マクラーレン セナ のみんなの質問

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かつてのホンダF1のV6ターボ、何が圧倒的な強さの秘密ですか?

たとえば加給圧の高さとか、具体的な項目があれば教えてください。セナ、プロスト1,2の頃です。

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回答一覧 (11件)

  • 現在主流のテレメトリーを投入したことが大きいのでは。
    リアルタイムでエンジン・車体・サスペンションがどのような負荷を受けているかを解析できたから。
    ターボエンジンはレギュレーションにより86年の千馬力越えから88年は700弱まで落ち込んでいるので、パワー自体はそれほど関係なかったでしょう。

  • 開発スピードの速さでしょう。

    当時ホンダF1のプロジェクトリーダーだった後藤治氏のインタビューによると、
    「ホンダは日本とヨーロッパの両方で開発を行っていた。
    日本が夜の間はヨーロッパで開発を行い、
    日本が朝になる頃にその結果がファックスで日本に届く、といった感じで
    24時間体制で開発でできていた。
    これはヨーロッパのメーカーではできない芸当でしたね」

  • セナ、プロストの時代と言う事は1988年のことだと思いますがその当時ターボエンジンを使用していたのはマクラーレンとフェラーリのみです。
    更に過給圧はFIAから支給されるポップオフバルブで2.5barに制限されていたのでホンダとフェラーリの過給圧は同じでした。ホンダのエンジンはフェラーリよりも燃費性能が良く150リットルに制限されていた燃料でもフェラーリよりも馬力を出すことが出来た。
    その他のチームはNAエンジンで加速や直線スピードで太刀打ち出来なかった。

  • えらい誤解があるようですが、30年前とてエンジン性能だけでブッちぎれるわけではありません。それは同じエンジンを積んでいたロータスの成績を見ればわかるでしょう。

    結論から言えばホンダエンジン+マクラーレンのシャシー+ドライバーの能力がマッチした、ということです。

    もう少し詳しく言えば、ホンダの強みは燃費の良さで、これは遡ればホンダ社内の空冷・水冷論争に行き着きます。

    70年代後半、空冷を推し進める本田宗一郎に対して、若手エンジニアは水冷に舵を切ろうとしていました。

    発端は排気ガスの環境対応のため、燃焼を安定させるためには、様々な金属の集合体であるエンジンの温度管理が必須だったからです。

    対して宗一郎の意見は、水冷は最終的に空気で冷やす「間接空冷」であることと、冷却水漏れで走行不能となる事例を若き日のメカニック時代に散々見てきたことから、信頼性向上のために空冷を推していました。

    このとき空冷で燃焼を安定させようと必死で取り組んだ結果、当時のエンジニアは「他社より燃焼の限界を知っている」と自負するまでになっており、そこにいたのが桜井淑敏や後藤治といった後にF1のプロジェクトリーダーとなるメンバーでした。

    こういった知見を活かした燃費の良さが、1987年には195L、1988年には150Lというターボ車への搭載燃料規制の中での快走に繋がりました。

    その頃のフェラーリなど他のターボ勢は燃費のために空燃比を薄くせざるを得ず、結果的にNA勢と同等レベルの出力となっていました。

    一方、同じホンダターボを積むロータスは1987年に突如導入した未熟なアクティブサスペンションが足を引っ張る形となり、市街地サーキットが得意なセナがなんとかモナコとデトロイトの市街地レースで勝っただけで、優勝争いに殆ど絡まない結果となりました。
    1988年には通常のパッシブサスペンションに戻しますが、1年間のブランクは大きく、ワールドチャンピオンのピケを持ってしても周回遅れの3位がやっとの状況でした。

    このサスペンションに関しては、マクラーレンは1988年からホンダ系のショーワ製のダンパーを使用したことも成功の一因で、ドライバーの要求に対して、デザイナーであるニール・オートレーの理解を超えたレベルで解決した、というエピソードがあります。(但し、後にショーワのエンジニアがこの件でニールの不興を買うことになります)

  • >セナ、プロスト1,2の頃です。

    それは資金力の違いです。

    1988年のレギュレーションを決める時に、
    翌年からのNA回帰を見越して制限が掛けられるターボ車に対し、
    2.5バールで150Lしか燃料使えないようにしましょうか?
    と「ホンダから」他メーカーには厳し過ぎる制限を持ち掛け採用され、
    その1988年1シーズンだけのために、
    そんなエンジンを開発していたのは資金のあるホンダだけです。
    この年、
    なりふり構わぬ物量作戦に出ているので、
    ボアXストロークが異なるエンジンをモナコと高速コースでは使い分けるし、
    年間200基以上のエンジンを組んで持ち込んでいたって言うんですから、
    後の事は些細な違いに過ぎませんよ。
    (一度も使わないエンジンは捨てました)

