ホンダ オデッセイ のみんなの質問

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本田宗一郎て高回転型エンジン。スポーツカーのエンジン。レーシングカーのエンジンにしか興味がなかったと聞きますが。
ですがホンダは最初に大ヒットさせたバイクはスーパーカブですが。

ホンダが最初に大ヒットさせたクルマはシビックですが。
なぜ本田宗一郎の意に反して最初の大ヒットは商用バイクだったりファミリカーだったりしたのですか。

と質問したら。
そこが本田宗一郎の先見の目があったところ。
という回答がありそうですが。

ですがスーパーカブを反対する本田宗一郎を藤沢武夫が頼みこんで作ったと聞きますが。
シビックを押す中村良夫に対して本田宗一郎のゴリ押しで空冷のH1300を作ったと聞きますが。

それはそれとして。
ホンダの歴代のヒット車てシビックもアコードもオデッセイもN-BOXもみんな高回転エンジンとは真逆のエンジンですが。
なぜ本田宗一郎は高回転型エンジンにこだわったのにホンダのヒット車はみんな実用車なのですか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

スポーツカーもあるけど、実用車のメーカー。

その他の回答 (16件)

  • 本田宗一郎が高回転エンジンにこだわったのはレースの話です。市販車ではありません。レースで勝つために「排気量が同じなら、よその2倍エンジンを回せば2倍の馬力が出るじゃないか」が口ぐせでした。

    市販車でスーパーカブやシビックを作ったのは、本田宗一郎の製品づくりの基本が「人の役に立つものを作る」だからです。だからホンダの最初の二輪車は自転車に補助エンジンを付けたもの、最初の四輪車はT360というトラックだったのです。

    スーパーカブは本田宗一郎は反対などしていません。それどころか逆に自ら陣頭指揮を執っています。デザイナーが帰宅した後に本田宗一郎がクレイモデルの気に入らない箇所を自分で直して翌朝デザイナーが驚いたり、ソバ屋の出前持ちが片手運転出来るように、クラッチ操作の要らない自動遠心クラッチの開発を設計陣に厳命したのは有名な話です。

    シビックの前にはN360がありますが、これも「乗る人間のサイズは普通車も軽自動車も同じだ!」と、まず車室からデザインやレイアウトを始めて、余った部分にエンジンやミッションを置くという開発手法を取りました。後にMM思想と言われるものです。

    空冷エンジンは確かに宗一郎さんの持論でしたが、排ガス規制をクリアするのに燃焼温度の一定しない空冷エンジンでは見込みがなく、それでも空冷に固執する宗一郎さんに藤沢さんが「あなたは社長なのか一技術者なのか、どちらなんだ」と詰め寄り、これによって宗一郎さんも水冷を認め、そしてこれをきっかけに「これ以上、自分のような古い技術者がいては現場に迷惑をかける」と引退を決意したのも有名な話です。

    本田宗一郎の逸話はいくつも本が出ていますので読むことをお勧めします。

  • 前提に、本田宗一郎はエンジニアで、
    藤沢武夫は、商売人だったってコトが
    あるみたいですね。

    アップル・コンピュータで言えば、
    ウォズニアックが本田宗一郎で、
    藤沢武夫がスティーブ・ジョブズ。

    で、先にカブが発売されてた、と言う経緯もあります。

    本田宗一郎は、当時の自分たちの技術力でも
    製作ができて、商売になるのは、
    自転車にエンジンを後付けした、
    『カブ』が限度だと考えてたのに対して、

    藤沢武夫が、車体からバイクとして一体設計された、
    ペダル無しのバイクじゃないと、
    他の競合車(三菱ラビットやモペット)に対抗できない、
    と主張して、渋る本田宗一郎の尻を叩いたみたいですよ。

    本田宗一郎が渋ってたのは、
    スクーターの無段階変速機が、当時のホンダでは作れず、
    有段ギアで、どこまでスクーターに対抗できるか?
    と言う技術力の差の問題だったようです。

    で、苦肉の策で考案したのが、遠心クラッチで、
    結果として、低い技術でも製造可能だから、
    安価にできて、整備性もいい、ってコトで、
    爆発的なヒットになった…と。

    その後、本田宗一郎はエンジニアとして、
    年々、新技術を求めて、技術革新を進め、
    新技術開発の頂点として、
    F-1やロードレースGPに参戦するコトで、
    世界レベルの技術を得ようとした、
    ってコトだと思います。

    最初から、高回転型エンジン好きだったワケではなく、
    技術屋の向学心から、行き着いた場所が、
    レースだったってコトでしょう。

  • ホンダの最初の最大のヒットのバイク(あえてバイクとしましょう)はバタバタだよ。

  • 本田宗一郎は空冷エンジンにこだわってたんで
    社長を交代したんです。

    スーパーカブは、倒産しかけたホンダを救ったバイクでして、
    借金をしてスイスに行って、ネジを造る精密機械を購入して
    息を吹き返したものです。
    2人乗りして坂道を上がる、というのが売りでした。
    (原付で2人乗りはいかんですけど)
    アジアの何処の国だったか、バイクの事をカブという国が
    あったと記憶してます。

    あと、ヒット作はCITYもお忘れなく。
    没になったCITYの図面を役員が家に持って帰って
    テーブルに置いてたら、娘?がみてお父さんこの車いいね。
    これが始まりでした。

  • 先見の目w

  • なぜ本田宗一郎は高回転型エンジンにこだわったのに


    本田宗一郎が宣言

    1962年(昭和37年)に
    本田宗一郎が航空機事業への参入を宣言

    1964年に
    航空事業のノウハウを収集するため本田航空を設立


    「国産軽飛行機の設計を募集」
    創業者の本田宗一郎氏は新聞にこんな広告を出した
    http://president.jp/articles/-/13768

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