金色に輝くフェラーリ 250GT ツール・ド・フランス
大手オークションハウスによる大規模なオークションでは、その大会における目玉のようなロットが事前プロモーションのメインビジュアルを飾るなど、スポットライトを浴びる事例が数多く見られます。2025年1月25日にRMサザビーズ北米本社がアリゾナ州フェニックス市内で開催したオークション「ARIZONA 2025」の目玉となったのは、レーシングヒストリーを有するフェラーリ「250GT ベルリネッタ TdF」。このモデルのあらましとオークション結果をお伝え致します。
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250GT SWBと肩を並べるLWB、250GT TdFとは?
フェラーリの「250GT LWB “ツール・ド・フランス”」レーシングベルリネッタは、目覚ましいレーシングヒストリーと卓越した美しさで知られ、1950年代後半の耐久レースシーンにおけるフェラーリを象徴するモデルである。
1956年、ホイールベース2600mmの「250GT」をベースとして開発されたこのモデルは、2953ccのコロンボV12エンジンにウェーバー製3連キャブレターを備え、軽量アルミニウムで作られた見事なスカリエッティ製コーチワークを組み合わせる。
また、パースペックス製ウインドウや贅沢装備を削ぎ落としたコクピットを組み合わせたこのニューマシンは、その軽量ボディを利してジャガー「XK」やメルセデス・ベンツ「300SL」といったライバルを降そうとしていた。
フェラーリの新型250GT LWBベルリネッタはデビュー戦から素晴らしいポテンシャルを披露。ワークスドライバーのオリヴィエ・ジャンドビアンとナビゲーターのジャック・ウォッシャーが1956年4月の「ジーロ・ディ・シチリア」でクラス優勝を果たす。
後期型ボディで製造されたのはわずか36台
そして同年末には、総距離3600マイル(約5800km)という過酷な「ツール・ド・フランス」耐久ロードレースで、アルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵が総合優勝を飾る。エンツォ・フェラーリはそのパフォーマンスに感激し、それまで「250GT ベルリネッタ」と呼ばれていたLWBモデルを、このレースにちなんで 「ツール・ド・フランス」または単に「TdF」と呼ぶことにした。
さらに1957年と1958年のツール・ド・フランスでも、ジャンドビアンがデ・ポルターゴの勝利に引き続いて、総計3連覇を果たすことになる。
1958年から1959年にかけて、スカリエッティは250GT TdFのボディワークをさらにスリム化し、セイルパネルのシングルルーバーを減少させた。この後期型ボディで製造されたのはわずか36台で、そのうち28台は当初、非常に望ましいプレクシ製カバーつきヘッドライトのセットアップで製造された。
しかし、この時期にアメリカやヨーロッパの一部で導入された交通法規のため、これらのカバードヘッドライト車両の多くがオープンヘッドライトに変更され、その後、カバードヘッドライトに戻されたケースもあった。くわえて、これらの250GT TdFの最終モデルには、新しいギアボックスやインテークマニホールドの改良、エンジンの改良など、重要なメカニカルアップグレードも導入された。
元来がレース用として製作されたマシンのため、77台の250GT TdFの多くが競技中にダメージを受けたのは当然のことであり、現存するTdFの中から最上級のヒストリーやコンディションを有する個体を探すのは、今となってはきわめて困難な作業といえよう。
新車として製作された時から、明るいゴールドのボディとともにレースで大活躍
このほどRMサザビーズ「ARIZONA 2025」オークションに出品された1958年型フェラーリ250GT LWB ベルリネッタ TdFは、シャシーナンバー「0933GT」。希少にしてファン垂涎のモデルの中でももっとも素晴らしく、もっとも輝かしい個体のひとつである。
カバードヘッドライトとシングルルーバーを備えた、もっとも美しいコンフィギュレーションのもとに架装され、1人だけでなく2人のチャンピオンドライバーによってレースで成功したというさまざまな要素を併せ持つこの個体は、数ある250GT TdFの中でも極めて上位に位置する1台といえるだろう。
