デューセンバーグ(1920年~1937年)
(翻訳者注:この記事は「後編」です。前編と合わせてお楽しみください。)
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デューセンバーグは、当初エンジンとレースカーを組み立て、その後、高級乗用車を作った2人の兄弟によって設立された。1926年、この兄弟は実業家エレット・ロバン・コードと提携し、オーバーンと並んで高級車市場のトップに押し上げられた。それからわずか6年後、兄弟の1人が亡くなり、もう1人はコードとともに事業を継続しようとした。
しかし、デューセンバーグは世界恐慌に成長を阻まれ、1937年にその歴史に幕を閉じた。
ラサール(1927年~1940年)
ラサールブランドは、ゼネラルモーターズの中でキャデラックのすぐ下に位置づけられたブランドである。最初のクルマを発売した後、ラサールの直接の競合相手であるパッカードが、より低価格の110と120で対抗した。
それでもラサール車は人気を博したが、世界大恐慌が襲い、生産台数は激減した。高級車市場を独占していたパッカードを相手に、ラサールは販売台数を回復しようと苦闘したが、結局、GMの経営陣は撤退を決断した。
コード(1929年~1937年)
革新的な企業であったコードだが、その信頼性は低かった。未来的なトランスミッションは故障し、ホイールベアリングは破損し、フロントグリルが大型であったにもかかわらずエンジン冷却性能は不十分であった。苦情が相次ぎ、ディーラー網は徐々に縮小していった。同社は生産開始からわずか8年で消滅した。
ボルクヴァルト(1933年~1963年)
ボルクヴァルトは、厳密には正真正銘の高級ブランドではなかったが、イザベラという高級車は1950年代に大いに売れた。イザベラではカブリオレなどの派生モデルが開発されたが、剛性を高めるために生産コストと販売価格が上昇した。兄弟会社ロイドの問題に直面したボルクヴァルトは1963年に閉鎖され、創設者のカール・ボルクヴァルトも同年に死去した。
タルボ・ラーゴ(1936年~1959年)
イタリア人エンジニアのアントニオ・ラーゴは、1936年にタルボ(タルボットとも呼ばれる)ブランドがSTDモーターズ傘下で一度目の破綻を迎えた後、タルボの商標権を購入した。1947年には、グランドスポーツT26と呼ばれる新型車が登場したが、すでに同ブランドは経営難に陥っているという噂が流れていた。
より多くの顧客を惹きつけるため、1950年代にはT14 LSと呼ばれる4気筒エンジン搭載のモデルが登場したが、そのスタイリッシュなデザインとは裏腹に、戦前の旧式シャシーと非力なエンジンを使用しており、結果として販売は伸び悩んだ。
販売台数の減少により、ラーゴは債権者から裁判所による保護を求められることとなった。生産を再開することはできたが、財務状況は深刻で、最終的にタルボ・ラーゴはシムカに売却された。
ISO(1938年~1974年)
オートバイ、バブルカー、そしてIR 300。後者はマセラティやフェラーリをターゲットとした高級GTカーであった。IR 300のボディはベルトーネが描いた芸術品であり、最高出力300psのシボレー・コルベットV8エンジンを搭載していた。次のモデルであるグリフォを発表して間もなく、GMはエンジン使用の前払い金を要求したが、ISOにはまだ余裕がなかった。
激しい競争と1973年の石油危機が重なり、ISOは経営難に陥り、1974年に閉鎖された
ファセル・ヴェガ(1939年~1964年)
ファセル・ヴェガは、シムカ、パナール、ドライエ向けにプレス加工された鋼鉄部品と車体を製造していた。自社ブランド初のモデルであるFVは1954年に登場し、速さとスタイリッシュさを兼ね備えていた。ファセル・ヴァガはクライスラーのエンジンを使用していたが、後に4気筒エンジンが提供されていないことを理由に切り替えた。次に登場した1960年のファセリアは、タルボ・ラーゴの元エンジニアが設計した1.6Lエンジン搭載の小型車である。
しかし、このエンジンはフランスにおける厳格な馬力課税制度に準拠する必要があったため、内部構造の再設計が必要となった。その開発はうまくいかず、故障が頻発することに。その後、ボルボB18エンジンが代替品として導入されたが、時すでに遅し。アフターセールス部門には電話が鳴りっぱなしで、同社は製造したクルマすべてで赤字を出したようである。結局、1964年にその歴史に幕を閉じた。ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネルなど、高級品ブランドで有名なフランスが、なぜ長続きする高級車ブランドを生み出せないのか、今でも謎である。
インペリアル(1955年~1975年、1981年~1983年)
インペリアルという名称は、1926年にクライスラーの高級モデルに初めて使用されたが、1955年にはGMのキャデラックやフォードのリンカーンをライバルとする独立ブランドとなった。2代目モデルが投入される頃、品質管理が甘く、スピード重視で製造されたために不具合が頻発した。
その後、1970年代には、ブランド規模が小さすぎて高級車用のプラットフォームを独自に開発する資金がなく、クライスラー・ニューヨーカーのプラットフォームを使用せざるを得なくなった。これはブランドイメージに影響を与え、燃料費の高騰も追い打ちをかけた。インペリアルは1975年に廃止されたが、1981年から1983年にかけて短期間復活している。
