BMWアルピナ B3 のみんなの質問

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アウディについて詳しい方、歴史、日本での現状・将来性、イメージなど、なんでもいいので教えてください。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ドイツの自動車会社4社の共同体から発展した会社です。
空力性能を重視し、非力なエンジンで他社と対等な戦いを演じてきた歴史があります。
VW傘下に入り、現在はパワフルさと燃費に注力しています。
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1900年代初頭、ドイツでは多くの中小自動車会社が乱立していました。
いずれも経済基盤が弱く、自動車の開発にかかる費用の捻出に苦労していた時代です。
多くの企業ができては消えて行く時代で、生き残りをかけて統合したのが現在のAudiの基盤となっています。
当時、近隣の自動車会社であったアウディ、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーの4社が共同組合を作り生き残りをかけました。
その共同組合がアウトウニオンです。

4社の生い立ちは以下の通りです。
・ホルヒ:アウグスト・ホルヒが設立した自動車会社です。ドイツでの最高級車と位置付けられていました。
・DKW:イェルゲン・スカフテ・ラスムッセンが蒸気駆動車から起業した自動車会社です。小型乗用車からオートバイと自動車の双方を製造していました。
・Audi:ホルヒの社内抗争の末、ホルヒが外にでて起業した自動車会社です。ドイツ語の「ホルヒ」(聞きなさい!)と同義語のラテン語から派生したAudiが社名となりました。(英語のAudioのことです。)ホルヒ自身が自動車ラリーに参戦していました。
・ヴァンダラー:ヨハン・バプティスト・ウィンクルホーファーとリヒャルト・アドルフ・イェニケが自転車の修理屋から起業した自動車会社です。オートバイから自動車へ製造事業を発展させた会社です。

当時のアウディは中型車、ホルヒは高級車、ヴァンダラー大型車、DKWは2輪車を中心にしておりました。
DKWは世界発の前輪駆動車を開発しています。
(ホルヒはそもそも当時のVW経営者であるピエヒ家やポルシェ家と親戚関係でした。)
この段階でのエンブレムはヴァンダラーの自動車部門のマークを主体とし4社が統合した印として4リングとなりました。
共同組合形態での事業運営で始まった協業は、アウトウニオンという名称のまま一体化されました。
その後、世界発のロータリーエンジンを開発したNSUがアウトウニオンと統合し、車名をアウディに一本化しています。

現在はVolksWargen傘下の起業として、ヴァンダラーの主要工場であったインゴルシュタットが中心となっています。

現在常識とされている、低空気抵抗,前輪駆動,ロータリーエンジン等、を開発してきた先進的な企業です。

特に1970年代は、空気抵抗係数0.28をセダンボディでたたき出し、非力なエンジンでも他社と対等な走行性能が得られることを証明しています。
DKWにより発明された前輪駆動方式は、現在の車のほとんどが採用している駆動方式です。
ロードレースへの積極的参加により、技術の高さを世界に知らしめた時代もあります。
特にAudi Quattroは一世を風靡しました。(Audi Quattroに勝てる車無し!)
一般車としては、Audi 80(B1~B3)の非力なエンジンに空力性能をカバーしジュージアローデザインによる大衆車を実現しました。
当時のB1,B2はカウンターフローのデジファントエンジンで、KEジェトロニックの採用により、電気系が停止してもエンジン回転を維持できるという当時の環境でトラブル回避に有効なエンジンでした。
Audi90では直列5気筒という、従来の偶数気筒数とは異なるバランシング技術を構築しています。
ラリーで培ったQuattroシステムはトルクのダイナミックな変移を実現するため、トルクセンシングデファレンシャルを搭載しています。4輪駆動の実力の大きさを示し、以後の他社4輪駆動のベンチマークとなっています。
日本では、ヤナセの戦略のため、ベンツのセカンドカーとされたためブランドイメージは育ちませんでしたが、セレブの奥様御用達ブランドにはなりました。

