いすゞ ピアッツァ のみんなの質問

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いすゞ自動車が、小型、普通乗用車から撤退したのは久しいですが、昭和50年代中頃から小型乗用車を一新しました。

ベレット→ジェミニ
フローリアン→アスカ
117クーペ→ピアッツァ
いすゞが乗用車を一新した理由は何故ですか。

また一見 70年代のアメ車を彷彿する3ナンバーの普通乗用車も見た記憶があります。

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ベストアンサーに選ばれた回答

いすゞの乗用車といえばモデルライフが長いことでお馴染みでした。これは、

自社開発の乗用車を市販する→売れない→開発費を回収できない→モデルチェンジできないまま同じモデルを長期間販売する

という負のスパイラルに陥っていたためです。

いすゞは昭和46年にGMとの資本提携に踏み切り、昭和49年の初代ジェミニからはGMが新車開発に深く関与するようになっていきます。特に初代ジェミニは、オペルを中心として開発されたGMのグローバルカーのプラットフォームにいすゞ製のパワーソースを載せたものでした。これにより開発費を圧縮することができたいすゞは、乗用車のモデルライフをそれなりに短縮し、旧弊化していた車種を新規車種に置き換えることができました。

おそらくご覧になった3ナンバー車はステーツマン・デ・ビルかと思います。この車種もGMとの協業から登場したもので、GMがオーストラリアで発売していた車「ホールデン・ステーツマン」の上級グレードを輸入し、いすゞブランドで発売したバッジエンジニアリング車です。

質問者からのお礼コメント

2020.2.11 01:13

回答ありがとうございました。皆様の回答も大変勉強になりました。

その他の回答 (3件)

  • いすゞの商売下手はお見事です。販売店少ない、貨物車イメージ、⇨うれない、⇨償却できない、お金がない、モデルチェンジしない、⇨ますます売れない、です。つながったのはジェミニぐらい、最後にアメ風デザインでこける、⇨終了。その点、ホンダは失敗作も多いが果敢にモデルチェンジをつづけた、⇨ただいま業界2位。一時は倒産の危機もある位借入金も多かったが、切り抜けた。

  • いすゞは車種を全て一新しても販路が拡大出来ず販売不振が続いて、初代までは自社生産してましたが、新たな開発費用を削減する手段として他社にOEM生産を委託しました。結局は販売不振となって乗用車から撤退するハメとなりました。

    70年代のアメ車風のステーツマンデビルは車体だけをマツダに供給してたようです。マツダからはロータリーエンジン搭載のロードペーサーとして販売してました。

  • いすゞの乗用車はフルモデルチェンジしないポリシーがありました。欧州のようにスタイルを確立するのと同じこだわりがあったようです。
    117クーペやフローリアン、ベレットはマイナーチェンジが何回かあったもののフルモデルチェンジはしませんでした。でもいすゞのユーザーは少なくて、販路を拡大することが出来なかったので販売戦略の見直しを迫られたのです。そこで既存の車種を廃止して新たな車種を導入したのです。また新たな車種はフルモデルチェンジも容認しました。
    つまりベレットやフローリアン、117クーペは事実上のフルモデルチェンジとなったのです。
    いすゞの普通乗用車はステーツマンデビルですね。アメリカではなく、右ハンドル車である豪州から取り寄せていすゞブランドで販売されてました。でも排ガス規制に引っかかって販売されたのは200台くらいと言われてます。

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