エドセル(1956年~1959年)
エドセルは高級車ブランドだったのだろうか? そうとも言えるだろう。比較的手頃な価格で手に入る、フォードの考える贅沢なクルマだった。リンカーンとマーキュリーの間に位置づけられ、GMのビュイックやポンティアックと直接競合するものであった。エドセルには革新的な技術と未来的なデザインが満載されていたが、それでも一般の人々にはなかなか受け入れられなかった。
エドセルにまつわる物事すべてが奇妙で、クルマのデザインや、発売前からフォードの経営陣がすでに興味を失っているように見えたこともその1つだ。製造品質も低かった。さらに、1958年の「アイゼンハワー不況」により、クルマの販売台数は急落した。3年で11万8287台の販売にとどまり、フォードは撤退を決定した。
ジマー(1980年)
ジマーが手掛けていたのは、1980年代のフォード・マスタングを1930年代風のスタイルにドレスアップするというものだった。ニッチな分野であり、販売台数が少なかったため、同社は1988年に倒産した。その後1996年に買収され、2020年に廃業するまで年間10~20台のペースで生産を続けていた。このような一風変わったブランドによくあることだが、今でもジマーには熱狂的なファンが少なからずいる。
メルクール(1985年~1990年)
1983年までに、米国では若い世代の消費者がBMW 3シリーズやメルセデス・ベンツ190Eといったドイツ製のスポーティなコンパクトカーに熱狂していることがますます明らかになっていた。ボブ・ルッツが主導するフォードの対応策は、ドイツで生産されたフォード車を米国市場向けにドレスアップし、新しいブランド「メルクール(Merkur)」で販売するというものだった。
最初のラインナップはメルクールXR4Tiで、ベースとなったのはフォード・シエラXR4iだ。しかし、米国の規制により、オリジナルの2.8L V6エンジンから2.3L 4気筒エンジンに変更されている。次に発売されたのはスコーピオで、西ドイツで生産されたが、わずか2年間というフォード傘下のモデルとしては極めて短命に終わった。さらに悪いことに、ドイツ通貨高により、米国での車両価格が上昇したほか、米国の新しい安全規制により高額な改良を余儀なくされた。フォードは1990年にメルクールを廃止した。
アマティ(1991年~1992年)
トヨタにはレクサス、日産にはインフィニティ、ホンダにはアキュラがある。マツダは高級ブランドとしてアマティを立ち上げた。しかし、参入はかなり遅く、日本でバブルが崩壊した時期と重なったため、経費削減が喫緊の課題となった。アマティは1991年に発表されたが、そのわずか1年後に計画中止。最初のモデルとしてアマティ500を予定していたが、これは1992年に欧州でマツダ・クセドス6として発売された。米国向けのアマティは、1995年にマツダ・ミレーニアとして発売された。
インフィニティ(1989年~)
現在も存続しているが、日産の高級車部門であるインフィニティは欧州では苦戦を強いられた。インフィニティは1989年に北米で販売を開始し、2010年には世界50か国以上にディーラー網を展開するまでに成長。2009年には欧州での販売も開始したが、これは深刻な不況の最中であった。また、欧州で人気を博していたディーゼルエンジンも、当初はラインナップになかった。
インフィニティのデザインは米国やアジアではかなり受け入れられたようだが、欧州ではブランドの認知に苦戦し、アウディやBMWといった強固なブランドと競争するのは難しかった。結局、インフィニティは2020年に欧州から撤退した。
アンフィニ(1991年~1997年)
アマティも知る人ぞ知る存在かもしれないが、日本国外ではアンフィニを知る人はほとんどいない。アンフィニは、マツダが日本で販売していた高級ブランドである。5ドア・ハッチバックのMS-6や、大型セダンのMS-8などがあった。マツダは1997年、アンフィニ、オートザム、ユーノスなど、各ブランドをすべて廃止し、マツダブランドに焦点を絞った。
アルフェオン(2010年~2015年)
目を細めて見ると、オペル・インシグニアやビュイック・ラクロスの面影が見える。アルフェオンは、韓国向けの高級ブランドとしてGMが試みたものだったからだ。GMはまさに経営破綻の危機をかろうじて免れ、ポンティアックなど多くのブランドを整理したばかりだった。
しかし、韓国ではビュイックは無名であり、また大宇に高級なイメージもなかったため、GMは新たにアルフェオンを立ち上げることにした。販売面でまずまずの成功を収めたものの、GMはアルフェオンへの関心を失ったようで、たった1車種を発売しただけで2015年に廃止されてしまった。
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みんなのコメント
トヨタのプログレを思い出しました
良い車だと思ったのですが、無くなりました
当初、メルセデスは新ブランドとして立ち上げると宣言してましたよね
今や、Sの一グレードになってしまったけど
車でいえば、VWのフェイトン。やはりフォルクス(民衆の)ワーゲン(車)ブランドでは高級車は無理だったようで