いすゞ ピアッツァ のみんなの質問

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日野&いすゞ製乗用車の件、コンテッサ実質1台を以て60年代に撤退した
日野と、対してベレル・フローリアン・117クーペ・ベレット・アスカ・

ピアッツァ・ジェミニを90年代まで無理して作り続けたいすゞ、どちらが
同じトラック/バスメーカーとして、経営上賢明だったと思いますか?
(※今話題の日野のデータ騒動は別として。)

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回答一覧 (2件)

  • 900スプリントが無事に発売出来ていたら、もう少し乗用車頑張ってみようかなって流れもあったのではないでしょうか。

    高回転で最大トルクを発生する高速域での加速性を重視したエンジンと、メルセデス300SLRよりも優れたロール率(ロード・ホールディング性能)を誇る懸架装置を持っていながら、BMW700の丸パクリのようなデザインの4枚ドアでスポーツ走行と決して相容れないコラムチェンジ機構(おまけに何故か3速)に長椅子のようなベンチシートのせいで、そうした良さを活かせなかったようです。

    そしてその良さを十分に活かせただろうクルマがまさに900スプリント。
    ルノーフロリードやVWカルマンギア、NSUスポーツにも似た素性の「ファミリーカーのコンポーネンツを使って造ったツーリングカー」としてあれだけの美しいクルマを売ることが出来たなら、乗用車メーカーとしての日野も違っていたと思います。

    そもそも4ドアより2ドア、重いより軽い、コラムシフトよりフロアシフトの方がコストも掛からず安価でクルマを売れますよね。Wikipediaにある”欧州メーカーからの圧力”とは何だったのかというのも、真偽を含めてホント気になるところです。

  • いすゞの場合、実質的に親会社になっていたGMに小型車を供給するために乗用車生産を続けることができていたので、その限りにおいては無理はなかったんです。

    問題は80年代の日米貿易摩擦で、貿易赤字解消を目指した米政府によって日系各メーカーに対米輸出枠が割り振られたんだけど、いすゞの割当枠が想定よりもかなり小さくなってしまい、そのためにGMがいすゞへの小型車生産委託を打ち切り、いすゞは乗用車を売る宛がなくなってしまったので乗用車事業からの撤退を余儀なくされてしまったんです。

    そもそもいすゞが70年代にGMと関係を持つに至ったのが失敗の始まりだったとも考えられるので、そういう意味では、いち早くトヨタとの提携に踏み切って乗用車事業から撤退しつつトヨタを大型車事業から撤退させた日野のほうが上手だったのかもしれません。

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