ホンダ アコード のみんなの質問

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なぜホンダは70年代から80年代のあいだは軽自動車から撤退していたのですか。
ていうか撤退していたのになぜ復帰したのですか。
今は軽自動車が絶好調のホンダですが。

ホンダが軽の乗用車から撤退していた時期がありました。
なぜ撤退していたかはホンダの黒歴史なので回答しなくてもいいですが。
なぜ撤退していたのに復帰したのですか。
撤退したことより復帰したほうが不思議なのですが。

マツダやスバルは軽自動車は薄利多売で商売にならないと撤退したままですが。
ホンダはマツダやスバルよりも大きな会社なのだからなおさら薄利多売で商売にならないのでは。

80年代のホンダはシビックやアコードがアメリカで大成功していたので。
日本の軽自動車なんか作る必要性がぜんぜんないときだったと思うのですが。
軽自動車なんか作るよりもレジェンドやインスパイアの高級車をアメリカにガンガン輸出に専念するべき時期だったのでは。
当時のホンダが日本のガラパコの軽自動車に復帰する必然性がぜんぜん分からないのですが。

と質問したら
ホンダはF1でも復帰と撤退を繰り返すのが好きだから
という回答がありそうですが

なぜホンダは軽自動車から撤退するという英断を決断したのに。
なぜまた戻って来たのですか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

軽四から撤退し、復帰前までは「クルマやバイクはある程度のコストをかけて作るべき」という信念がホンダにはありました。
利益至上ではなかったんですね。
それが信念変更で「利益至上、最低限のコストで作れ、下請けは言うことを聞く
ところだけにしろ、とにかく利益」というポリシーになりました。
当然ものすごいコストカットでスバルなどより、
はるかにすごい低原価で作るようになったのです。
もうかることならなんでもやるんです。
軽四がもうかるならばやります、もうからないならやりません。
それだけのことです。
利益がなければ会社もない、そういう会社になったのです。
バイクを見ても、一目でわかることです。

質問者からのお礼コメント

2016.11.11 22:10

回答ありがとうございます!

その他の回答 (9件)

  • 企業は儲けを1番に考えます。
    軽を止めたのはこの先需要が減り、売れない、
    コンパクトカーに移行すると思ったのでは。
    その後も、軽の需要が多く、売れているので又売り出したのではないでしょうか?

  • アルト47万円、ミラクォーレ49万円くらいだったよな。それに負けじとホンダが軽トラのエンジンでtoday発売したって事だろね。

  • 普通車だけで勝負したかったようですが、経営的に難しくなったので軽四を復活させたというところですね。

  • 皆さん色々と言っていますが、違いますよ

    「ユーザーユニオン事件」
    68年2月に自動車事故を起こしたN360の運転手への有罪判決で事故はN360の欠陥が原因であり、運転手に過失はないとする再審請求が遺族に自動車会社幹部らを「未必の故意」の殺人で刑事告発されていました

    ユーザーユニオンは他のメーカーも含めて6件の恐喝事件を起こし幹部2人が80年に実刑になっています
    そのうちホンダに対しての2件の恐喝事件うちのひとつ
    被害者の遺族に委任されて8000万円の喝取(恐喝既遂)は無罪判決が出ています

    この事件の影響で軽乗用車を販売出来ない撤退せざるを得ない状態になっていただけなのです

  • ホンダは当時も軽トラックのアクティは造ってました。
    軽乗用車復活の前にホンダは二輪でロードパルを作っています。
    これは自転車のフレームを太くしてエンジンを付けたような物ですが、ギヤ操作が無く両手でブレーキと自転車操作に近かったので女性にヒットして今のスクーターブームの元になってます。
    軽乗用車は最初にスズキが低価格車アルトを販売してヒットしたのが元です。
    税金の関係上貨物車(バン)にしてありますが、セカンドカーとし女性が乗り子供の送り迎えなど街乗りには十分な性能があったのでヒットしました。
    このヒットを見てホンダはロードパルの経験から軽乗用車の復活に踏み切ったのでしょう。
    ただ最初は販売台数に不安が有ったか安く造るためかアクティのエンジンや部品を流用して造ってます。

  • だから、メーカーに聞けっての!
    本当の回答なんて無いよ!

  • そんな事、別に気にしなくてもいいのでは?

    ホンダにはホンダの事情があるのです。

    しかも今の時代軽自動車作らないと生きていけないでしょ。

  • 1972年に、ホンダは八千代工業に出資して資本傘下に収めます。以降、ホンダの軽の生産は八千代工業が受け持つことになります。

    ちょうど、トヨタとダイハツのような間柄です。

    最近になり、軽(Nシリーズ)の生産をホンダ直轄に戻しているのは、生産の海外移転で空いてしまった国内工場の稼働率を上げるため。自分が生き残るためには、なりふり構っていられない、ということです。

    同じことが日産でも言え、三菱自に委託していた軽の生産を、自分トコの工場(追浜工場)でも稼働率を上げるために生産したいと言い出しているわけです。

    ホンダと八千代工業では、資本的に主従関係のため生産を引っぺがすことが容易ですが、日産と三菱自では一応これまでは対等であったことから、生産をよこせとは言えなかったのです。(今後は容易にはなるでしょうが…)

    マツダやスバルが軽の新規開発から撤退したのにホンダが参入した理由は、東南アジアの成長市場で軽ベースのマイクロコンパクトが売れに売れているからです。スズキはインド、ダイハツはインドネシア等で圧倒的なシェアを確保しています。

    VWがスズキに手を出したのも、コレ(東南アジアの市場)が欲しかったから。ホンダも、この波に乗りたいと考えているため、ベースとなる軽のシャーシが欲しいワケです。

  • ホンダ関係者ではないのでそうであろうという説ですが・・・。
    昭和の終わり頃、一家に一台から、セカンドカー需要ができ(田舎とか郊外)スズキアルトが大ヒットしました。それにあやかる形で三菱やホンダが軽乗用車の製作に乗り出しました。
    おっしゃるとおり、アメリカ向けに集中してもよかったのですが、時はバブル。選択と集中より、マルチに広げていく時代でした。また、国内消費も活発だったので、薄利多売も可能でした。

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