日産 マーチ のみんなの質問

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【F1・実現して欲しかった“ワールドチャンピオン”・“優勝”】

F1において、下記のそれぞれの条件に当てはまる方をお教えください!(何名ずつでも構いません。)

1.『もう1度ワールドチャンピオンを獲得して欲しかったドライバー(ワールドチャンピオン経験者)。』
A:“ナイジェル・マンセル”
→私が最も好きなドライバーです。1992年に16戦9勝という圧巻の強さで悲願のワールドチャンピオンを獲得したマンセル。やはり1993年も見たかったです。チームメイトは“リカルド・パトレーゼ”が理想ですが、“デーモン・ヒル”でも良かったですね。
B:“デーモン・ヒル”
→私が2番目に好きなドライバーです。ヒルの場合はやはり1994年ですね。あの最後の接触、私は納得していませんが、ヒルもウイリアムズ・ルノーも抗議しなかったそうですね、、、。アレは猛抗議して欲しかったですね、仮に“アイルトン・セナ”が同じ状況だったら猛抗議していたと思います。まぁ「セナが生きていたらそもそもあの状況になっていない。」という声も有りそうですが。ヒルがワールドチャンピオンを獲得した1996年は、マンセルがワールドチャンピオンを獲得した1992年の次に好きなシーズンです。
C:“ジャック・ヴィルヌーブ”
→1996年のデビュー戦ポールポジションに始まり、1997年にワールドチャンピオンを獲得したヴィルヌーブ。1998年は苦しみ、1999年からはB.A.Rへの移籍となりましたね。個人的には、“ミハエル・シューマッハ”が1998年限りでフェラーリを離脱し、1999年からヴィルヌーブがフェラーリに、ミハエル・シューマッハがウイリアムズに乗って欲しいと思っていたので、ヴィルヌーブにはフェラーリでもう一度ワールドチャンピオンを獲得して欲しかったです。

2.『1回はワールドチャンピオンを獲得して欲しかったドライバー(優勝経験者)。』
D:“デビッド・クルサード”
→このお方も好きなんですよねぇ、英国に拘りがあるわけではないのですが。ウイリアムズ・ルノー時代でもマクラーレン・メルセデス時代でもレッドブル時代でも良かったのですが。やはりチームメイトがヒルと“ミカ・ハッキネン”でしたからどうしてもNo.2になってしまい不遇だった面も有ると思いますけどね、レッドブルはまだ強くなかったですし。複数回優勝を経験している猛者でしたからワールドチャンピオンに輝く姿を見てみたかったです。
E:“ラルフ・シューマッハ”
→個人的に兄ミハエルは好きではないので、兄ミハエルのフェラーリ全盛期にウイリアムズ・BMWでワールドチャンピオンを獲得して兄ミハエルの連覇を止めて欲しかったです。

3.『もう何回か優勝して欲しかったドライバー(優勝経験者)。』
F:“ハインツ・ハラルド・フレンツェン”
→メルセデス3羽ガラスの1人で、何かボーッとしてそうなのに速くてオモシロかったですね。このお方の場合はやはりデビューイヤー1994年のザウバー・メルセデスでいきなり優勝するところを見たかったです。
G:“ジャン・アレジ”
→コレ程の猛者なのに1勝止まりというのは、、、フェラーリ時代があまりにも不遇でしたよね。同じ意見の方も多いのではないでしょうか?
H:“ロバート・クビサ”
→このお方も1勝止まりなんですよねぇ、、、もっと勝てたと思うんですけどねぇ。

4.『1回は優勝して欲しかったドライバー(優勝未経験者)。』
I:“カール・ヴェンドリンガー”
→このお方もメルセデス3羽ガラスの1人でしたよね。1992年はマンセル&パトレーゼのウイリアムズ・ルノー2名に注目していたのですが、マーチで大暴れしていたヴェンドリンガーも毎回楽しみだったんですよね。ザウバー・メルセデス時代に優勝するところを見てみたかったです。


皆さんのご意見をお待ちしております。

1はアイルトン・セナ、キミ・ライコネン、ニコ・ロズベルグ辺りでしょうか?アラン・プロストが4回でセナは3回ですからね。

2は誰なんでしょうかね、ルーベンス・バリチェロ、マーク・ウェバー、フェリペ・マッサ辺りなんですかね。

3はジャン・アレジ説は多いと思うんですよねぇ、他にどんなご意見を頂けるか楽しみにしております。

4は日本人ドライバーがノミネートされそうですね、ミハエル・シューマッハのチームメイト候補だったお方か、轢かれてしまったあのお方でしょうか(笑)日本人ドライバー以外のご意見も聞いてみたいですけど。

お手すきの時にご回答をお願いいたします。

よろしくお願いいたします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

1.デーモン・ヒル
1994年はヒルが初めてタイトルを獲得した年だったはず。シューマッハ最低。

2.ジル・ヴィルヌーブ
生きてタイトルを取って欲しかった。1982年は彼の年になるはずだったのに。
公道でもとんでもない速さで走り、彼の助手席に座った人は二度と同乗しないと誓ったそう。怒ってはいないがもうこりごりだ。ジルの援護でチャンピオンを取ったジョディ・シェクターもその一人。

