フォード マスタング クーペ のみんなの質問

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ちょっと気になったのですが、日本やイギリス、イオーストラリア、インド、インドネシアなど左側通行を採用している右側交通を採用しているアメリカやロシアなどと比べると少数派です。

アメリカは第二次世界対戦において日本に対して勝戦国であるので戦前日本から左側通行を採用していたとしても変更できたはずです。左ハンドルのアメ車をそのままに日本に輸出することも出来たはずですが、なぜそのようにしなかったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

フォードの撤退は、
単に、日本人が求める商品が無いから
だろう。

メーカー直営でやろうとしても、商品
選択を誤ると、借りに幾ら良くても、
売れない。これだけの話だ。

少なくとも今の情勢は、右側通行化と
関係無い。

日本がハンドル位置で差別しないのは
それこそ、右側通行化断念の妥協策。

往年の神通力が失せたとは謂へ、
魅力ある商品が無い訳でもない。

しかし商品選択を誤り、直4ターボの
それも右ハンのマスタングなぞ、
誰も欲しくないわぃ。

米国車にしか無いモノを
売るべきだろう。

そうしないからなだけだ。

まぁ、昔の様に、各業者さんが
輸入権を得て、魅力ある車種を
販売する事だろう。

その他の回答 (4件)

  • 当時は日本の自動車メーカーはトヨタがトラックと極わずかな乗用車を生産していただけ。輸出はおろかアメリカから輸入していたからでしょう。

  • 無条件降伏を受け入れた日本にマッカーサーは思い通りの占領政策を実施できたでしょう。しかし、日本人は食べることと夜露をしのぐ場所を確保することが最優先でした。戦地から帰ってくる夫や兄弟のためにも帰り先が分かるよう焼野原に自分たちで掘っ立て小屋を作り、表札を立てました。
    細い道を広く、曲がりくねった道をまっすぐになど、都市計画を考える前に、掘立小屋はあちらにもこちらにも建てられ始めました。

  • 焼け野原だった日本のインフラ整備が急務だったのです。
    余計な事に時間や人材、予算を割く余裕は全くなかったと考えるべきでしょう。

  • そこまで、頭が回らなかっただけです。

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