ランボルギーニ カウンタック のみんなの質問

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バブル時代の人にお聞きしたいことがあるのですがBMWとベンツの事で前者が六本木のカローラ、後者が赤坂のサニーと呼ばれてるとありましたがこの頃の東京では数え切れないほどの数が走り回ってたのですか?

他にも気になることがありまして

・カローラと呼ばれたBMWは3シリーズのE30、サニーと呼ばれたベンツはW201という車種でこの二台のみが大量に出回ってたのでしょうか?同年代のBMWは5シリーズのE34、7シリーズのE32、6シリーズのE24 ベンツはW126、W124などはそんなに出回らなかったのでしょうか?

・アウディも80 B3 100 C3等も出回ってたと聞きますが外車でドイツ車が一番人気があったのですか?
理由はやっぱりパワステ、パワーウィンドー、そしてオートマ装備車もあって日本車並みに運転しやすいから選ばれたのでしょうか?
フェラーリやランボルギーニ(この頃はおそらくカウンタック)も売れてましたがやはり財力に加えA級ライセンスクラスの運転技術が必要でしたからそこまで普及しなかったというイメージが・・・(同年代のF40は日本に沢山輸入されましたがその高額ゆえに走らさずに投機目的での購入)(
ポルシェもAT車はありますが911で出たのはバブル崩壊後でしたから除外。928はAT車もありましたが・・・

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ベストアンサーに選ばれた回答

当時は猫も杓子もベンツ、ベンベーでして。
E30、W201もいっぱい居ましたが、W126なんかは日本が一番多いんじゃないかと思うほど居ましたよ。
それだけいっぱい同じ車種が居るから人と違う車を欲しがる人の求めでAMG、ロリンザー、ケーニッヒ、キャラット、ゲンバラ、ハルトゲ、シュニッツァー、アルピナ、他にも様々なチューンドカー、ドレスアップカーが入って来ました。
ヤクザ屋さんの会合があると道にズラリと並んだ車の9割がW126でした。
某組系専属の日本の車屋さんが改造した車両が多くてセンスの良いドレスアップがとてもカッコ良かった。
運転し易いからじゃなくて大抵はステータスのためじゃないかな。
安全性も当時はドイツ車の方が遥かに優れていましたし。
今はアメ車のストレッチリムジンが日本では多いですが、当時はメルセデスかロールスが普通。
メルセデスのリムジンは本当に多く見た印象があります。
アメリカ人が切ってつなげたリムジンや屋根をカットしただけのようなコンバーチブルよりヨーロッパ製のリムジンとキチンと作ったカブリオレには雲泥の差がありました。
W124もポルシェも珍しくはなかったですよ、124のTEはかなり売れたし、ポルシェは911、928は当たり前に居たし、RUF、ゲンバラも目にしました。
ロータスもヨーロッパやエスプリは普通に見かけました。
アストンマーチンはラゴンダですら目にする機会がありました。
その辺を走るにはフェラーリだって特別な技術は不要。
体力は必要ですが。
348、テスタあたりはそんなに珍しかった印象は無いです。
当時のアウディはメルセデス、BMWよりはランク下。
私の印象ではVWよりも格下。
80なんかよーく壊れてました。
少なくとも私の友人2人が買った80は新車のくせに良く壊れてました。
と、当時都内に住んでいて毎週末外車の修理屋で遊んでた私の感想です。
なお、パワーウィンドーは当時ドイツ本国ではオプションです。
初期のW126で280SEあたりだとパワーウィンドーではない車両が本国には居ました。
そういうのは中古並行で日本に入って来る時にパワーウインドーにしちゃってました。

その他の回答 (5件)

  • バブル時代、金回りのいい若者が独車入門的に小ベンツや小ベンベを買いはじめ、それを見せられたけど買えない若者たちが悔し紛れに、六本木のカローラ・赤坂のサニーと言い始めた。
    まぁ 言った方も言われた方もレベルの低いチャラ男たちの話。

