マニアックなフォードの世界(深淵)
フォードは自動車業界で最も長い歴史を持つメーカーの1つであり、そのクルマの多くは世界中で有名である。
【画像】一時代を築いた欧州フォードの名車たち【エスコート、シエラ、コルティナ、カプリを写真で見る】 全62枚
しかし、ここではそのどれについても語るつもりはない。おそらく多くの人が知らないであろう、奇妙な生き物が棲む深海(あるいは墓場)とも言うべき場所に潜入する。
今回は、フォードのいわゆる「ブルーオーバル」を付けたモデルや、同社が設立したブランドのモデルをアルファベット順に紹介していくが、他社から買収したブランドは含めていない。
エドセル・ラウンドアップ
フォードが設立したエドセルは、大変な結末を迎えたブランドとしてある意味有名かもしれない。1950年代後半から翌60年代にかけて売り上げを伸ばし、当時の米国市場の50%という世間離れしたシェアを誇っていたゼネラルモーターズに対抗する一助になると、フォードは信じていたのだが、それはまったくの間違いだった。
1958年モデルとしては7車種が導入されたが、そのうちの1台とて名前を挙げるのは難しいだろう。ラウンドアップは、バミューダ、ヴィレジャーと並ぶ3車種のステーションワゴンの1つで、4ドアではなく2ドアを持つ唯一のモデルである。
ラウンドアップの最終的な生産台数はさまざまに見積もられているが、いずれも3桁台後半であり、エドセルの中でもひどい結果である。大衆車として普及を見込んだクルマとしてはかなり災難であった。
フォード・アスパイア
20代後半の人なら、北米でフォード・アスパイアが買えた時代に生きていたはずだが、今になって初めて知ったという人も多いだろう。アスパイアは、キアと共同開発したフォード・フェスティバのセダンバージョンで、韓国で製造され、現地ではアヴェラとして販売された。アスパイアは1994年モデルとして発売されたが、あまりに売れ行きが悪く、1997年に販売中止となる。
インドではフォードKa(カー)をベースとするモデルも登場するが、2021年に廃止。インドに住んでいない限り、おそらくそのことも知らなかっただろう。
フォード・バンタム
AUTOCARの見解では、バンタムが無名車に数えられるのは、人気がなかったからではなく、地理的範囲が限られていたからである。小型車ベースのピックアップトラック(現地では「バッキー」と呼ばれる)が伝統的に人気のある南アフリカでのみ生産され、大きく分けて3種類の形態が存在した。
最初の形態(写真)は3代目エスコートがベース、次の形態は6代目マツダ323(日本名:ファミリア)がベース、そして最後の形態は5代目フィエスタ(本特集の冒頭の写真)がベースである。
他の地域ではほとんど知られていないが、バンタムは1983年から2011年まで継続的に生産されたため、南アフリカの道路ではよく見かける。
フォード・センチュリオン・クラシック
北米の自動車産業に少しでも興味があれば、1990年代初頭にフォードの大型4ドアSUVを買うことができたと聞いても、特に違和感なく信じてしまうかもしれない。だが、20世紀に製造されたブロンコはすべて2ドアで、4ドアに相当するものは存在しなかったのだ。
ミシガン州ホワイトピジョンのセンチュリオン・ビークル社は、そこにチャンスがあると判断し、4ドアSUVを作った。こうして誕生したセンチュリオン・クラシックは、Fシリーズのクルーキャブ・シャシーをベースにしているが、ルーフとバックエンドはブロンコから流用されている。初代フォード・エクスペディションが登場するまで、9年間生産された。
フォード・コメット
SAFとして知られるフォードのフランス法人は、第二次世界大戦後、独自設計のモデルを複数生産した。その中で最もスタイリッシュなのは1951年のコメットで、フラットヘッドV8エンジンを搭載したヴェデットの親戚にあたるが、スポーティなボディは後にファセル・ヴェガを製造することになる高級車メーカー、ファセルが手がけたものだった。
