トヨタ ブレイド のみんなの質問

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TOYOTAって元々世界一の企業で車の売り上げとかもダントツでしたが、かつてはイプサム、ブレイド、プログレ、ヴァンガード、ラッシュみたいな不人気車種も沢山ありましたが、ここ最近のTOYOTAは売れ筋の悪い車が殆ど

ありませんよね?
かつて不人気車種だったRAV4も復活してますし、5ナンバーsuvとしてライズも売れてますし
何よりもTOYOTAの凄い所はこれらの車種が主力車種じゃない所で、TOYOTAのフラッグシップとしてアルファードは絶対的な人気ですし・・

元々凄かったTOYOTAが更にすごくなったのには何か理由があるのでしょうか?

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回答一覧 (5件)

  • トヨタは市場調査の徹底とフィードバック、そしてリスクのある新規の客層獲得の冒険をしなくなったなど企業として当たり前の事をして売り上げに繋げてますね。あとは販売店の多さも売る側の意見やデータも豊富ですし。
    昔から慎重に開発してると思いますが個人的にはヴェロッサとかとくにトヨタにしては?でしたね。
    あと今の社長の影響もありますね。

    日産はせっかく他社では難しいブランドイメージはついてる車種をことごとくダメにしていってほんともったいないなと感じます…エルグランドとかスカイラインとかシーマとか…

  • モリゾウこと豊田章男の存在が大きいと思います。

    ホンダの本田宗一郎にしてもテスラのイーロンマスクにしてもそうなんですが,トップの判断というのは極めて大事です。世界企業のトヨタと言え,必ずしも順風満帆な会社経営をしてきたわけでは無いです。特に2008年のリーマンショックの時に,大幅に業績が悪化し,翌2009年の決算で4610億円の赤字となりました。

    その時に,第11代社長に任命されたのが,モリゾウです。彼は,当時の会社経営方針であった「グローバルマスタープラン」という販売数世界一を目差す拡大偏重主義を即撤廃しています。経営方針を大きく変更できたのは,モリゾウが,アメリカでMBAを取得するほどの経営のプロだったからです。

    もともとモリゾウは,第6代社長の豊田章一郎の長男でした。しかし,章一郎の方針で,ボンボン扱いせずに逞しく育てられ,学生時代にはホッケーの日本代表選手にも選出されています。そしてアメリカへ武者修行に出かけ,世界的な資格であるMBAを習得し,アメリカの投資銀行に就職します。

    また,先日の24時間耐久レースの水素エンジンドライバーとして自ら参戦したように,プロのレーシングドライバーでもあります。一歩間違えば水素爆発(?)する車体を自ら操作するほどの車好きでもあるわけです。

    彼がトヨタの社長に就任してからは,Gazooレーシングを立ち上げるなど,モータースポーツにも積極的に参戦し,と同時に世界的にもトヨタの評価が上がってきています。

    尚,詳しくは,「トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力(プレジデント社)」という本に掲載されていますから,興味がありましたら,読んでみてください。

    結局,民主主義とは言え,個人の,つまり1人の存在がもの凄く大きいと言うことです。このコロナ禍を上手くコントロールできない日本のトップは本当に情けなく思います。せめて,言葉と行動で国民をまとめて欲しいんですけどね。そういう存在がいれば,国や会社は必ず良い方向に進むものです。

    トヨタつまりモリゾウの経営から私たちが得られるモノもたくさんあると思います。

  • ドイツでは販売台数で、ヒュンダイに負けてますけど?

    自動車先進国の方は、同じ安物ならトヨタよりヒュンダイを選んでいます。

    我が国でも軽自動車が、シェアの40%、トヨタは、30%で負けていますよ。

  • >>>>元々凄かったTOYOTAが・・・・・
    ・・・・更にすごくなったのには何か理由があるのでしょうか?<<<<

    元々は、と云うか、1960年代は、
    【日産】と【トヨタ】は、日本市場では、・・⇩・・・・・
    ----⇧----------⇧------------両横綱で、良い勝負だったんだよ。


    戦後
    大須賀和美『自動車史の時代区分と取締法期の変遷』
    (1990年):転換期(1948年1月1日{内務省解体後}~)、
    現行法時代(1951年6月1日~)[W 1]
    荒井久治『自動車の発達史 下』
    (1995年):戦後復興から貿易の自由化の時代(1945年8月~)、
    内需と輸出車の絶好調の時代(1956年頃~)、
    経済摩擦の激化の時代(1980年頃~)
    桂木洋二『日本自動車史年表』
    (2006年):戦後の復興期(1945年~)、
    成長と競争の始まり(1953年{ノックダウン生産の始まり}~)、
    黄金の60年代の攻防(1960年{各社新工場の完成}~)、
    マイカー時代の到来(1966年{マイカー元年}~)、
    排気規制とオイルショックの時代
    (1974年{オイルショックの影響顕在化}~)、
    性能競争と多様化の時代(1980年{車種の多様化}~)、
    晴れのち曇り・変動の予感(1989年{バブル景気とバブル崩壊}~)、
    トップランナーへの道(1997年{プリウス登場}~)
    Gazoo『よくわかる自動車歴史館』
    (2013年):戦後直後(1945年~)、
    復興とモータリゼーション(1955年{高度経済成長期の始まり}~)、
    社会問題発生(1970年{交通事故死者数の社会問題化}~)、
    黄金期(1981年(日本が世界最大の自動車生産国に)~)、
    激動期(1992年{バブル崩壊後}~)、
    新技術(1997年{プリウス登場}~)

