トヨタ クラウン のみんなの質問

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トヨタのクラウンって、そんなにコアな人気があったのですか?

1980年代前後に、トヨタのクラウンは年配男性から熱烈な人気を博した車であったと聞きました。 これって真実でしょうか?

真実なら、どのような点が特に人気高かったのですかね?
自動車に詳しい方など、ぜひご意見をお聞かせください。

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ベストアンサーに選ばれた回答

厳密に言えば,1980年代中盤~後半(まさにバブルの頃)人気がありましたね。7代目から8代目にかけてのクラウンです。

ちなみに,現行のクラウンは15代目です。このモデルチェンジの多さが語るとおり,トヨタ自動車として,最初の乗用車がクラウンでした。今から64年前の1955年に初代クラウンは登場しました。

当然,当時は,自動車を購入できるそうは極めて限定的でした。第二次大戦に敗戦後,まだ10年しか経過していない時期の価格は,1,104,860円でした。数少ない大学卒の初任給がまだ10,000円程であった時代です。エリートの100ヶ月分の給料をつぎ込まなければ購入できない車として登場したのです。

その後,スバル360(1958年登場)や,トヨタカローラ(1966年登場)が庶民の車として定着していくわけですが,クラウンは,ずっと国産最高級車としての地位を築き続けることになります。

また,日本のモータリゼーションの流れの中で,排ガス規制など,高級車にとっては不遇な時代が続きます。高級車は,一部の特権階級の人たちの所有物であって,庶民の車ではありませんでした。

それが変わるのが,1980年代後半に起こったバブル景気です。1983年の7代目へのモデルチェンジの際,テレビCMで,石坂浩二が,「いつかはクラウン」というフレーズを初めて使いました。これが大ブームとなって,皆が「いつかはクラウン」に乗りたいと洗脳されていきました。実際にクラウンがバカ売れしたのは,1987年に登場した8代目です。昭和最後のモデルでした。バブル絶頂の好景気の流れに乗って,誰もにとって「いつかはクラウン」が現実的になったのです。瞬間的にはカローラを凌ぐ勢いに乗り,1990年にはたった1年間で239,858台も販売したのです。これは,現在のN-BOXを超えるほどの台数になります。

ただし,トヨタは,バブル絶頂期の規格として,1989年に「セルシオ」を登場させます。クラウンも1991年の9代目へのモデルチェンジで,上位グレードの「マジェスタ」を登場させます。クラウンのヒエラルキーが下がっていく瞬間です。

当然,バブル崩壊とともに高級車は売れなくなり,また実質セルシオ(レクサスLS)やマジェスタの影で,クラウンの地位は危ぶまれます。その為,2000年に入って,12代目が登場した際には,「ゼロ・クラウン」として新たな出発を図り,現在に至っているのです。

ちょっと長くなってしまいましたが,日本で最長の歴史を持つクラウンの歴史を簡単に振り返ってみました。参考にしてみてください。

質問者からのお礼コメント

2019.10.25 18:05

なんと、すでにクラウンは15代目でありここまで続くほどの人気者であり続けているのですね!
バブル期のころには想像をはるかに超えるほどの人気でもあったようです。 クラウンの歴史がよく分かりました、BAに選ばせていただきますね。

その他の回答 (12件)

  • いま見てもカッコいいかと
    主が上げた1980年代クジラ クラウンを愛車にする『探偵濱マイク』と言うドラマが昔ありました
    クラウン、カッコ良かったです。

    回答の画像
  • 他のメーカーの高級車と違ってイメージがいいですよね。

    ホンダ日産はヤンキー、外車はヤクザというイメージが強いです。

  • 昔はレクサスもアルファードもなくて一般人が乗るトヨタ車の最上級でしたから。

    特に何が良いとかではなく、一番いい車なので成功の証みたいな感じの憧れの的です。

    一本道のRPGのラスボスみたいな感じです。

    オープンワールドな現代人の感覚ではわからないかもしれないです。

  • 当時、高級車と言えばクラウン・セドリックでしたね。
    やはりクラウンは成功者の証みたいなステータスでした。

    今では考えられませんが、2ドアハードトップの設定があって
    結構カッコ良かったですね。

  • コアどころの人気ではないです。
    そもそも現時点でも国内ではかなり売れてる部類の車。

    過去形でもコアでもなく現在進行形で人気車種ですよ。

  • 世界のトヨタに成長したのは、クラウン・カローラのお陰です。

    クラウンは、「いつかはクラウン」「すべてはクラウン」

    カローラは、「小さな高級車」

    と云われていました。

    アイドルと呼ばれる子は、人気があるが実力がないから
    そのうち消えてしまいます。
    実力と人気を兼ね備えているクラウンは不滅なのです。

    また20年以上前の車がクラッシックカーとしてではなく、
    日本でごく普通に乗っられているのは驚きです。

  • 今でも、タクシー車輌のいちばん多いのはクラウン·コンフォート(現在コンフォート)であることも含めて、タクシーハイヤーの絶賛車ですからね。
    クラウンは歴代好評車が多く、例外は"クジラクラウン"と呼ばれた1971年発売4代目クラウンだけはセドリック·グロリア連合に、販売台数でも抜かれ、元々シンプルなものであった4代目クラウンは対抗策として豪華仕様に成ったが、回復するのは5代目に成ってからでした。それ以外は常時2000CCクラスのベストセラーであり、一時的には日本車全体のベストセラーも記録したほどでした。
    そんな辺りで『いつかはクラウン』という神話も生まれたのですね。クラウンは一般人の最高級車であり、公人車輌や特別車輌ではそれを超える車種も代々多数存在していましたね。
    信じられませんか?

  • いつかはクラウン

    レクサスがない時代は、社用の高級車と言うとクラウンくらいしかなかったですね(センチュリーーは別格として)
    なので、ぺーぺーのサラリーマンはクラウンにあこがれたんでしょう

    あれは平日に仕事で乗る車ですね
    いつかはクラウンで、あとのふつかは別の車ですね(^^ゞ

  • 当時は超高級車、高級車、中核車、大衆車という分類ではトヨタはそれぞれセンチュリー、クラウン、コロナ、カローラくらいしかありませんでした(派生車はありましたが)。
    ですから高級車のジャンルで選ぶとすればクラウンか日産のセドリック/グロリアという選択肢しかなかったのです。結果的には台数が多く人気という言葉にすり替わりったと私は理解してます(タクシーでも台数は多かったし)。

    「いつかはクラウン」という宣伝も収入が増えて多くの人が車を持ち始めたときに隣近所からちょっと抜け出すという「成り上がり感」をくすぐったものです。
    個人的には羨望感を感じるどころか収入が増えても絶対クラウンは買わないという気になりましたね。

  • クラウンは長い間実質的なトヨタの最高級車でした。
    当時は自動車税制が今と異なり大型車は極端に税金が高く、3ナンバーのクラウンは稀にしか見ることができない高級車でした。

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