コメットの問題は、その購入価格と税金の高さにあった。結果的に販売台数は低迷し、SAFは1954年にシムカに売却されることになる。コメットは、シムカのバッジを付けて販売されたが、1年で生産中止となった。
フォード・コンサル・クラシック
英国フォードの主流車種でありながら、コンサル・クラシックは非常に奇妙な見た目で、しかも短期間しか生産されなかったため、通りすがりの歩行者が万が一偶然見かけたら「あれは何だ」と叫ぶかもしれない。
コンサル・クラシックは1961年に発売され、贅沢なデザインが与えられたものの、わずか2年しかもたなかった。クーペ版(初めてカプリの名が与えられたモデル)も、その後わずか1年で廃止。それに比べると、1960年代にやや遅れて登場したコルセアとコルティナは見た目がオーソドックスだったためか、はるかに長命だった。
フォード・デル・リオ
デル・リオは6人乗りの大型ステーションワゴンだが、乗降用のドアは2枚しかない。豪奢な名前とは裏腹に、基本的には低価格のランチ・ワゴンをより派手にして装備を充実させたものだった。
販売台数は限定的で、わずか2回目のモデルイヤーである1958年以降を最後に生産中止に至った。フォードの中では存在感が薄いものの、後述するパークレーンというモデルよりは長く生き残った。
フォード・デュランゴ
ダッジの同名車種とは全く無関係なので、混同しないように。フォード・デュランゴはランチェロに似たコンセプトの乗用車ベースのピックアップトラックである。
デュランゴは、カリフォルニアを拠点とするカスタムカービルダー、ジム・ステファンソンがフェアモント(セダン)をベースに設計し、ナショナル・コーチ・ワークス社が生産した。正確な生産台数は不明で、推定される数にもかなりのばらつきがあるが、どうやら400台以下(その半分以下の可能性もある)しか生産されなかったようだ。
フォード・エスコートGTi
30年以上にわたる(欧州の)エスコートの歴史の中で、高性能バージョンにはツインカム、メキシコ、RS1800、XR3、RSコスワースなどさまざまな名前が与えられてきた。当然ながら、フォルクスワーゲンがホットハッチに充てた「GTI」の名は避けるはず(ちなみにGTIの名称はVWが初ではない)……そう思われるかもしれない。
しかし、1990年代後半の一時期、エスコートGTiというモデルが実在した。最高出力114psの1.8Lエンジンを搭載し、同時期のRS2000に似ている。特にエキサイティングなものではなかったが、GTiの名を冠した唯一の欧州フォード車であったという点で興味深い。
フォード・エスコートRS2000 4×4
有名な「RS」バッジを付けた最後のエスコートは、1991年に登場した2.0L 16バルブのRS2000である。その3年後に四輪駆動車の4×4が登場した。
どの世代でもエスコートは絶大な人気を誇ったが、RS2000 4×4は稀有な存在だった。トラクションに優れるためモータースポーツ仕様は理にかなっていたが、標準仕様は前輪駆動車よりも遅く、購入価格とランニングコストがかかるため、大々的に作られることはなかった。
フォードEXPターボ・クーペ
EXPは北米仕様のエスコートをベースに1980年代に販売された小型スポーツカーで、特に成功したわけではない。最も希少なバージョンはターボ・クーペで、通常の1.6L CVHエンジンにターボチャージャーを装着し、約120psを発生させる。0-97km/h加速は10秒以下と、当時としては優れていた。
ターボ・クーペは、初代EXPの生産最終年である1985年のみ生産された。それ以降のEXPにターボチャージャーが搭載されることはなかったが、よりパワフルな1.9L CVHを搭載していたため、その必要性は低かった。
フォード・ファルコン・コブラ
コブラはファルコンXCをベースにしたマッスルカーで、オーストラリアでは有名だが、その他の地域ではほとんど知られていない。1977年のバサースト1000レースで1位と2位を独占したファルコンへのオマージュもあるが、フォードがクーペのボディシェルを余らせており、その使い道を探していたという話もある。
