いすゞ ピアッツァ のみんなの質問
ful********さん
2020.10.19 14:13
CDアコード、ジェミニはMAドマーニといずれも“ホンダとの養子縁組車”だっ
たんですが、ピアッツァだけはOEM移行がなく、2代で終了しました。
上記2台からでもすでにわかるように、せっかくホンダと縁戚関係を結んだわけ
ですから、ピアッツァには血のつながってない“3代目”として、DCインテグラ
(※Rは除外)をあてがうことはできなかったんでしょうか。
DCインテグラはフォルム元より、特に前期の丸目が、2代目JTピアッツァの
イメージに直結(リトラ以外)します。
また初代JRが持ってた美しさとプライドは2代目ですでに捨てられましたし、
そもそも初代からして個性的さが仇となり“一般受け”はしてませんでしたから、
今さら気にすることでもないと思ってました。
yさん
2020.10.21 18:20
1990年頃、いすゞは当時の親会社であるGMの戦略転換の影響で(SUVを除く)乗用車の自社生産から段階的に手を引き、当時同じGM系列だったスバルやスズキから供給を受ける方向にシフトしていきました。(※2代目アスカはスバル製です)
そして1993年、SUVブームに出遅れたホンダとの相互OEM供給が決まったのをきっかけに、乗用車(SUVを除く)の自社生産から完全に手を引きました。
※両社の関係は実務的な業務提携であり「ホンダとの縁戚関係」というほど特別なものではありません。
そして同時に、国内では「SUVスペシャリスト」と銘打つプロモーションを積極的に展開しはじめ、自社生産のSUV(ビッグホーンやミューなど)に特化した販売戦略にシフトさせています。
つまり当時のいすゞ(乗用車担当部門)の方針は
①一般的な乗用車からは事実上の完全撤退
②そのリソースを競争力があるSUV(自社生産)に集中して勝負する
というものでした。
とはいえ、まだ乗用車から撤退したことすら知らない従来からの客や、営業車向けなどで普通乗用車の需要もゼロではなかったため、
③一応OEM乗用車を継続し、最低限の対応だけはできるようにしておく
という暫定的な対応をとった訳です。
つまり、当時のいすゞにとってOEM乗用車はあくまでもおまけです。
積極的に売る気はないので広告も打たず、当然、販売台数も微々たるものでした。
その様な中、趣味性が強いピアッツァの、さらに中途半端なOEM後継車を
ラインナップすることには何も意味がないと思われます。
ラインアップしておくだけでも様々なコストがかかりますので、おそらく
検討すらされなかったと思いますよ。
CoupeCamperさん
2020.10.20 21:37
自分は、いすゞに対しては、特にファンだった訳ではありませんが、大学生の頃、ピアッツァは美しいスタイルを持ったモデルだと思いました。しかし、ホンダ・プレリュードなどに比べると、やはり魅力は劣ると思いました。
アスカは、元々ほとんど印象にない車でしたが、他車からOEM供給受けて何の意味あるんだろうと思っていました。アコードが気に入ったら、自分ならホンダから買うと思いました。でも、今改めて思うと、長年のディーラーとの付き合いを大事にする中高年いすゞオーナーからは僅かな需要があったんでしょうね。
裏を返せば、若い人はそんなことはないんじゃないでしょうか?スペシャリティカーの需要層が、OEM車を買うとは思わないと判断されたからだと思いますね。
nbr********さん
2020.10.19 20:33
カーグラフィックには「二代目ジェミニでいすゞらしい欧州の雰囲気で人気を得るも、三代目でピアッツァと共に(提携先の)GM臭の強いアメリカ市場向けになっていすゞらしさを喪失した。後にGMの下請け的役割に嫌気が差し、半ば自主的に乗用車生産から撤退した」という記事ありましたけどね。売れないからなんてどこにも書いてなかあったような…。ディーゼルエンジンの開発・供給に専念することで活路を見出したとも。
mini_32r50さん
2020.10.19 16:28
■ひとことで言えば、乗用車販売戦略が甘く売れなかった
これにつきます、いすゞのディーラも言ってましたが乗用車
より、バス、トラックの方が、利益がでる上に、乗用車は売れる
クルマ作りに開発コストがかかりすぎる。バストラック、船舶は
法人や、業務需要が、多く必ず販売が継続する。ドア、エアサス
などはサプライヤー手配でも開発できる。
自家用車はデザインでは売れない・・・117クーペ、セリカに
ボロ負け、さらにスカイラインにボロボロに負けたために。
開発スパンが長くなりすぎて、トヨタ、日産について行けなかった
決定的なのは、RVブームに人気車が出せなかった
あのマツダでさえ、ボンゴという固定客がつく車があったが
いすゞ、にはない。トヨタ、日産、三菱、はコンセプト違いの
ワンボックスを売り出して人気があった。
その時々の、ニーズのある自家用車に合わせて作る方針では
なかったことが、乗用車撤退、生産終了になったんでしょう
売れるか、売れないか、いすゞは乗用車は売れないと
諦めたんでしょうね
一部には乗用車設計部門の退職、転職に歯止めがかけられず
開発できる状況になかったという噂も流れてましたね
会社も、合併、子会社分社化、というのは経営体質の弱体化の
表れでもあったのだと思います。
すこし他の原因を付くと、VTECは耐久性が低く・・というか
高回転性能にずば抜けていて廃車が多くて販売低迷の一因と
なったという噂もベストカー?に書いてあったと思います
志位八輔さん
2020.10.19 15:51
そもそもいすゞが乗用車の自社開発から撤退したのは販売不振が原因で、販売店が最小限の乗用車のラインナップを維持する必要があったために他社からセダンの完成車を調達するに至ったわけです。
この時点で、いすゞ販売店における乗用車の役割はトラックやバスのついでに販売される社用車向けが中心で、販売台数は少数に限られる上に、需要はほとんどベーシックグレードに限られていました。スペシャリティモデルの需要はほぼ皆無だったんです。
アスカは、自社生産の終了直後は富士重からレガシィセダンの供給を受けていました。スバルではターボモデルがイメージリーダーになっていたけれど、いすゞが調達したのはNAモデルだけです。高性能モデルや高付加価値モデルの需要は無かったということです。
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