
メルセデス・ベンツC111 – 1970年
コンセプトカーのように見えるが、実際には16台のC111が製造されている。量産車というわけでもない。それは、300SLで初めて採用したガルウィングドアを再び使用するなど、新しい技術を試すために作られたからだ。
C111は自動車デザイナー、フリードリッヒ・ガイガーの作品であり、ガルウィングドアもデザインの重要な一部であった。技術的なチャレンジというよりも、モーターショーに出展したときに、ジャーナリストの目に留まるようにするために採用されたのである。しかし、オイルショックにより量産化は断念せざるを得なくなった。
Siva 160 – 1971年
Siva 160は、英国のスペシャリティカーメーカー、Siva Engineering社が手がけたモデルであり、ガルウィングドアを採用したのはデザイナーのネヴィル・トリケットの提案である。
フォルクスワーゲン・ビートルのプラットフォームをベースとしたため、製造コストは安かったが運転する楽しみは少なく、わずか12台しか作られていない。しかし、この時代のスペシャリストカーとしては最高レベルの完成度を誇り、これを実現した頭脳集団の功績は大きい。
ブリックリンSV-1 – 1974年
ブリックリンSV-1は、その誕生から生産に至るまでに大きな変化を遂げている。当初はマルコム・ブリックリンの発案により、安全性を重視したガルウィングドアのクルマを作ろうということで、エネルギー吸収ガラス繊維のボディが採用された。しかし、1974年に発売された時点で、生き残ったアイデアはこのドアだけだった。エンジンも4気筒からV8に変わり、コルベットのライバルとして登場したのである。
ガルウィングドアは電動油圧式の開閉機構を採用しており、ボタン1つで操作できたが、40kgもの重量を持ち上げるために最大12秒もかかってしまう。さらに、モーターに負担をかけないようにするため、一度に1枚ずつしか操作できない。
エンビーサ・チャージャー – 1977年
1970年代のキットカーブームは、多くの自動車デザイナーたちの夢を現実のものにしたが、エンビーサ・チャージャーは、その中でも特に完成度の高い作品であった。フォルクスワーゲン・ビートルのシャシーをベースに、低く構えたルックスを持たせ、大型ガルウィングドアを装備した2シーターである。
1982年に登場したチャージャー2は、4人乗りで、ロータス・エスプリを意識した丸みを帯びたルックスとなっている。ガルウィングドアはそのままに、90台が完成。初期モデルとあわせて510台が販売された。現在では、空冷フォルクスワーゲンにノスタルジーを求める人たちの間で注目度が高まっている。
アストン マーティン・ブルドッグ – 1979年
アストン マーティン・ブルドックは、従来の曲線的なクーペとは一線を画す存在である。ウェッジシェイプの巨匠、ウィリアム・タウンズがデザインしたブルドッグは、半ば必然的にガルウィングドアを採用。乗降性を確保するためには、通常のドアでは長すぎるため、この方式が使われたのである。
ガルウィングドアによって設計上の制限から解放され、ブルドッグのトレードマークであるサイドウインドウの角度が強調された。コックピットの後ろには、最高出力700psの5.3L V8ツインターボエンジンを搭載。本来なら、アストンをスーパーカー界のトップに押し上げるはずだったが、残念ながらたった1台しか作られなかった。
デロリアンDMC-12 – 1981年
鳴り物入りでデビューしたデロリアンDMC-12。注目の理由は、無塗装のステンレススチール製ボディと、驚くべきガルウィングドアにある。1万2000ドルという比較的手頃な価格で、スーパーカーのような外観を実現したのだ。
ドアは経年劣化で垂れ下がり、部品の交換が必要になるが、ドアが劣化するより早く会社自体が斃れてしまった。
搭載された2.8L V6エンジンの出力は130ps程度とマイルドで、見た目の割に性能が低かった。ハンドリングも、ロータスが最善を尽くしたにも関わらず、見かけ倒しなものである。さらに、社長が麻薬取引で訴えられたことと不況が重なり、世界でわずか1万台しか売れず、すべてが失敗に終わった。
オートザムAZ-1 – 1992年
日本の軽自動車は、厳しいサイズ制限の中、競争の激しい市場において少しでも目立たせるために、デザインに手を抜くことはできない。トヨタMR2やフォードRS200、フェラーリF40を思わせる小さなクーペ、オートザムAZ-1のガルウィングドアはそのためのものである。
マツダとスズキの混血で、657ccの3気筒ターボエンジンを搭載したAZ-1の最大と特徴は、何と言ってもこのドアだろう。スズキも独自にキャラというモデルを販売しており、AZ-1と並んで未だにカルト的な人気を誇っている。中古車でも200万円前後が相場となっているようだ。
イズデラ・コメンダトーレ – 1993年