・B3時代に採用したプロコンテンシステムはエアーバックと性能は互角として安全対策を提示しましたが、米国安全機関の抵抗により却下されたため、B4からはエアーバックに変更しています。
・AudiV8では、Audi Space Frameというアルミでの骨格採用とセイフティセル構造による安全性の確保が行われました。
・AudiA4では、論理キングピン位置をタイヤのセンターにすることができるマルチリンク構造により、ステアリングの効率強化を実現しています。

現在は、昔の非力なエンジンではなく、Dセグメント車として非常に強力なエンジンと、小排気量の低圧ターボによるエコロジーへと変革しています。

リーマンショック後の輸入車不振にも関わらず、モデルサイクルのタイミングが功を奏し、Audiだけが輸入車で好調です。
Audi Japanの設立後、独自の販売網開拓でだいぶブランドイメージが洗練されて来たと思います。

個人的には、B2(E81JN)とB4(E8CABC)を乗り継ぎましたが、かなり成熟された良い車でした。
ただ、右ハンドル車以外は輸入しないというAudi Japanの方針で、BMWへ乗り換えてしまいましたけど。

その他の回答 (1件)

  • アウディは,もともとベンツ社の技術者だったアウグスト・ホルヒが設立し,超高級車を製造していたホルヒという会社を基にしています。
    ホルヒとは,元々ドイツ語で聞くと言う意味ですが,技術的拘りが過ぎてホルヒ社を追放されてしまったホルヒは,自力で別会社を立ち上げ,ラテン語で同じ聞くと言う意味のアウディという言葉を社名にします。

    やがて,第一次世界大戦のあおりで不況に陥ると,中堅会社だったアウディ・DKW・ホルヒ・ヴァンダラーの四社は統合し,アウトウニオンを結成します。この時結成に参加した各社を一つの輪とし,輪を四つ組み合わせたエンブレムが誕生します。
    アウトウニオンは,ヒトラーの国威発揚の政策により国際レースで勝利を求められ,同じドイツのダイムラーベンツと共にグランプリレースで圧倒的な強さを誇りました。

    第二次大戦後,1965年にアウディブランドとして自動車製造を再開しますが,自力での独立が難しく,最初はメルセデスベンツ,後にフォルクスワーゲンの傘下に入り,1969年にはローターリーエンジンで知られるNSUを併合し,アウディNSUアウトウニオンとなり,1985年にアウディに社名変更します。
    現在はドイツのバイエルン州インゴルシュタットに本社を置き,フォルクスワーゲンの完全子会社としてグループの上級・高級車部門の中核となっています。

    アウディというとクアトロの代名詞で知られるように,乗用車の世界にフルタイム4WDを持ち込んだメーカーとしてよく知られていますが,VWグループの中でも先進的要素を盛り込んだ技術をどんどん取り込んでいくメーカーで,オールアルミフレームや小排気量ターボエンジン・直噴ディーゼルの開発,デザイン面でも空力ボディや現在のデザインのトレンドであるシングルフレームグリルなど,多くの自動車メーカーに影響を与えています。

    また,VWグループのランボルギーニやベントレーの設計にも深く関わり,アウディの多くの技術がこれらの車種にも盛り込まれており,ランボルギーニ・ガヤルドとアウディ・R8の二つのモデルなどは随所に類似性を感じさせる部分があります。

    また,4WDをラリーに持ち込み圧勝し革命を起こした他,ルマンにもディーゼルエンジンを搭載したマシンで優勝するなど,モータースポーツでも革新的なチャレンジを続けている事も有名ですね。

    1980年代ぐらいまでは,どちらかというとメルセデスベンツ・BMWよりも一段下という扱いを受けることが多かったですが,1988年以降VWアウディグループの総帥となったフェルディナント・ピエヒの指揮の下,一気にクオリティと性能を向上させ,現在では,メルセデスベンツ・BMWに比肩しうるメーカーに成長したというのが,一般の人の認識ではないでしょうか。

    最近では,これまで以上に小型モデルの開発に熱心でBMWミニの対抗馬となるA1を開発したり,将来的にはNSUの縁の深いローターリーエンジンを発電機として利用した,レンジエクステンダー方式のハイブリッドモデルを開発したりしています。

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