トヨタ 86 のみんなの質問

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プラモデルで峠の走り屋みたいにしようと思うのですが、実際に1980〜90後半くらいに峠を(場所はどこでも大丈夫です)走っていた方にお聞きしたいことがあります。
1 車種について

2 流行っていたカスタム等←1番気になるところです!些細なことでも構いませんので沢山お願いします!
3乗ってる人の割合→本気組 イキリ散らかしてる奴ヤンキー等々←他にもグループがあればよろしくお願いします。
4内装等についてロールバーとか内装剥がし以外にほかにあるんでしょうか?
5事故、傷がついた後どうするのかについて パーツとか塗装とか、そのままとか具体的お願いします。
6七曲峠の動画を見た時に白い86になぜ赤いボンネットが付いているのか?について。
7キャンバー角はつけているのですか?
8ボロボロの車で、パーツごとに色が違う車はどんなところがどう色が違うのか等
9パーツはどこで仕入れてくるんですか?色が違うのが気になります。
些細なことでも構いません!全部書かなくても大丈夫です!どうか情報提供よろしくお願いします!

補足

AE86もレビンとトレノどっちが多かったですか? 峠での走りのルールについて。 リトラクタブルヘッドライトの場合はやはり開けて乗ってましたか?←昼の走り込みなどでも。

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ベストアンサーに選ばれた回答

>なるほど、86なんかはボロくなってきたら乗り換えなんですね

↑人によります。

自分は当時、タダみたいな条件で譲り受けたレビンを今も所有してますよ。

それと別にトレノ(もちろんAE86)も所有してます。

ハチロクは安く入手してミサイルみたいに乗って棄てる人も多かったですが、本気な人はハマって乗り続けてました。

自分も最初はハチロクより高性能な車に乗ってたので、金が無くてハチロクに乗るのは妥協、我慢でしたが、乗ったらあまりにも自分に合っててハマりまくって現在に至ります。

自分はグリップ勢ではなくドリフト派だったので、とにかく安く走れてそこらにパーツが落ちてるハチロクが最高にコスパが良かったし、構造も単純で自分でチューニングもできたしとにかく全開で突っ込むハチロクのハイテンションがたまらなく好きでしたね。

あの高揚感は他の車ではダメなんですね。

まぁ、車の趣味なんて本当に人の数だけ違います。

どれも正解にしてどれも不正解です。

当時の云々なら他人の意見より、あなたが見て「カッコいい」と思う仕様にしたら良いと思いますね。

内装剥がしやロールバー、フルバケは当時のハチロクでは基本です。

白いハチロクに赤いボンネットは、単に事故して交換したいけど中古で入手できたのが赤だったと言うだけのことでしょう。

そんな色がちぐはぐなハチロクは昔は沢山いました。

気になるのが「3」ですね。

今は改造車に乗ったり不法な走りをするのを全部ヤンキー系みたいに括る傾向があります。

昔はヤンキー(暴走族系)はハチロクやシルビアみたいな走り系の車は選びませんでした。

ヤンキー車と走り屋系は全く別ジャンルで、ハチロクだのに乗ってる人は基本、単なる走り好き、車好きの普通のお兄さん。

喧嘩もしなければチームがあっても抗争なんかしないで他チームとも仲良しでやってました。

ヤンキー仕様、限界まで車高を落として派手なエアロやブッタギリオープンカー、直管やタケヤリマフラー等の車に乗る人とは完全に住み分けされてました。

ヤンキーをやめて走り屋系に来た人はいましたけどね。

全く別ジャンルになります。

その他の回答 (2件)

  • ①AE86、AW11、TE71、KP61、EP71、E-AT、E-AS、A175A。
    ②車高下げてワタナベの8本スポーク。
    ③ヤンキーはVIPカー
    ④ハンドル交換。モモやナルディ。シートはフルバケかセミバケに4点シートベルト。ベルトにはショルダーパッド。シュロスやサベルトというメーカーのベルトを使う人が多かった。
    ⑤お金があれば直す、ないならそのままか自分で叩き出して缶スプレー。
    ⑥カスタム感を出すためか修理の際にボンネットは中古品の赤が入手出来た。塗装するお金はなかったとか。
    ⑦付けたり付けなかったり。
    フロントフェンダーだけとかバンパーだけとかボルトオンで交換出来る部分。
    ⑨解体屋とか。当時はヤフオクなどはなかった。

  • 私はGC8インプレッサ、AE86数台、EG9シビックフェリオに乗っていました。

    タイヤは周りがSタイヤだったので当然私もSタイヤでした。
    稀にハイグリップの車もありましたがSタイヤ勢にはついていけず、無茶をしてクラッシュすることもありました。
    足回りの設定はかなり高いバネレートでしたが、レースで使う高価なショックを使っていましたので跳ねるようなことはありませんでした。
    当時の上位勢はかなり足にお金を掛けていましたね。

    グリップ勢はかなり本気でした。
    稀にプロが現れることもあったようです。

    内装はAE86はリア周りは全て剥がしていました。
    ロールバーはGC8以外は剛性や重量バランスが狂うのが嫌で取り付けていませんでした。

    AE86は当時20万円程でそこそこのものが買えましたので、多少ぶつけてもそのまま、事故れば乗り換えていました。
    GC8は現行車でしたし軽く当てても直しましたけど。

    キャンバーはGC8は2°、AE86は2.5〜3°、フェリオは3.5°程度でした

    ボロい車もいましたが、今のドリ車のような酷いものはありませんでした。
    少し凹んでいたり、エアロの一部が割れているだけでボロといわれていました。

    パーツは当時流行りつつあった中古パーツ屋やショップの中古パーツコーナーで手に入れていました。
    雑誌の個人売買のコーナーがあり、そこでも手に入れることができました。
    今では考えられないかもしれませんが、住所氏名電話番号まで掲載されていました。
    AE86はまだどこの解体屋にも1台はありましたし、使わないと思うパーツでも買っていましたね。

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