ドアに限らず、トランクリッドもガルウィングにすればいいではないか。この、デ・トマソ・マングスタ(先述)を発展させたような提案がイズデラ・コメンダトーレ112iの特徴を生んだ。大型で厚みのあるガルウィングドアは乗降のためだが、リアデッキにもセンターラインにヒンジが設けられており、ドアと同じように翼を広げるのである。
これにより、AMGチューンの6.0L V12エンジンにスパナをかけるためのスペースが十分に確保されている。エーベルハルト・シュルツ率いるチームが手がけたコメンダトーレは、メルセデスの協力を得て設計・製造された。
両者に直接的な関連性はないが、エンジンやリフトアップドアなど、メルセデスのCLK GTRとコメンダトーレの間には類似点がある。しかし、イズデラの方は2台しか製造されなかった希少車である。
ブリストル・ファイター – 2004年
ブリストル・カーズのやることだ。物事が一筋縄でいくはずがない。ファイターの発売でも、ちょっとしたゴタゴタがあった。当初はアルミニウム製を想定していたコア構造は、途中でスチール製となったのだ。しかし、ガルウィングドアはカーボンファイバー製で、軽量と乗降性を確保した。
航空機製造にルーツを持つブリストルらしく、この「ファイター」のドアはよく似合う。ダッジ・バイパーから流用した8.0L V10エンジンにより、0-97km/h加速4.0秒、最高速度338km/hを達成。しかし、7年間でわずか13台しか売れなかったため、あまりにも寂しい幕引きとなってしまった。
グンペルト・アポロ – 2005年
ローランド・グンペルトは、理想のクルマを実現するために、レースにインスパイアされたガルウィングドアをアポロに採用する。ル・マンの耐久レーサーをそのまま市販化したかのようなデザインだが、サーキット走行も可能な公道向けモデルとして設計されている。
コックピットへ乗り込むのはそれほど難しくもないが、キャビンはちょっと窮屈な感じ。アウディ製の4.2L V8ツインターボに火を入れると、最高出力650psを発揮し、0-97km/h加速は2.9秒をマークする。現在は後継のインテンサ・エモツィオーネにバトンタッチしているが、ガルウィングドアは健在である。
メルセデス・ベンツSLS AMG – 2010年
メルセデスが2010年に発表したスーパークーペ、SLSでは、初代300SLのすらりとしたイメージを再現しようとした。しかし、ドア以外の部分ではSLRマクラーレンを踏襲しており、V8エンジンの獰猛なサウンドや、ハンマーで叩きつけるようなパフォーマンスも、特徴の1つとなっている。
それでも、SLSの最大の注目点は、そのドアである。ドアを開けるときに飛び出す可憐なドアハンドルは、見ていてとても楽しい。ドアを開けるときはガスダンパーによってかなり軽くなっているが、重量増を理由に電動アシスト非搭載のため、下ろすのは大変。乗り降りに関しては、初代のガルウィングと同じで、運動性能と気の利かなさがミックスされている。
パガーニ・ウアイラ – 2012年
センセーショナルなゾンダに続くセカンドアルバム、ウアイラ。パガーニにとってはかなり困難な開発プロジェクトであったが、設けられた課題は見事に克服している。ゾンダより明らかにスマートでパワフル、しかも速く、運転しやすくなっている。同時に、ガルウィングドアにもこだわっている。
ドアはこの種のクルマとしては驚くほど実用的。高い位置まで持ち上がり、シルも低くできているので、乗り降りが非常に楽なのだ。ロードスター仕様もガルウィングドアを採用するという話があったが、最終的には通常のヒンジドアになった。
テスラ・モデルX – 2015年
テスラはモデルXのリアドアを「ファルコンウィング」と呼びたがっているが、正直なところ、これはガルウィングだ。スーパーカーではなく、ファミリー向けのSUVにこのタイプのドアがあるのは珍しい。後席への乗降性が高いのもガルウィングのおかげだ。
また、電動のフロントドアと一緒に小さなダンスをするようにプログラムすることも可能だ。狭い駐車場で隣のクルマにぶつけることなく開閉しやすいようになっているのも、嬉しいポイントだろう。
クワントF – 2015年
リヒテンシュタイン公国に拠点を構える小さな自動車メーカー、ナノフローセル(nanoFlowcell)が、どのようにしてこのガルウィングのスポーツカーを作り出したのか。気になることはたくさんある。
クワントFは4人乗りの2ドア・クーペで、4人全員が同時に乗り降りするのに十分長いガルウィングドアを備えている。ボディと同様にカーボンファイバー製で、可能な限り軽量化されている。また、2つのイオン液体を使ったフローセル蓄電技術で発電し、そのエネルギーを使って電動で動くようになっている。
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みんなのコメント
その当時の車はエアコンが付いていなくて汗かくほど暑い車だったと言っていた。