プジョー 205 (ハッチバック) のみんなの質問

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一般人が外車に乗り始めたのはいつからなのでしょうか?

かつては外車乗りといえば暴力団というイメージがあり
外車に近づくのは危ないと言われていましたが
今では普通の人でも外車を持ち始めていると思います

こういう風潮はいつ始まったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

やっぱりバブルの頃ですね。
自動車雑誌でさかんに輸入車特集やってました。

日本車は第一次オイルショックを機に低燃費を武器にアメリカへの輸出を増やしていきました。
その為に日米貿易摩擦が起き日本政府が対策として輸入を奨励しました。
自動車メーカーも輸出制限がかかり対策をしなければならなくなって自社系列ディーラーに輸入車を販売させるようになりました。
トヨタはVW、マツダはシトロエン、スバルはボルボなどデカいアメ車は無理なので欧州車の販売増で外国の圧力をかわそうとしたわけです。
同時にプジョー205のインポーターが変わり、販売政策として右ハンドルメインにして爆発的ヒットにつなげました。
国産車からの乗り換えの垣根を低くしたんですね。
それにしてもVWはともかく取り扱いディーラーを探すのさえ難しいシトロエンがいきなり近所のマツダで買えるようになったのですから普通の人も興味を持つというものです。
またバブルによる土地の高騰でマイホームをあきらめた人が家よりはるかに安い輸入車購入に向かいました。
まあそういった要因が重なって一気に輸入車が増えたようです。

その他の回答 (1件)

  • 戦争前は 国産車はノック・ダウンしか無かったので 皆 外車(含むノック・ダウン)に 乗って居ました。
    戦後は ベンツ等が 入札で売られ始めたのは 昭和30年頃と 記憶して居ます。
    広く 一般に普及したのは US$1.-が ¥360 → 308 → 250 → 125 → 100 → 78 と円高と成った結果 輸入車の価格が 相対的に安く成り 一般人でも 手が届く様に成ったからです。
    昭和の最後頃の バブルの時代から 輸入車が 爆発的に増えた様な記憶が 有ります。

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