スズキ キザシ のみんなの質問

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98年頃に一大ニュースとなった、日産自動車が負債2兆円を抱えて倒産の危機にあると発表された時、政府は身動きが取れないから、ダイムラーやフォードといった欧米メーカーに経営支援支援してもらうしか、

日産には選択肢が残っていなかったのでしょうか?
また、日産がここまでの状態になったのは、経営陣の放漫経営が最大の原因でしたか?
結局、ダイムラーやフォードには経営支援を断られて、ルノーが資本提携する形で日産の倒産は回避できましたが、日産車の品質は、ゴーンがやって来る前の時の方が悪かったのでしょうか?

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多くのビジネスドキュメンタリーの題材や小説などのネタにされていますが、
60年代末から80年代前半の日産は、それはそれはひどい状態でした。

日産自動車社長の川又さんなどがニューヨークをベースにNISSANの販売店を広げるのにかなり苦労していて、
一方、米国日産の社長片山さんはサンフランシスコでDATSUNブランドのZやブルーバードを大成功させてて、
かつてのプリンス自動車工業の人たちは、スカイラインにだけ力を入れDATSUNのクルマには出来の良いエンジンを載せさせないなどの嫌がらせ。

そして川又さんと結託し社長以上の権力を手にした労働組合会長の塩路さんが
日産で一番偉かったと言われています。
役員会で決定したスタンザのデザインを、工場労働者が「こんなデザインのクルマは作りにくい」と
突っぱねてデザインさせ直したという有名な話があります。

まさに社内の権力闘争、全員が全員バラバラな事をやっていてシェアは下がるばかりでした。
結局、片山さんが辞めると間もなく知名度の高かったDATSUNを撤収してNISSANにしてしまい、アメリカでのシェアもガタ落ちです。
こんな状態で利益なんて上がらないですよ。債務がかさんでいくだけです。
どの部署に行っても「いや、〇〇が辞めさえすればシェアぐらいすぐに上げてやるよ」って
それぞれ別の人の名前を挙げていたんですから。

で、塩路さんの失脚した1980年代後半から久米さんなど新しい経営陣が
いろいろ頑張ったものの、隠しつづけてきた赤字が1990年代後半に
バレたわけです。

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