誰も知らないVW車
フォルクスワーゲンは、本拠地であるドイツ北部ウォルフスブルクに2つの博物館を運営している。
【画像】これも市販化してほしかった…開放的なレトロバギー【フォルクスワーゲンIDバギー・コンセプトを写真で見る】 全38枚
1つは「ツァイトハウス(ZeitHaus)」と呼ばれ、有名な100台のクルマが生き生きと展示されている。ランボルギーニ・ミウラ、オースチン・ミニ、キャデラック・エルドラド、そしてもちろんフォルクスワーゲンのモデルを見ることができる。
「シュティフトゥング(Stiftung)」と名付けられた2つ目の博物館は、フォルクスワーゲンがこれまで雇ってきた優秀なエンジニアたちの頭の中を覗くような場所である。知る人ぞ知るワンオフ車、重要な量産車、一般公開されることのなかったプロトタイプ、かつて人気を博したコンセプトカーなどがすべて同じ屋根の下に集結している。
今回は、シュティフトゥング自動車博物館の興味深い展示を紹介しながら、同社の歴史の陰で忘れ去られた側面を探求していきたい。
1955年 EA48(1)
量産されることはなかったが、フォルクスワーゲンが1955年に開発したEA48プロトタイプは、1959年発売のオースチン・ミニに驚くほどよく似ている。EA48はビートルよりも小型で、性能と価格を抑えた乗用車として構想された。ビートルと部品を共有すればコストを抑えることができただろうが、設計者は文字通り白紙の状態から線を引き始めた。
EA48はフォルクスワーゲン初の小型車であり、ポルシェからの技術提供を受けずに独自に設計された初のモデルである。モノコック構造、フロントエンジン・フロントドライブ(FF)、マクファーソン式フロントサスペンションを採用するなど、当時としては前例のない設計だった。プロトタイプにはリアのサイドウィンドウがないが、フォルクスワーゲンは発売前に追加する予定であった。
1955年 EA48(2)
EA48に搭載されているエンジンは、基本的にはビートルの水平対向4気筒エンジンを半分にカットしたものだ。空冷式の0.7L水平対向2気筒エンジンは最高出力18psを発生し、最高速度は80km/hに達する。当時、同サイズのライバルの多くがまだ3速だったのに対し、4速マニュアルを採用している。
フォルクスワーゲンはEA48を公道でテストし、その欠点を修正しながら量産計画を練っていたが、やがてビートルの販売に与える影響について問題視されるようになった。当時の主力モデルであるビートルは、ようやく消費者の心をつかみ始めたところであり、より小型で安価なクルマを発売すればこれまで築いた基盤を破壊してしまうのではないかと心配する声もあった。
興味深いことに、競合するボルクヴァルト社の創設者カール・F・ボルクヴァルト(Carl F. Borgward)氏も西ドイツ政府にフォルクスワーゲンに開発中止を要請するよう強く求めた。ルートヴィヒ・エアハルト経済相はこれを受け、フォルクスワーゲンの代表であるハインツ・ノルトホフ氏に対し、EA48が生産ラインの最終段階まで進めば、ライバルブランドで何千もの雇用が失われると警告した。
結局、EA48の開発は1956年に中止され、自動車史の日陰に置かれることになった。
1961年 タイプ3カブリオレ
1961年に発売されたタイプ3は、ビートルよりも上級のモデルであったため、オープントップの派生モデルを導入することは理にかなっていた。フォルクスワーゲンは、米国で間違いなく売れるであろうエレガントなプロトタイプを製作したが、カルマン・ギアのコンバーチブルと社内で競合するのを恐れて、開発を中止した。
1963年 EA128(1)
博物館のコレクションの中でも特に魅力的な1台であるEA128は、1963年に誕生した。ポルシェとの提携を深めながら高級化を進めるというフォルクスワーゲンの戦略の一環として開発されたものだ。