3.アレッサンドロ・ナニーニ
1990年のヘリコプタ事故が無ければ、もっと活躍していたでしょう。1989年、波乱の日本GPでの1勝のみ。かつてナニーニのカフェがあったMEGAWEBも今は無いのが寂しいところ。

4.a ピエルルイジ・マルティニ
ミナルディでフロントロウに並ぶ速さ、驚きでした。キャリアのほとんどをミナルディで過ごしたのはスポンサーが居ないから?
少年時代に見たティレルP34が彼のヒーローになり、投資家として成功した今ではP34を2台所有するコレクターだそう。

4.b 片山右京
ひょっとして日本人もグランプリで優勝できるのでは、そんな甘い夢を見せてくれたと思います。全く甘かった。

質問者からのお礼コメント

2024.1.12 19:59

9件ものご回答を頂けて感激です!

皆様ありがとうございました。

その他の回答 (8件)

  • たぶん質問主とリアルタイムで見ていた時期ほぼ一緒なので回答w

    1、マンセルとヒル。
    2、ベルガー
    3、アレジ、ハーバート
    4、右京

  • 1.やはりセナでしょうか。もしくはライコネン。
    アロンソにはここにこないようにして欲しい..
    A:
    マンセルは93年に残留していれば、プロストでもセナでも
    1年分のアクティブの経験で勝てていたと思います
    B:
    94年はFIAがシューマッハの邪魔をしすぎたと思っています
    最終戦までもつれたのはいいんでしょうがアデレードのアレ
    でヒルがチャンピオンになってしまっては流石にやりすぎです。
    そこまでのドライバーではなかったと思っています。
    97年はジャックのみ相手なら勝てていたでしょうね。
    というかそうなるとウイリアムズがポイントを分けるので
    シューマッハがチャンピオンになっていたかも。
    C:
    ウイリアムズの最初の評価を含め、論じるに値しないと思っています。
    2.モントーヤ
    D:
    ロンデニスのハッキネン贔屓で潰されちゃいました。
    この人はチーム参入時期さえうまく言えばバトンのようになったかも
    E:
    モントーヤにガチンコでわずかに負けているので難しいかなぁ
    3.アレジかフィジケラ
    F:
    ジャックにメンタルを潰されているようでは厳しいかと。
    森脇さんの「あの子は優しすぎるから」がすべてでしょう。
    G:
    優勝はもうちょっとできたような気はしますよね。
    でもその先(王座)は開発能力にしろペース配分にしろ難しいですよね。
    H:
    ケガさえなければ
    4.佐藤琢磨選手
    I:
    ケガさえなければ。というか三羽烏時代の評価順だとシューマッハが
    最下位だったんですけれどもね。

  • ①ミカ・ハッキネン
    ②アレッサンドロ・ナニーニ
    ③ゲルハルト・ベルガー
    ファン・パブロ・モントーヤ
    ④テオ・ファビ
    ステファンベロフ(伝説の雨のモナコでセナよりも速かった。)

  • 1-A
    2-無
    3-アイルトンセナ
    4-中島悟

    リタイヤか優勝か。マンセルまんせー。

  • 1、古いけれどヨッヘン・リント
    死んでからチャンピオンになった人。生きていたら当時のセナになったかも。

    2、やや古でジル・ビルヌーブ
    この人も全盛期前に死ななければ、と思ってしまう。

    3、シブくヘイキ・コバライネン
    スポンサーが付いていたらもっと長く活躍したはず。

    4、やはりシブくニック・ハイドフェルド
    速さはあったが運がなかった。

  • 1=まずはマリオ・アンドレッティ。
    1979年シーズン、コーリン・チャップマンが欲をかかず、トニー・ラッドとピーター・ライトがノリノリで余計なことを企てなければ、’79年もマリオとロータスのシーズンになったはず。
    ニキ・ラウダがどれほどイヤミやヒニクを並べようと、『F1史上最も美しいコーナリング』と言われたマリオの完璧なグリップ走行は、チャンピオンの連覇に相応しいものでした。

    1=そして、デーモン・ヒル。
    パパのグラハム・ヒルと並び称されるなら、最低でももう1回、F1チャンピオンを取る必要がありました。
    デーモン・ヒルが何度もチャンピオンを取るということは、その分『クソチャンピオン』ミハエル・シューマッハが叩きのめされるということです。