  • 色々とあるようですが、燃費が一つの要因のようです。

    馬力規制のために燃料の総量制限、更にポップオフバルブによる加給圧の制限が行われました。
    まず燃費を向上させるためには混合気を薄くする必要がありますが、他のエンジンサプライヤー、特にTAGポルシェはそうすることによって高温化する排気の処理が出来ず、燃費を上げられなかったようです。

    同じくポップオフバルブについてもFIA支給のものは指定の4バールに達しなくても開いてしまい、ホンダが独自にテストするとばらつきがひどく、3バール以下でも開いてしまうものがあったそうです。
    しかしFIAに抗議したのはホンダだけ、なぜかというと他はそもそも燃費調整失敗して薄い混合気で4バールまで加給出来なかったので、関係なかったそうです。
    なのでホンダはポップオフバルブを内製し配るという方法で対処したそうです。

  • あらゆることをデータ化したことでしょう。そのためにテレメトリー装置をサーキットに持ち込み、エンジン回転数や作動状況、アクセル開度、車速、燃料残量などをリアルタイム監視出来ました。おかげで燃料をギリギリまで使えましたし、エンジンが冷えすぎたり暑すぎたりすれば最適温度になるよう、ラジエターへの冷却風を絞ったり、吸気温度をコントロールするために、ある時はシュノーケルを使い、またある時はサイドポッド内から吸気をとったり、非常に細かくデータを解析したと思います。

  • ガソリン冷却しない事
    ノッキング回避で圧縮比を下げてブースト上げると馬力が出ますが、
    この場合排気温度が上昇してピストンや排気バルブが溶けるので
    当時のターボエンジンは濃いガソリンを噴いて冷やしていましたが
    これをやると燃費が異常に悪くなり、燃料タンク容量の
    制限が出来てから他のエンジンはフルパワーを出せる時間が
    限られるようになりますが、ホンダはそこまで濃い領域を
    使っていないので有利に走れました。
    マクラーレンMP4/4に使われたRA168Eの最低燃料消費率は
    200g/PShで、当時の国産市販ターボだと350g/PShくらい、
    自然吸気でも230g/PShでしたから驚異的な数値です。

    車体側でいうとMP4/4は超低重心だったのが効いています。
    ゴードン・マレーの前作ブラバムBT55は同じコンセプトでしたが
    こちらは水平マウントしたBMW・M12/13/1に潤滑系の
    トラブルが多く失敗に終わっています。

  • 過給圧はレギュレーションで決まっており、設定を越えるとポップオフバルブというものが働き、サージタンクから圧力を逃がす仕組みとなっていました。

    ポップオフバルブが働くと大幅にサージタンクの圧力が下がり、回復するのに時間を要するためその間パワーが低下します。

    過給圧のコントロールが絶妙であったといわれています。
    これはIHIがターボチャージャーを専用品として開発していたことも大きな要因です。
    サージングやチョーキングコングといわれるものが発生すると過給圧のコントロールが困難になります。

    あとは空燃比です。
    当時は決勝で使用できる燃料の量が決まっていました。

    今のF1は理論空燃比(14.7)より薄い空燃比での走行が可能となっていますが、当時は非常に濃い空燃比となっていました。
    これは燃料でシリンダーを冷却しノッキングを回避するという方法が取られていたためです。

    使える燃料が同じであれば薄い空燃比でパワーを出せる方が有利です。

    そのためターボの初期に使われた機械式インジェクションから電子制御のインジェクションに進化したのですが、ホンダはいち早く、負荷や回転数に応じた噴射量を設定するという今時と同じ考え方のものを導入して、適正化を行っていました。
    他のメーカーも導入していたのですがホンダは一歩進んでいた様です。

    燃料冷却を極力少なくする方法も行われています。

    まずはスモールボア化です。
    当時はレーシングエンジンはショートストロークが一般的で、ホンダも当初はF2用の2Lエンジンをショートストローク化したものを使用していました。
    試行錯誤の末、ボアを小さくするとノッキングが起きにくいということが判りスモールボア化が行われました。
    今は燃焼の可視化は一般的ですが当時は行われておらず、市販エンジンの開発で得られたデータも参考にされたようです。

    これには特殊燃料も関与しています。
    当時は燃料は各チームが持ち込むことが可能で、ガソリンと物理的性質が似ている何かといわれるものが使われていました。
    オクタン価が高いとノッキングしなくなる訳ですから燃料も高いオクタン価を求めるようになります。

    防毒マスクが無いと近寄れないといわれたほどの特殊なもので、トルエンに近い匂いだったようです。

    開発の順序は前後していると思いますが、どのメーカーよりも先に導入していたのですがため、独走に近い状態となっていました。

    ただ、シーズン後半ではフェラーリもかなり肉薄するようになっており、同じレギュレーションがもう1年続くとそこまでの優位性は無かったと思われます。

  • 加給圧もあるけど、
    『空気の流入量』がルノーやフェラーリに比べ
    圧倒的に多かったんだ。

    同じ混合気でも空気の量が多ければ多いほど(上限値はあるけど)
    燃焼量も増えるので結果的に速い車に仕上がるんだな。

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