アウディ RS3 スポーツバック のみんなの質問

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1988年のマクラーレンホンダは凄い強かったのに、89年以降は徐々に戦闘力落ちて行きましたよね?
ターボ禁止でNAに移行したことが大きな原因でしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

そんなに急に落ちていたかなぁ?
NAで3500ccという規定でV10というのはホンダが考えたプランだったし....1990年フェラーリは641でV12...結果はセナがプロストに追突してチャンピオン....まぁ接戦だったと思いますが。

その後1991年にはFW14ルノー RS3C、4 V10がライバルとなってリアクティブサスの調子が良い時のFW14とマクラーレン・MP4/6は互角.....ただアクティブが不調の時はパワー差でホンダエンジンが圧倒してたような.....

1992年のFW14Bはリアクティブが完成の域に達しホンダはパワー優先でV12のRA122-E,およびRA122搭載MP4/7をマクラーレンと同時開発して3戦目から投入。

これが完全に裏目になってパワーではFW14BのルノーV10よりも勝っていたが、重いエンジン重量と急造シャシーでFW14Bにコテンパンにされた...という記憶が....

リアクティブサスやセミATなどのハイテク以前に熟成されたシャシーとコンパクトでそこそこのパワーのV10に、力押しのV12が負けたということでしょう。ルノーV10はバルブの開閉に空気圧(ニューマチックバルブシステム)やエルフの特殊ガソリンという裏技があったが.....特殊ガソリンはシェルを使ったマクラーレンも同じ.....今では考えられない何でもあり状態。

ただFW14Bもマンセル用セッテイングだから勝てた(マンセルはハイテクを信用して思い切り踏んでいたが、パトレーゼはイマイチ信用できなかったので恐々だったらしい)ので一概にルノーV10>ホンダV12とはならないと思いますが。

というマンセル好きの意見でした....レッド5.......この年チャンピオンなのに一時インディに行ったマンセル....バカなとこがいい!

CAMELのロゴ下のサス支持部分が膨れているのがアクティブの証拠です。

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その他の回答 (1件)

  • NAに移行して、パワー勝負の余地が少なくなり、メカニカルグリップやマシンバランス、空力の占める部分が急激に大ききなりました。
    それに対してマクラーレンは依然としてホンダパワー頼りのマシン作りを続けた事が原因だと思われます。

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