日本で初めてGTを名乗ったモデル
GT-Rと言えば、多くの人たちが思い浮かべるのは“ハコスカ”や“ケンメリ”だったり、“R32”といった歴代のスカイラインGT-R、あるいは日産GT-Rかもしれません。ですが、忘れてならないのがいすゞのベレットGTRです。今回は、かつていすゞがリリースしていた珠玉のスプリント、ベレットGTRを振り返ります。
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自動車産業黎明期の合従連衡から立ち上がったいすゞ自動車
今ではトラックやバスの専業メーカーのイメージも強く、またディーゼルエンジンのスペシャリストとしても知られるいすゞ自動車ですが、かつてはトヨタや日産と並んで自動車業界の“御三家”と言われていました。
その歴史は古く、1876年に創立された石川島平野造船所として発足した東京石川島造船所が、その祖とされています。その東京石川島造船所は1916年に自動車製造の研究に着手して1918年にはイギリスのウーズレー社と提携、1921年からウーズレーA9型のノックダウン生産を始めています。
そして翌1922年末には国産化にこぎつけるのですが、いすゞ自動車は、東京石川島造船所として自動車製造の研究に着手した1916年を創業としています。1929年には東京石川島造船所から自動車部門が石川島自動車製作所として独立し、1933年にはダット自動車工業と合併して自動車工業を設立。さらに1937年の4月9日に東京瓦斯電気工業(瓦斯電)と合併して東京自動車工業が創立されていますが、いすゞ自動車は、この日を創立記念日と定めています。
旧ダット自動車工業の大阪工場は最終的には現在の日産自動車に繋がっていますし、瓦斯電自動車部として活動していた旧瓦斯電の日野製作所は現在の日野自動車に繋がっています。日産に吸収合併されたプリンスは富士重工業と同門です。こう考えていくと、この一連の合従連衡は、我が国の自動車産業における大歴史絵巻、ということになります。
さて、続いてはいすゞの乗用車についても話を進めていきましょう。まだ戦前だった1921年にウーズレーA9型のノックダウン生産を始めたことは先にも触れましたが、これは営業的には大苦戦で、国産化を果たしたもののウーズレー社との提携も解除。以後はトラック生産に転換していますが、当時の生産車だったウーズレー・トラックは、藤沢市にあるいすゞの企業博物館、いすゞプラザに展示されています。
その後、戦争の槌音が近づいてくると、第2次世界大戦に向けた政府の意向もあって、東京自動車工業はトラックもディーゼル車を専門的に手掛けることになり、1941年にはヂーゼル工業と社名も変更しています。そして敗戦。敗戦からの復興を支えるためもあって、ヂーゼル工業は戦後も大型トラックやバスの専業メーカーとして再スタートしていました。1949年には現在のいすゞ自動車へと車名を変更し、ふたたび乗用車の生産に挑戦することになったのです。
やはり海外の自動車メーカーからの技術供与を受けることになりますが、今度のパートナーはイギリスのルーツ・グループで、1953年にはヒルマン・ミンクスのノックダウン生産を始めています。
ヒルマン・ミンクスというのは、ルーツ・グループ傘下のヒルマンが1931年から生産を続けてきた、当時としてはミディアムクラスのファミリーカー。いすゞがライセンス生産していたのはいすゞとして初代モデルとなるPH10型と、1956年の秋にフルモデルチェンジして2代目となるPH100型でした。
いずれもイギリス本国や輸出先のヨーロッパ大陸の各国で好評を博したモデルとなっていました。それは日本国内でも同様で、1957年には国産化を終えています。
いすゞオリジナルのベレルに続いて登場したベレット
ヒルマン・ミンクスの生産と並行して、いすゞが独自に開発していたオリジナルモデルの1号車となったのが、1961年の東京モーターショーでお披露目されたベレルでした。
トヨタのクラウンやプリンスのグロリア、日産のセドリック、さらにベレルの2年後に登場する三菱のデボネアも含めて、国産フルサイズ・セダンでした。そしてベレルが登場して2年後の1963年11月にリリースされた小型乗用車がいすゞ・ベレットです。
ちなみにベレルはいすゞ(五十鈴)に因んで鈴(ベル)と50を示すローマ数字のⅬ(エル)を繋げて命名されたものでしたが、ベレット(Bellett)は、そのベレル(Bellel)の末尾に小さなものを示すettをつけた、いわばベレルの妹分、ということになります。
これはアルファロメオのジュリアとジュリエットの姉妹関係に似たネーミングですが、ちなみにアルファロメオでは妹分のジュリエットが先に誕生しているのですが……。またベレットは、日本で最初にGTを名乗ったモデルとして有名です。ただ発売時期に関してはスカイラインGTの方が1カ月早く発売されていて、この勝負は痛み分けとなっています。
それはともかくベレットGTです。4ドアセダンをベースにした2ドアクーペで、セダンに搭載されている1.5Lのプッシュロッド直4をベースに、1.6Lまで排気量を拡大するとともにSUのツインキャブを装着して最高出力は88HPを発生。また国産車としてフロントにディスブレーキを初採用するなど、スタイリングに加えて装備やスペックでもアピールしていました。
そんなベレットGTに、さらなるハイパフォーマンスを与えたホットモデルが登場したのは1969年の9月。前年から耐久レースのRクラスで活躍していたベレット1600GTXを、ロードモデル用にチューンし直したベレット1600GTRです。
エンジンは1年前にデビューしていた、117クーペにも搭載されている1.6Lの直4ツインカムエンジンを採用。最高出力は120HPにまで引き上げられていました。ただしパワーを絞り出したがために使い難くなるようなケースも世間には散見されましたが、ベレット1600GTRが搭載していたG161Wエンジンは、そうしたデメリットとは無縁。
プッシュロッドのころから中低回転域でのトルク特性には定評がありましたが、それはこのツインカムユニットでも変わりありませんでした。一方、エンジンのパワーアップに対応するよう、シャシーも強化されていました。ともにコイルで吊ったフロント:ダブルウィッシュボーン、リヤ:ダイアゴナル・スウィングアクスルというサスペンションの基本形式は不変でしたが、スプリングはよりヘビーデューティなものに交換されています。
またエクステリアも手が入れられていて、フロントバンパーが左右分割式となり、その間に2個で一対のフォグランプを装着。そしてグリルはブラック塗装された網目状のモノに置き換えられ、DOHCのエンブレムが誇らしげに映っていました。
1600GTRは後に登場した1800GTやオリジナルの1600GTとともに、“和製アルファロメオ”との評価を受け、今でも根強いファンから支持されています。ちなみに、スカイラインのGT-Rとは異なり、ベレットはGTRとTとRの間の“-”ハイフンがありません。また1970年のマイナーチェンジ後はGTRからGT typeRへと変更されていました。
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