ポルシェの協力により開発されたリアエンジンの4ドア・ファミリーカーで、911の空冷2.0L水平対向6気筒エンジンのデチューン版を搭載している。最高出力は90psで、最高速度160km/hを達成。アウトバーンの左車線(追い越し車線)を走れる初めてのフォルクスワーゲン車となる可能性もあった。
1963年 EA128(2)
EA128のリアサスペンションは、ポルシェ911と類似した設計であった。もし量産化されていたら、米国でシボレー・コルベアと直接競合することになっただろう。しかし、「国民車」ブランドが高級車を作ることに対して一部の消費者の反感を買う懸念もあり、試作にとどまった。このジレンマが解決されたのは、1990年代後半にフェートンの開発が承認されたときである。
1969年 EA276
EA276は、初代ゴルフの原型となったプロトタイプの1つである。フォルクスワーゲンはビートルに代わる新型車を模索する中で多くのデザインスタディを製作したが、EA276は特に角ばったデザインで、FF方式を採用していた。しかし、ヘッドライトの間にグリルを配置するというのは、当時は誤解を招くデザインであった。
フォルクスワーゲンはすでに水冷エンジンの実験を開始していたが、EA276は、ビートルで実績のある空冷式フラット4エンジンを搭載していた。外観的にも技術的にも、ビートルと初代ゴルフのギャップを埋める1台である。
1971年 ESVW I
1970年代初頭、フォルクスワーゲンは米国運輸省(DOT)と協力して安全性の高いクルマ、すなわち「死なないクルマ」の開発に取り組むようになった。自動車メーカーは、高速衝突時に乗員の命を守るためのアイデアを提示するよう求められた。そのアイデアは、いかに高価で見た目が悪くても構わないというもので、いずれは市販モデルに採用されることが前提とされた。
フォルクスワーゲンが1971年に発表したESVW Iと呼ばれるプロトタイプは、衝撃吸収プラスチック製のフロントエンドや保護パッド付きメータークラスターなど、さまざまな革新的技術を搭載している。リアに搭載された1.8Lのフラット4エンジンは、最高出力100psを発生する。
1972年 T2 GT70
自動車業界では一般的に、「GT」というイニシャルは高速かつ高性能なクルマを表すものだ。しかし、フォルクスワーゲンT2(ワーゲンバス)の場合、実験的なガスタービンエンジンが搭載されていることを意味する。
フォルクスワーゲンは量産化の可能性を探るため、米国のウィリアムズ・リサーチ・コーポレーション社の協力を得てこのプロトタイプを製作した。最高出力75psのガスタービンは従来のピストンエンジンよりもコンパクトで、効率性に優れていた。しかし、重量がはるかに重く、生産コストも高かったため、開発はすぐに中止となった。
1973年 ベイシス・トランスポルター
フォルクスワーゲンは、新興国向けの低価格トラックとしてベイシス・トランスポルター(Basis-Transporter)を構想した。そこで、生産コストが安く、基本的な工具だけで修理可能なシンプルな構造が求められた。
ベイシス・トランスポルターでは簡単にボディを付け替えたり、拡張したりすることができるラダーフレーム構造を採用し、同社おなじみの空冷式水平4気筒エンジンを搭載。エンジンは運転席の真下に配置され、トラック後部のスペースを最大限に活用できるようにした。
博物館に展示されているベイシス・トランスポルターはプロトタイプだが、1976年に社内ではEA489と呼ばれる量産モデルが誕生した。一般には「ホーミガ(Hormiga:スペイン語でアリの意)」という愛称で知られ、ドイツのハノーバーでCKD(コンプリート・ノックダウン)キットとして生産されたほか、メキシコのプエブラでも現地市場向けに生産された。生産台数は約6200台。
1973年 プラッテンヴァーゲン
