マツダ アクセラハイブリッド のみんなの質問

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マツダとフォードはどのような関係だったのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

かつてフォードがその国に進出するということは、その国の自動車産業をフォード(アメリカ)が支配するということでした。典型的な例がイギリスであり、戦前の日本でも横浜で組み立てられるフォード車はタクシーやトラック、バスなどで圧倒的なシェアを持っていました。

戦後日本に再進出したフォードはトヨタとの提携を試みますが、最終的にトヨタはそれを断って自社設計の初代クラウンを発売し、その後は歴史になっています。もしトヨタがフォードと組んでいたら、日本の産業界は名実ともにアメリカに掌握されていたことでしょう。でも初代クラウンの設計は、当時のフォードの小型車をそのまま日本サイズに縮小したものだった…という指摘もあります。

時は流れ、1970年代の終わりにフォードはロータリーエンジンに投資して危機に瀕していたマツダに出資し、ドイツの欧州フォードと並ぶ小型車の供給元として活用します。

折しもアメリカのフォードが発売した小型車ピントに重大な欠陥が見つかり、しかもそれを放置していたことがわかって大問題になり、アメリカのフォードは自前での小型車の開発を諦めざるを得なくなります。そこで欧州の子会社の他に日本にも拠点を作ろうということになったのです。

当時フォードは西武セゾングループなどと組んで作ったオートラマという会社を通じて、国内でもマツダ車をフォード・ブランドで販売していました(だから、80年代から90年代にかけての日本でフォードの車はありふれた存在で、CMもごく普通に流れていました)。

またこの時に欧州フォードとの関係ができたことをきっかけにマツダはヨーロッパ車寄りの設計に傾倒、現在に至るキャラクターを構築していきます。それまでのマツダ車はむしろアメリカ車寄りのキャラクターでした。足回りも柔らかく、高回転型のロータリーエンジンとの相性を疑問視されていました。

90年代に入るとマツダはバブル期の拡大策が裏目に出て経営危機に陥り、倒産を回避するかわりに完全にフォードのグループ企業になります。この時にフォードから社長を迎え、フォードと車の基礎設計や開発プランを共有することになります。デミオはフォード・フィエスタ、アクセラはフォード・フォーカス、アテンザはフォード・モンデオのマツダ版と言えます。そのぶん本家と差別化するために、デザイン面での主張を強めていったのです。

2000年代の終わりになると、リーマン・ショックでアメリカの自動車メーカーは危機に追い込まれます。フォードはライバルのGMやクライスラーのように経営が破綻するところまでは行きませんでしたが、アメリカ市場専用のマーキュリー・ブランドを廃止したりと多くの経営的見直しを迫られ、その中でマツダとの関係も終わりました。でも、今マツダが全面に押し出しているキャラクターはフォードとの関係があってこそ作られたものなのです。

質問者からのお礼コメント

2018.1.7 15:32

ありがとうございました。

その他の回答 (5件)

  • フォードが主の主従関係でした、フォードの手足となってエンジン開発など行ってました。

  • 1980年代からマツダとフォードは提携し、マツダの小型車シャーシを提供したりしていました。

    1990年代にマツダが5チャンネル販売で破たん後はフォードの子会社となり、フォードブランドと共用する小型車の設計開発とマツダブランド車の生産を行って来ました。

    フォードフェスタ、フォードフォーカス、フォードモンデオ等はマツダの設計したシャーシやエンジンをマツダ車と共用しています。
    マツダはフォードのスーパーコンピューターを使った設計技術を深め会得して行きます。

    2005年位まで両社は非常に好調でした。
    マツダはこの頃、次世代戦略としてSKYACTIV構想を固め、当時のアテンザのシャーシを基本に置いたモデルベースからスパコンで派生設計させる技術を磨いています。
    エンジンはダウンサイジングターボでは無く、高圧縮比エンジンやHCCI燃焼を目指した開発を進めていきます。

    2008年のリーマンショックで、フォードはマツダ株を放出しました。
    マツダ株は暴落し、業績も低迷していましたが、開発投資を続けCX-5の販売まで漕ぎ着けました。
    その後は販売好調を続けています。

  • マツダとフォードの一番最初の接点は1969年の日産を加えたオートマチックミッション合弁会社JATCOでした。その後パートナーを組もうとしましたが白紙撤回したもののロータリーピックアップ"フォードクーリエ"を北米に向けて供給しました。更にルーチェの上級車のロードぺーサーのボディはフォードのライバルメーカーのホールデンコモドレだった事には度肝を抜かれました!

  • 25%、後に33%の株式を持ち、
    筆頭株主にフォードが入り、
    資本提携関係でした。
    そして、
    マツダ、フォードでプラットフォームやエンジンを共有したり、
    マツダ車にフォードのエンブレム付けて売ったり、
    国内ではマツダのディーラーでフォード車扱ったりと、
    技術でも深く関係。
    当時は、ボルボもフォード傘下なので、
    3社共有プラットフォームすらあり。

  • 資本提携し、マツダはアメリカフォードモーターの傘下に入っていました。
    2008年のリーマンショックの影響で、フォードがマツダの株を手放さざるをえなくなり、36年間の提携が終わったのです。

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