    2=ロニー・ピーターソン
    『F1史上最高のドリフトキング』とされるロニーには、どうしてもチャンピオンを取って欲しかった。
    かつてあのジャッキー・スチュワートを倒す可能性がある唯一のドライバーと言われながら、契約によりセカンドドライバーに徹した1978年シーズンが最もチャンピオンに近かったとは、何たるヒニクでしょう。
    あの年、『オン・ザ・レール』と称されたグリップ走行のマリオ・アンドレッティと、『サイドウェイ(『カニ走り』の意味)』『オポジット・ロック(ハンドルがツキ当たるまで逆ハンを切ること)』などの異名を持つドリキン・ロニーの両者が等しくズバ抜けて速かったのは、ロータス79がどれほど異常なマシンだったか、も物語っています。(ブラバムに乗るニキ・ラウダに『オレ達がバカに見える』と言わしめ、ゴードン・マレーはマリオとロニーにより『明らかに規則違反の』ファンカーを作らざるを得ない事態に追い込まれました。ロータスファンにとっては至福のシーズンでした。)

    2=それに、ロニーと同時代の『もう一人のドリキン』ジル・ヴィルヌーブ。
    彼は明らかに、フェラーリでチャンピオンになるべきドライバーでした。
    奇しくも日本でのF1開催を10年凍結させた、FISCOでの『観客巻き添え死亡事故』は、ロニーの6輪タイレルの後輪に、ジルのフェラーリが乗り上げて観客の群れに突っ込んだことで起こりました。

    2=そして、『ル・マンの帝王』としても有名なジャッキー・イクス。
    1970年シーズン、僅差でランキング2位だったジャッキーは、モンツァで事故死した友人ヨッヘン・リントをチャンピオンとするため、残りのレースでヨッヘンのポイントを抜かない様に走った、というウワサがあります。(わずか1点差で、ヨッヘンがF1史上唯一の『死後のチャンピオン』となりました。)
    あの年のジャッキーは、シーズンが進むにつれフェラーリの完成度が増して速くなっており、ホントならチャンピオンとなったはずです。
    ただ友人が事故死さえしなければ。

    3=ハインツ・ハラルド・フィレンツェン
    純粋なウデの差で言うと、メルセデスの2軍時代、ミハエル・シューマッハはどうしてもハインツに勝てませんでした。
    ハインツがどのチームと契約するか、常に動向を気にしていたミハエルは、ハインツが有力チームと契約しないよう妨害工作をしていたというウワサがあります。(なにしろミハエルは、ハインツを精神的に追い詰めるために、付き合っていた彼女を横取りしたり、個人スポンサーのキャメルを奪ったぐらいですからね。よくないウワサも立つでしょう。F1史上最も卑怯な『悪魔のチャンピオン』ミハエルなら、自分の邪魔になるヤツには何だってやりそうです。)
    っというか、ハインツには是非、フェラーリより劣るマシンに乗ってミハエルを徹底的に叩きのめしてチャンピオンになってもらいたかった。

    4=ディビナ・ガリカ
    F1史上3人目の女性ドライバーで、女性ということも注目ですが、彼女は英国のアルペンスキー代表でオリンピックに3度も出場したトップクラスのスキーヤーでもあり(’72年の札幌オリンピックにも来ていました)、『他のジャンルで成功を収めたスポーツ選手が、モータースポーツでどれほど通用するのか』という点が注目でした。
    結局シーズンを通してエントリーすることはなく、また既にアスペンスキー界では有名だったので、そこらの小僧がレースで成り上がってくる様なガツガツしたところが見られませんでしたが、しかしもし彼女がF1で結果を残していたら、今頃は女性や他のスポーツからの転向など、F1ドライバーの幅が広がったでしょう。

  • 1.N.マンセル
    91年日本GPで、セナにブロックされ続けて1位から徐々に離されて・・・ついにクラッシュ。残念でしたがレース終了後にセナを出迎えてチャンピオン確定を称える姿がとても印象的でカッコよかった。(まあ、92年カナダGPみたいに怒ると手に負えないですが)

    2.F.マッサ
    2008年(だったか?)、ルノーのフラビオ・ブリアトーレのイカサマがなければチャンピオン獲得していたと思います。本当に残念です。

    3.R.パトレーゼ
    派手さは無いような印象ですが、92年の南アフリカGPで4番手からのロケットスタートは今も覚えています。いつも2位が定位置みたいな感じでしたね。

    4.F.モントーヤ
    シューマッハ相手に結構仕掛けていたように思います。が、結果的にいつもモントーヤ側にペナルティの裁定が出ていたような気がしました。

    ※4については、どのドライバーが優勝未経験者なのかまで明確に記憶がなくて難しかったですね。

  • ①ミカ・ハッキネン・・タラレバ言えばキリ無いけどチャンスはあったと思う。
    ②ミケーレ・アルボレート・・1985年中盤以降の失速は本当に気の毒だった。
    ③リカルド・パトレーゼ・・1991、1992年はもっと勝って欲しかった。
    ジョニー・ハーバート・・スチュワートGPでの勝利は感動だった!
    ④イヴァン・カペリ・・才能はあったと思う。
    ロベルト・モレノ・・マシン良ければ絶対に勝てたと信じたい苦労人
    マーティン・ドネリー・・あの事故が無ければ可能性はあった筈

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