1946年当時、フォルクスワーゲンのウォルフスブルク工場にはフォークリフトがなかったため、従業員たちが創意工夫を凝らして最初のプラッテンヴァーゲン(Plattenwagen)を製作した。ビートルのシャシーに金属製の荷台を載せ、そのリアアクスル上に運転席(屋根はあったりなかったり)を取り付けたのだ。
この原始的なピックアップトラックは、工場内の部品運搬や従業員へのお茶の配給など、さまざまな用途に使用された。1946年から1973年の間に数十台のプラッテンヴァーゲンが製作され、フォルクスワーゲンはこの独創的な車両がT2(ワーゲンバス)の誕生につながったと振り返っている。博物館に展示されている車両は1973年に製作されたもので、最高出力50psの1.6L空冷式水平対向4気筒エンジンを搭載している。
1973年式 T2bオープンエア
構造的強度やボディ剛性などお構いなし。フォルクスワーゲンは1973年にバスから屋根を取り払い、T2bオープンエアという名のオープントップモデルを誕生させた。良くも悪くも、一般向けには販売されなかったが、「アイン・プラッツ・アン・デア・ゾンネ(Ein Platz an der Sonne:陽の当たる場所という意味)」というドイツのテレビ番組で使用された。
1975年 キッコ
コンパクトでありながら室内の広いシティカーというフォルクスワーゲンのビジョンを体現したのが、このキッコ(Chicco)である。全長約3.3mと短いが、4人の乗員が比較的快適に過ごせるだけのスペースが確保されていた。不可能とも思えるこの偉業は、フォルクスワーゲンが1970年代に開発した技術によって達成された。
キッコの動力源は、最高出力40psの0.9L 3気筒エンジンである。基本的には水冷直列4気筒エンジンからシリンダーを1つ取り除いたものだ。エンジンは横置きで前輪を駆動し、エンジンルームのサイズを小さく抑えることができた。キッコは試作にとどまったが、フォルクスワーゲンのその後のシティカー開発に影響を与えた。
1976年 ロボモビル
流線型のグラスファイバー製ボディを持つロボモビル(Rovomobil)だが、はじめはごく普通の1949年型ビートルとして西ドイツで誕生した。その後東ドイツに移り、しばらくは何事もなく平凡な生活を送っていたと思われるが、最終的には熱狂的なファンであるエバハルト・シャルノフスキー氏とブルク・ギービヘンシュタイン氏の手に渡った。
1976年、彼らはビートルからボディを取り外し、手に入る部品や材料を使って、他に類を見ないスポーツカーを作り上げた。ロボモビルのフロントガラス、ワイパー、シートはヴァルトブルク353から、ライトはトラバント601から取り付けられている。最高出力35ps、1.2Lのフラット4エンジンは、オリジナルのビートルと同じである。
1977年 パサートGTI
1975年の初代ゴルフGTIの登場以降、フォルクスワーゲンがGTIモデルのラインナップ拡大を図るのも時間の問題だった。2年後の1977年、最高出力110psの1.6L 4気筒エンジンを搭載した実験的なパサートを開発。ゴルフよりも車重は重いが、それでも印象的なパフォーマンスを発揮した。サスペンションの改良によりハンドリングが改善され、おなじみの赤いアクセントで外観をスポーティに仕上げている。
エンジニアたちはパサートGTIを公道で徹底的にテストし、その出来栄えに感嘆したが、経営陣は開発中止を命じる。パサートはファミリーカーであり、ホットロッドではないというのが彼らの主張だった。それでも、最高出力110psのエンジンは、快適性を重視した最上級モデルのGLIに搭載されることになった。
1984年 ポロのエンジンを搭載したビートル
排出ガス規制により、いずれは空冷式の水平対向4気筒エンジンを搭載したビートルも廃止されると思われていたが、まさか2003年まで生き残るとは誰も予想していなかった。水冷式ビートルの開発は1970年代に開始され、1984年にポロのエンジンを搭載したモデルが試作された。
