日産 スカイライン のみんなの質問

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昔のトヨタ2000GTやハコスカなどの高級車は2Lが大きかったのは3~4Lのエンジンの市販車を作るのが技術上難しかったからなんでしょうか?アメリカのV8のOHVの6~8Lと比べると。

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回答一覧 (6件)

  • 当時2000ccを超えると自動車税は2倍に跳ね上がってました。
    当時で年間の自動車税が8万円。

    なので2000cc迄で如何に上質、高性能なエンジンを作るかを競い合ってた訳です。

  • 1989年までは5ナンバーにすると税金が半額以下になる制度だったので2L車が主流でした。

    海外にはそんな制度がなかっため、海外メーカーからの外圧で今の排気量で変わる制度に変わりました。

  • クルマが小さいので2L以上のデカイエンジンは必要なかったから。
    ハコスカの車幅なんて1650mmくらい(今の軽と5cmしか違わない)、重さも1.1t程。

  • 小さいエンジンの方が技術的に難しいと思いますが。

  • それらの車の発売前、トヨタでは2600ccでV8のクラウンエイトが既に発売されていて、3000ccV8のセンチュリーも2000GTと同時期に発売されています。日産プリンス系では2500cc直6のグランドグロリアや、特殊車両だけど6400ccのプリンスロイヤル、日産系では4000ccでV8のプレジデントも既に世に出ていました。

    当時の自動車税制は排気量2000ccを境に一気に上がる仕組みだったので、2000ccがオーナードライバー向けの実質的な最大排気量だったというのと、当時の国内モータースポーツの規定の絡みで2000ccに収めたということかと思います。

  • 大きな排気量のエンジンを作る技術がなかったのではなく、作っても利益が出ないと判断されて作らなかったことになります。

    車作りは商売です。
    どんなに高性能ですごい車を作っても、開発費に見合う利益が得られなければ商売は失敗です。
    単純に言うと、当時の庶民の経済状態では、高すぎる車を作っても買える人が少なく、十分な利益が出ないと判断されたことになります。

    大排気量で高出力の車を少量生産するより、適度な排気量で適度な性能の車を適度な数作るほうが、多くの利益が出るほうが会社として儲かることになります。

    仮に、当時の日本に大排気量の車を作る技術がなかったとしても、作ればたくさん売れて大きな利益が出ると判断されていたら、すぐに開発されて商品化されるはずです。
    技術がなくても開発すればよいので、技術の有り無しの問題ではなく、利益が出るかが重要になります。

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