コブラはわずか400台しか生産されず、そのすべてが1978年のものだが、4.9Lまたは5.8L V8エンジンを選択できるなど、いくつかのバリエーションが存在する。
フォード・フリーダ
フォードとマツダは長年にわたって緊密な関係にあり、一時はフォードがマツダの株式の33.4%を所有していたこともあった。
これにより、多くの兄弟車が生まれた。その中でも最も単純な一例がフレダで、8人乗りミニバンのマツダ・ボンゴ・フレンディにフォードのバッジを付けたものだ。日本のミニバンに詳しい人以外は、このクルマについて知る機会はほとんどないだろう。
フォード・ランドー
フォード・サンダーバードのいくつかのバージョンにランドー(Landau)の名前が使われているが、米国外で生産された2つのモデルにもランドーの名を見ることができる。1973年から1976年にかけてフォード・オーストラリアが販売したランドーは、圧倒的に希少な存在である。パワフルで高価な2ドア・ラグジュアリー・クーペで、わずか1385台しか生産されなかったと言われていることから、当時オーストラリア人がほとんど興味を示さなかったものと思われる。
一方、フォード・ブラジルは、1970年代から1980年代初頭にかけて生産されたフルサイズの4ドア・セダン、ランドーで大成功を収めている。
フォード・モデル48
ここに挙げた他のクルマとは異なり、モデル48は大成功を収めた。しかし、1935年と1936年にしか生産されなかったという事実から、無名のフォードとして紹介している。
1932年にフラットヘッドV8エンジンを搭載して発売されたモデル40を、もっと空力的に洗練させたバージョンである。1937年に改良されると、名前も1937フォードに変更された。
フォード・モデルF
フォードの歴史について書かれた記事を読むと、同社が初めて生産した1903年のモデルAや、ほぼすべての人が知っているであろうモデルTについて言及している。しかし、その間に発表されたいくつかのモデルについては、あまり触れられることがない。
その一例がモデルFで、モデルAから派生したものだが、より高価だった。1905年と1906年に約1000台が生産され、現存するのは約40台と推定されている。
フォードP7
ドイツ・フォードは、1939年から1980年代初頭まで生産されたさまざまなモデルにタウヌスの名前を使用したが、英国フォードのコルティナとほとんど区別がつかなくなっていた。1967年から1971年にかけて生産された世代では一時的に使用されなくなり、代わりにP7と呼ばれるようになった。
P7はレンジの名前であり、個々の車名ではないということからも曖昧さとややこしさが増している。搭載されるエンジンによって17M、20M、26Mなどと呼ばれる。
フォード・パークレーン
前述の短命に終わったデル・リオの以前には、1956年のモデルイヤーにのみ販売された、さらに希少なパークレーンというクルマがあった。
オリジナルの生産数は非常に少なかったものの、パークレーンという名前は一応存続している。セダン、コンバーチブル、ハードトップとして2世代にわたって製造されたマーキュリー・パークレーンである。フォードの場合とは異なり、マーキュリーでは10年間も生き残った。
フォード・パイロット
パイロットは、公式には第二次世界大戦後に発売された英国フォード初のモデルであるが、1937フォードV8と密接な関係にあり、排気量を拡大したエンジンを搭載している。1947年から1951年まで生産されただけで、それ以来パイロットの名は使われていないため、クラシックカー愛好会以外にはあまり知られていない。
短い生涯ではあったが、当時としては名を馳せる出来事もあった。多才なレーシングドライバー、ケン・ウォートン氏(1916-1957)がパイロットを駆り、1950年の国際チューリップ・ラリーとリスボン・ラリーで優勝したほか、英国王ジョージ6世はロングホイールベースのシューティングブレーキ仕様に乗っていたのである。
フォード・シエラ GLSi 4×4