メキシコ製のビートルをベースに、最高出力45psの1.0L 4気筒エンジンを縦置きに搭載。ラジエーターを車体下部に設置し、分厚いスキッドプレートで保護するなど、通常とは異なるパッケージングを採用した。 ポロのエンジンは後にバスにも搭載されたが、ビートルは生産終了までフラット4エンジンを使い続けた。
1984年 IRVW III
1984年に製作された、第2世代のジェッタをベースとするプロトタイプ。新技術の実験台として使用されたものだ。車高が低いことを除けば、ほぼ標準仕様のように見えるが、最高出力180psを発揮するターボチャージャー付き1.8L 4気筒ディーゼルエンジンが搭載されている。
ちなみに、通常のジェッタに搭載された最もパワフルなターボディーゼルエンジンの最高出力は約80psである。これに100psのパワーが追加されたことで、アウトバーンでは最高速度200km/hでの巡航が可能となった。
1987年 T3マグナ
フォルクスワーゲンは1987年、伝統あるT3の内外装を変更した場合、顧客がどのような反応を示すかを測るために、マグナというプロトタイプを発表した。特徴的なグリルに組み込まれたドライビングライト、丸みを帯びたフェンダー、ツートンカラーの塗装など、さまざまな変更が施されている。ウィンチやフロントブルバーなどのオフロード用装備も追加され、人々の注目を集めた。エンジンは最高出力110psの2.1L 4気筒である。
こうした変更は、市販モデルには採用されなかった。メインのターゲット層にあまり受け入れられなかったか、あるいはフォルクスワーゲンが、欧州および北米でライフサイクル終盤に差し掛かっていたT3に対してこれ以上の費用を投じないことを決めたためだ。
1990年 ビアジーニ・パッソ
フォルクスワーゲンをベースにしたクルマであれば、この博物館のコレクションにふさわしい。イタリアで生産されたビアジーニ・パッソ(Biagini Passo)は、コレクションに最近加わった1台である。初代ゴルフ・カブリオレに、新しいボディキット、フィアット・パンダのヘッドライト、ゴルフ・カントリーのシンクロ四輪駆動システムを搭載。その結果、オープントップSUVの先駆けのような外観となった。
ビアジーニ・パッソは1990年から1993年にかけて65台が生産された。その大半はイタリア市場で販売されたが、少数はドイツでも販売された。現存する車両はかなり希少だ。
1990年 ヴァリオI
1990年に発表されたヴァリオI(Vario I)コンセプトは、ビートルをベースにしたメイヤーズ・マンクスと、2019年公開のコンセプトカー、IDバギーの間をつなぐミッシングリンクとして注目に値する。プラットフォームと1.9L 4気筒エンジンは第2世代ゴルフと共有しているが、ボディはプラスチック製のバギーのようなものだ。ドアがないため、乗客はシルを飛び越えて乗り込む必要がある。マンクスやIDバギーにもドアはない。
ダッシュボードには従来のラジオの代わりに、取り外し可能なソニーのラジカセを組み込んでいる。ヴァリオIは実際に走行可能で、どこに行っても注目を集めたが、フォルクスワーゲンが本気で量産化を検討した形跡はほとんどない。
1995年 バルーン・ビートル
ビートルは、南極大陸を含むすべての大陸を制覇した。船外機を取り付けて船に改造された例もいくつかある。1995年に作られたこちらのビートルは、なんと熱気球の構造を採用し、実際にスイスの空を飛んだ。
純粋無垢なビートルを熱気球に変えるには、屋根に大きな穴を開ける必要があった。最高出力35psの1.2Lフラット4エンジンを搭載し、4本の車輪が地面についているときは通常と同じように走る。
重量配分の理由から、燃料タンク(通常はフロントに装備されている)は小型化され、リアのエンジンルームに押し込められた。フォルクスワーゲン・ビートルは陸海空を謳歌した、自動車史、いや人類史に残るクルマだ。
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