ホンダ S2000 のみんなの質問

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ホンダ車について質問です。

ホンダ車はFFが殆どですが、FFにこだわりがあったからでしょうかね。
「S2000はホンダが作ったからあんなに高かった」と聞いたことがありますが、単にFRのノウハウがなかったからインテグラもFFなのでしょうか?
疑問です( 'ω')?
よろしくお願いします

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ベストアンサーに選ばれた回答

いいえ、「当時のホンダだからあの値段で造れた」のです。
S2000はホンダ50周年記念車として開発され、ホンダ四輪車のルーツとなるS500の現代版として登場しました。S2000がFRの理由はルーツとなったS500がFRだったからでしょう。
当時ホンダは、シビッグベースで造ったSUV(CR-V)やミニバン(ステップワゴン)で大儲けしていました。
そんな車ばかりでは技術が腐ってしまうと思ったのか知りませんが、S2000ではシャーシやエンジンといった開発にお金がかかる部品を専用で開発し、極限まで性能を追求したオープンカーを開発しました。
S2000の2倍近い価格のZ4、ボクスター、SLK、エリーゼですらエンジン等は既存の乗用車の部品を使用しています。

インテグラがFFの理由はシビックをベースとしたクーペという成り立ちだったからです。

質問者からのお礼コメント

2015.10.20 06:24

皆さん回答ありがとうございました!
なるほど...確かにそうですね
S2000がNAだったという事も奥がありそうですな...(^-^)

その他の回答 (9件)

  • FR用のシャーシが無い、生産設備が無い。

    ホンダはバブルで栃木に高根沢工場、NSXの生産のためにアルミ溶接機を備えた専用工場を作ってしまいました。ところがバブルは間もなく崩壊、NSXの受注は時間の経過とともに落ち、工場稼働率は激落ちします。
    この工場、他に流用が効かないのが最大の欠点だったのです。

    ここで、苦肉の策としてこの工場の稼働率を引き上げるために、S2000は計画されたものです。他の理由は後からもっともらしく付けた全て後付け、一番は経済的な理由です。

    これは、営利企業ですから当然でしょう。ボランティアでスポーツカーを作っているわけでは無いのですから。

    ホンダはレジェンド(アキュラRL)が売れていません、国内/海外ともにレクサスやインフィニティに太刀打ちできていません。これは、FFであることが大きな要因だとされていて、一時期はレジェンドのFR化計画がありました。

    実際にレジェンドを念頭に入れたFRのシャーシが開発されますが、リーマンショックによって白紙撤回されます。この落とし子が、新型NSXとなるはずだったスーパーGT500の「HSV-010」です、もちろんFR。

    FRのノウハウが無かったら、HSVでレースには勝てません。ただ単に、生産設備が無いためにFRのラインナップを持たない、いや持てないだけです。

    FR用に新規に工場を一つ作るとなると、1000億円からかかるのですよ。それだけ売れて、利益が出る"商品"でなければならないのです。

    本田宗一郎の思想…なんて理想だけでは、数万人の社員を食わしていくことはできません。また、株主がいる「株式会社」であり、その株主に対して配当をしなければならないのです。

    道楽だけでFRは作れません。

  • 日本にFWD車が普及するきっかけを作ったのがホンダのシビックだからです。FWD自体はダイハツにしろ富士重にしろ日産(プリンス)にしろ他の会社でもやっていたわけですけど、最初に商業的成功を収めたのはシビックなので。その成功を起点にホンダはラインナップを広げて行ったので、以後ホンダは一部の例外を除いてFWD車のみを生産することになりました。

    加えて、ホンダに他社ほど乗用車メーカーとしてのキャリアがなかったことも、ホンダ=FWDのイメージを強調したと思います。他のメーカーはタクシーなどの法人需要を狙って乗用車を造っており、その結果シンプルで(当時は)コストが安く、整備性のいいFERD車を当たり前のように造ってきました。FWDのイメージの強い富士重も、最初に試作した乗用車はタクシー狙いのFERD車です。乗用車メーカーとして、明らかに他社よりも後発であるホンダが、タクシーの市場を狙っても生き残れなかったでしょう。他と同じことをやっても意味がないから、(当時)異端児と言われるような路線をあえて取ったのだと思います。

  • 国産FF車黎明期の、ホンダN・360は良くも悪くも世間を騒がせた車でしたが、画期的な車でした。

    パッケージングは合理的な一言で、シフトレバーでさえ今で言うインパネシフトのハシリでした、
    当時は、本田宗一郎氏の言った「FFならハンドルを切った方向に動力が伝わる、競走馬は後足で蹴って進もうとするからスピードが出た時に曲り難い」

    当時はなかなか説得力のある言葉だとは思いましたが・・・

  • ホンダ(本田宗一郎氏)がMM思想の持ち主だったから、というのも1つの用意かと。

    人のスペースは広く、機械のスペースは狭く(マンマキシマム・メカミニマム)という事を考えると、行き着く先がFFという駆動方式だったのでしょう。
    ちょっと古い記事ですが、当時の社長も明言してますし。↓
    http://s.response.jp/article/2007/10/19/100706.html

    初期の頃の車がFRだったのは技術的のため(S500等)、NSXやビート・S2000が後輪駆動なのは特別な思い入れや拘り(性能)の為だと思います。

    S2000が高額だったのは、生産数の少なさと専用部品の多さからだと思います。
    性能に直接関わるような部品に他車種と共用している部品はまず有りませんし。

  • そもそも軽四でFRが主流だった時代に FFの「N360」を販売して それ以降軽四イコールFFというのを主流にし、普通車にも影響を与えたぐらいですからね。
    でもその「N360」の前に出てた「S600」や「S800」といったスポーツカーはFRでしたよ。

  • S600,S800,軽のAK250
    FRでしたよ
    FFのドライブシャフトの等速ジョイントが出来なかった時代
    オイラは軽の4気筒FR乗ってたけど、そりゃもう狭い、非力、ショボイ
    シビックSB1が出てきてFRの天下は終わった

  • 本当のところはよく知りませんが、昔よくまことしやかに言われていたのは、本田宗一郎さんが「プロペラシャフトなんて重量嵩むし無駄なものだ!!」とのたまったからだと聞いたことがあります。

    似たような話で総一郎さんの鶴の一声で空冷エンジンばかり作っていた時代がありました(ラジエーターなんて・・・・という理由です。)F1のエンジンも空冷だった事があるくらいです。

    FFの方が早いというのはどうなんだろう?
    その昔日本のはJTCCというカテゴリーのレースがありました、2リッタークラスの確か4ドアの車のレースですが・・・このレースFR車には重量ハンデがありました。
    遅い車がハンデを背負うなんてことはないと思いますよ。

  • シビックやインテグラサイズですとFFの方が速いからです。

    当然ですよね?FRはエンジンを縦置きにしてミッションを介し重たいペラシャフを回しさらにリアデフを介し回転方向を90度変換します。そしてようやくタイヤという過程でパワーロスが大きく出ております。車体重量も重くなります。

    それがFFならばシンプルにエンジン横置きでデフ一体型ミッションで横回転を横回転のままタイヤに動力を伝えます。途中重たいペラシャフもありません

    ハイパワーエンジンならあまり関係なくなりますが軽さが武器のクルマの場合FFの方が何かと有利なのです。

  • >「S2000はホンダが作ったからあんなに高かった」
    ならばお訊きしますが、FRのノウハウってのは何なの?

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