    また、数え切れないほどの数が走り回ってたわけではなく、チャラ男たちが六本木や赤坂に集まっていた。

    当時のアウディは格下扱いで、デザインがおとなしめ目だったこともあり、良家の女子御用達車だった。

  • もろにバブル世代だけど...六本木のうんぬんは若者が遊びに行くクルマとして3シリーズやCクラスがそう呼ばれたわけで、40~50代のオヤジ達はEやSクラスを乗り回してたよ。
    5や7シリーズは押し出しが弱かったので人気は現在と同様からきし無かったね。
    アウディはワーゲンの傘下で開発資金が乏しいなかで、クワトロや空力設計ボディやフルアルミボディなど独自の開発を行っている実はゴリゴリのドイツ車だったけど、あの丸っこいボディが日本では何故か女性受けしてた。
    オレは当時中古のアウディを乗ってたけど、高速でエンジン性能を出し切ってもボディは全然余裕があって感心したもんだった。
    当時のヨーロッパ車は殆どマニュアルで、アメリカや日本仕様のATはからきし信頼性が無くよく故障してて、ギアを専門にメンテしてる工場はいつも満車だったね。
    スポーツカーは主力市場のアメリカの経済低迷でポルシェ、ランボは青色吐息で、唯一あの醜い(俺的には)テスタロッサがノロノロとやかましく都会を這いずり回ってた記憶がるね。
    F40や959はクルマに興味もないようなバブル野郎が投機目的でガレージに寝かせてたから全く街中ではお目に掛からなかった。
    それよりもプジョーやルノー、シトロエン、ランチア、アルファなどのイタフラ小型・中型車が物凄く当時としては出来が素晴らしく魅力的に感じた覚えがある。
    国産はR-32やS-13シルビア、シーマと立て続けにヒット作を出してた日産が勢いがあったな。
    それと、ロードスターをあの企画でちゃんと発売したマツダには敬意を表したいところ。

  • その頃からクルマに乗り始めましたが、今と同じくらいの印象です。
    寧ろ5シリーズ等も多かったです。
    AUDIはかなり格下の扱いです。圧倒的に独車でしたが、アメ車もまだ息をしていました。FIAT,LANCIAもそこそこ見かけたような。

    パワーのあるクルマは極一部で、国産車の方が速いクルマは多かったので、ホントにステータスだけだったかな。

  • 株や土地売買で収入が増えた小金持ちが多く増えて、本当の金持ちでは無いので3シリーズとCクラスを買うのがやっとと言うのが実状でした。
    本当の金持ちはそれ程増えていないのが実状です。
    バブルが崩壊すると綺麗さっぱり居なくなりましたから。
    その頃アウディは今ほどのステータスが無く、VWと大して違わないくらいの車とのイメージです。
    バブルの時は ブランドでプライドを競っていましたから、BMWとベンツは評価されましたが、AudiとVWはワンランク以上下という扱いです。
    ブランドとしての価値でしたので、もっぱら一番安い 318やC190ばかりでした。
    だから装備の良さなんて気にしていないと思います。
    フェラーリやランボルギーニは 土地取引の成金じゃ無いでしょうか?
    土地ブローカーが暗躍して地上げ屋が沢山居ましたから。
    億単位での儲け話が普通でした
    運転技術なんて関係無く、ガレージに飾る車や六本木に見せびらかしに行く車でしたね。
    NSXが出たときは 普通に運転出来ると人気で バックオーダーが凄かったのですが、増産したらバブルが弾けたと有名になりました。

  • E30や190Eは沢山走ってました、BMW5シリーズ、今で言うSクラスやEクラス特に六本木やお金持ちの多い地域なら今のプリウス並みに走ってましたよ。
    国産ではソアラ、クラウン、セドグロ、マークⅡ3兄弟、シルビア、プレリュードなどで溢れてました。
    自身はシルビアに乗っててE30に憧れが有り中古車を見に行ったら内装のプラスチック感満載、カローラ以下の内装でこの値段?って印象で購入意欲無くしました。それはE30や5シリーズ、なども同様。当時の国産はソアラやマークⅡ全盛で豪華な内装でターボ付いてでハイパワーでしたから。

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