ホンダ シティ のみんなの質問

解決済み
回答数:
3
3
閲覧数:
172
0

祖父と話しをしていたところ、小学生のとき自動車の都はアメリカのデトロイト、デトロイトのコンビナートの工業地帯を意味もなく丸暗記させられたといっていました。

また当時、京浜工業地帯、中京工業地帯とかイギリスの工業地帯なども覚えさせられといいますが僕の世代はそういうことを知りません。一体、どういうことを学んでいたのかご存知の方教えてください。

「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の「自動車」カテゴリとデータを共有しています。

ベストアンサーに選ばれた回答

今でこそゴッサム・シティ扱いされてますけど、デトロイトは昔は世界一の自動車産業都市であり、五大湖周辺に工業地帯を形成し、アメリカの豊かさの原動力扱いされていました。

その前はイギリスが世界の工場、覇権国であり、当然それを支える工業地帯があり…
http://blogs.yahoo.co.jp/silverseagull112/31020286.html
当時もイギリスは落ちぶれてはいましたが、世界の工場だった余韻は残っており、一大工業国だったのです。

オイルショック(1973~1980年)からバブル崩壊までは日本が世界の工場扱いされており、世界一人勝ちのように輸出しまくって貿易黒字叩き出し、当然それを支える工業地帯がありました。

>一体、どういうことを学んでいたのか

地理に限れば
・大きな工業地帯の名前と場所、主要産業。(鉄鋼とか造船とか自動車とか)
・なぜそこが工業地帯となったのかという要因。


日本も世界の工場の座ではなくなったけど、京浜工業地帯、中京工業地帯すら習ってないのか…
逆に今は何を習ってんだろ。
まあ、せっかくおじいさん居るんだから、世界の栄枯盛衰の理、産業構造の推移みたいな事を聞いとくといいでしょう。

質問者からのお礼コメント

2014.9.10 11:42

有難う御座いました

その他の回答 (2件)

  • それは昭和30年代ころのことかな?
    当時日本はまだ高度成長期に入る寸前のころだったはず、確かにまだドイツもイタリアももちろん日本も戦後復興の途中、一人勝ちはアメリカで特に自動車に関しては最近まで言われていたビッグスリーの全盛期、オイルはメジャーの独り占めの時代でした。その工場が集中していたのがデトロイトだったのです、自動車の街と呼ばれていました。一番アメリカが輝いてた時代ですね

    それは日本がもっと豊かになる為には、という基本教育ですね、工業を発展させて世界に打って出る。池田内閣の所得倍増政策のころでしょう、それがその後の日本の高度成長につながるものです、まだ沖縄はアメリカ統治の時代のはずです

    世界に対するあこがれ、追いつけ追い越せと言う熱い時代じゃなかったでしょうかね

    今はグローバルな時代、石油コンビナートはあるでしょうけど、自動車工場はじめ日本の主要な工場は海外に進出と言うか逃げて行ってますからね、安い労働力と国際競争力の為に、経済はボーダレスの時代になってきました。そのシンボルがもしかしたら衰退したデトロイトかもしれませんね、いまの子供たちにどのような事を教えてるのかのほうが知りたいですね

  • ん~(メ・ん・)?・・・自動車カテゴリーで質問されても・・・(?_?)

「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の
「自動車」カテゴリとデータを共有しています。

あわせて知りたい

ホンダ シティ 新型・現行モデル

査定を依頼する

メーカー
モデル
年式
走行距離

※ 掲載しているすべての情報について保証をいたしかねます。新車価格は発売時の価格のため、掲載価格と実際の価格が異なる場合があります。詳細は、メーカーまたは取扱販売店にてお問い合わせください。

ログイン

中古車探しをもっと便利に

  • 中古車お気に入り管理
  • おすすめ中古車の表示

ホンダ シティのみんなの質問ランキング

あなたにおすすめのサービス

メーカー
モデル
年式
走行距離