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    1950年(昭和25年)
    1月11日、GHQによる財閥解体(第3次指定)と
    過度経済力集中排除法(通称「集排法」)の適用により、
    三菱重工業は東日本重工業(後の三菱日本重工業)、
    中日本重工業(新三菱重工業)、
    西日本重工業(三菱造船)の3社に分割される(1964年に再統合される)。
    4月、自動車の配給統制が全面的に撤廃される。
    車両価格の統制も解除されたことで、
    自動車製造会社が自由に価格を設定できるようになり、
    自由競争が保障される。
    4月、トヨタ自動車販売株式会社(トヨタ自販)が設立される。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8
    --------------------------------------------------------------------

    ▶:ここからの歴史が、いまの状態を決めてしまったんだよ。


    1963年(昭和38年)::
    ------------8月、ホンダが四輪自動車に進出し、T360を発売する。


    1966年(昭和41年)
    日産・サニー(初代)
    トヨタ・カローラ(初代)
    1966年:日産・サニー(初代)とトヨタ・カローラ(初代)

    4月に日産・サニー(ダットサン・サニー)、
    11月にトヨタ・カローラが発売され、
    この年は後にマイカー元年と呼ばれるようになる。

    5月、富士スピードウェイで開催された第3回日本グランプリで、
    プリンス・R380が日本車として初めて日本グランプリで優勝する。

    5月、富士重工業がスバル・1000を発売する。
    6月、第1回鈴鹿1000kmレースが開催される。
    (日本初の長距離サーキットレース)
    8月1日、日産自動車とプリンス自動車工業が合併する
    (実質的には日産による吸収合併)。
    10月、トヨタ(自工・自販)と日野自動車が業務提携を結ぶ。
    これを契機に日野自動車は乗用車事業からは撤退する。
    12月1日、大阪府池田市のダイハツ工業本社が所在する一帯が
    「ダイハツ町」(だいはつ-ちょう)に改称される。
    12月、いすゞ自動車と富士重工業が業務提携を結ぶ(1968年5月に解消)。


    1967年(昭和42年)
    日産・プリンスロイヤル
    トヨタ・2000GT
    マツダ・コスモスポーツ

    1967年:日産・プリンスロイヤル、
    トヨタ・2000GT、マツダ・コスモスポーツ

    2月、日産自動車がプリンスロイヤルを御料車として宮内庁に納入する。
    (初の国産の御料車/日本で開発された初のリムジン)
    3月、ホンダがN360を発売する。
    31馬力という既存の軽自動車を大きく上回る最高出力を有し、
    小型乗用車並の高速走行性能を持っていたことから
    発売当初から人気となる。他社も追随ししたことから
    1970年代初めにかけて軽自動車の「馬力競走」が起こることとなる。


    1970年(昭和45年)
    2月、三菱重工業がクライスラーとの合弁事業契約を締結し、
    1972年から三菱・クライスラーシリーズを短期間販売する。
    3月、いすゞ自動車と日産自動車が業務提携を結ぶ(1971年7月に解消)。
    4月、三菱重工業の全額出資により三菱自動車工業が設立され、
    同年6月に三菱重工業の自動車部門は三菱自動車に譲渡される。

    4月、鈴木自動車がスズキ・ジムニー(初代)を発売する。
    自動車製造事業から撤退したホープ自動車から
    4WD車ON360(1967年発売)の製造権を譲り受け再設計したもので、
    軽自動車ながらオフロード走行が可能で、
    小回りも利くことから人気となる。
    7月9日、川崎重工業神戸工場により第十とよた丸が建造される。
    (日本初の外航自動車専用運搬船)
    7月18日、東京都で光化学スモッグによる被害が初めて報告され、
    環状七号線沿いにある学校での被害であったため
    自動車の排気ガスも原因として槍玉にあがる。
    6月、交通安全対策基本法が制定される。
    9月、玩具メーカーのトミー(後のタカラトミー)が
    自動車玩具(ミニカー)の「トミカ」を発売し、ロングセラーとなる。
    10月、トヨタ自工の本社工場が生産ロボットの第1号を導入する。
    日本の交通事故による死者数が16,765人となり、
    戦後最多となる(この年をピークに翌年からは下降を続ける)。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    歴史を辿って行けば・・おのずと・・正解が看えて来る。


    思い込みと・・知ったかぶりだけで・・
    ~~~~~~~~~~<根拠も示さず語る輩>は、無責任。

  • 世界のコストカットスーパースターだからですよ

    マーケティングが上手い。
    それはメーカーが、系列店を育成するのが上手い
    実際アルファードを、オデッセイや、基本設計が10年前のエルグランドと比べても、オデッセイやエルグランドの方が良い乗り心地ですよ

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