前述したエスコートと同様、フォード・シエラは大変有名なモデルだが、一部のバージョンは非常に希少である。1989年頃にごく短期間生産されたGLSi 4×4は、まさにその1台だ。
機械的には、XR 4×4と同じ。両車とも最高出力152psの2.9L V6ケルン・エンジンを搭載しているが(XRは当初、ケルンの2.8L仕様で発売)、GLSiの方が安価で派手さもなかった。そのため、英国で登録されたのは2000台にも満たなかったとされており、好調だったXRには遠く及ばない。
フォード・スカイレンジャー
コンバーチブル・ピックアップトラックに可能性を見出し、数台が作られた後に諦めるというのはよくあること。フォード・スカイレンジャーはその極端な例である。
スカイレンジャーがどのようにして誕生したのかについては、さまざまな説があり、あまりに千差万別であるため直接の引用は避けたいが、外部の会社が(フォードの承認の有無にかかわらず)フェイスリフト後の初代レンジャーを改造したドロップトップモデルを作り、1991年に20台以下を生産したということは間違いないようだ。
フォード・スクワイア
英国で初めて設計・製造されたフォードのステーションワゴンは、当時のアングリアやプレフェクトといったセダンと機械的に類似している。1955年9月に生産が開始され、4年間に1万6000台弱が出荷された。ちなみに、アングリアはわずか4か月ほどでこの数字を超えている。
スクワイアのベーシックな派生モデルは、フォードで初めてエスコートの名を冠した。こちらは安価であったためか、(アングリアに比べればまだ少数派ではあるが)格段に人気が高く、1961年まで生き残った。
リンカーン・リド
1951年にフォードの高級車部門リンカーンが発行したカタログによると、「並外れた豪華さがリンカーン・リドの特徴である」という。それは大いに結構なことだが、この宣伝文句が書かれたのは生産開始から2年目のこと。リドはこの年に生産が終了している。
ELシリーズ・セダンをベースとするクーペタイプのリド。残念ながら購入者はほとんどいなかった。唯一輝かしいのは、1963年に登場したショーカーのコンチネンタル・リドで、標準のコンチネンタルにさまざまなスタイリング・アップグレードを施したものである。
リンカーン・カスタム
カスタムは、リンカーンが1941年と1942年のモデルイヤーに販売した3車種の中で最大のサイズを誇り、セダンとリムジン(写真)の2種類が用意された。米国が第二次世界大戦に参戦したため、1942年2月にすべての自動車生産が停止されたこともあり、生産台数は800台以下にとどまる。
カスタムが希少であるもう1つの理由は、同時代のコンチネンタルとは異なり、戦後に生産が再開されなかったこと。カスタムという名前は1950年代にも時折見られるが、別のモデルレンジでのみ使用された。
マーキュリー・ターンパイク・クルーザー
1957年モデルとして登場したマーキュリーのターンパイク・クルーザーは、2ドアと4ドア・ハードトップ、2ドア・コンバーチブルのボディスタイルを持つ高級車であった。大排気量V8エンジン(最大7.0L)を搭載し、ブリーズウェイと呼ばれる電動開閉式リアウィンドウを備えている。
売れ行きは芳しくなく、マーキュリーは苦労して1万7000台を生産した。1958年、ターンパイク・クルーザーはモントクレア・シリーズに統合され、1959年には完全に姿を消した。
マーキュリー・ボイジャー
ボイジャーは、1950年代後半にフォードが苦労したステーションワゴンの1つである。2ドアと4ドア(テールゲートは含まず)が用意され、1957年と1958年には独立モデルとして販売されたが、1959年にカントリークルーザーに統合され、その後姿を消した。
年間生産台数は5桁に達することはなかったが、少なくとも各年で数千台ずつは生産されたようで、エドセル・ラウンドアップと比較すれば大ヒットモデルと言える。
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名前だけでなく、車体にオリジナル要素があったのはバブル期ならではでしょう。