シャシーナンバー「0933GT」は、輝かしいコンペティション歴から完全に無傷で生還した数少ない1台。その美しいアロイ製コーチワークを傷つけるような大きな損傷や戦闘の傷跡がひとつもなく、その驚くべき保存状態は、世界的レベルのフェラーリ・コレクションのもとで何十年も過ごした結果である。
1958年6月17日、「0933GT」はトリノの裕福なジェントルマンドライバーであり、フェラーリのほかの顧客よりも腕利きとして知られた人物であり、2度のイタリア国内ロードレース・チャンピオンに輝いたカジミーロ・“ミロ”・トゼッリに新車として納車。彼が1957年から1960年にかけてモータースポーツでドライブした3台のTdFのうちの1台として記録されている。
フェラーリ史の世界的権威、マルセル・マッシーニ氏が提供した写真には、「0933GT」を工場で引き渡されたトゼッリの姿が写っており、この時から「オロ・キアーロ(明るいゴールド)」のボディカラーに「ロッソ・ボルドー」のレザー張りインテリアという、オリジナルのカラーコンビネーションで仕上げられていたことがわかっている。
このカラースキームで生産された唯一の250GT TdFは、カバー付きヘッドランプ、ボラーニ製ワイヤーホイールも装備され、前後バンパーやサイドミラーもない純粋なレーシングトリムであった。ただし納車直前、トゼッリはホワイトのレーシングストライプを1本だけペイントするよう依頼したという。
数々のレースヒストリーが残された1台
1958年9月14日、イタリア・ピエモンテ州のアスティにあるタイトでテクニカルな「ロッコ・コッコナート・ヒルクライム」で「0933GT」をデビューさせたトゼッリは、同じようなフェラーリ勢がひしめく中、総合5位の成績を収めた。
同年9月28日の「ポンテデチモ・ヒルクライム」では総合7位に終わり、10月5日の「トリエステ・オピチーナ・ヒルクライム」では脱落したが、10月10日にはようやくマシンに慣れ、アオスタの「ピーラ・ヒルクライム」で「0933GT」を初勝利に導いた。
そして翌月には、トゼッリと5度のF1世界チャンピオンに輝いたファン・マヌエル・ファンジオのマネージャーを長年務めたマルチェロ・ジアンバートーネが運営する、アルゼンチンおよびイタリアのレーシングプログラム「スクーデリア・マヌニーナ」のゲストとしてベネズエラGPに参加することになった。
このイベントは、伝統的なサーキットレースとしての「グランプリ」ではなく、いかにも当時の南米らしい、整備不良の未舗装路を走る総行程754kmの拷問のようなロードレースだった。
しかしトゼッリと「0933GT」は、当時の「スクーデリア・フェラーリ」ファクトリードライバー、ジャン・ベーラを筆頭とする250GT TdF勢の中で、総合4位に割って入るという目覚ましい戦果を残すに至ったのだ。
そののち、「0933GT」はベネズエラに残り、南米で新たな歴史を歩んで行くことになる。
南米での大活躍ののち、フランスで当局に押収されてしまう
ミーロ・トゼッリとともに、1958年の「ベネズエラGP」にて値千金の総合4位入賞を果たした「0933GT」は、その後ベネズエラのカラカスでフェラーリのエージェントを務めていたリノ・ファイエンに売却。彼は直後に、同じくベネズエラ人のジェントルマンレーサー、マウリシオ・マルコトゥッリにこのマシンを仲介することになる。
新オーナーのマルコトゥッリは、1959年1月から10月にかけて「ベネズエラ自動車クラブ」のエントラントとして、「0933GT」を少なくとも6戦、トップクラスのスポーツカーロードレースに出場させた。
ほぼ全員がファイエンから供給されたコンペティション用フェラーリをドライブしていた、ベネズエラの優秀なアマチュアドライバーたちのグループの中で、1959年シーズンにおけるマルコトゥッリの最低記録は2位だった。シャシーナンバー「0933GT」が2代目チャンピオンに輝いたのは8月16日のことで、マルコトゥッリは128kmの「グラン・プレミオ・デ・マラカイボ」を52分以内で完走した。
勝利よりも安定した走りが重要であることが多く、マルコトゥッリは1月25日の「カラカス~クマナ」480kmのオリエンテ・プレミオ、6月7日の「シウダー・デ・カビマス」1660kmの過酷なプレミオ、8月2日の「マラカイ~クマナ~マルガリータ」481kmのレースなど、記録された6レース中4レースで準優勝に終わっている。
わずか12カ月の間に2人のチャンピオンに仕えることになった
とくに9月20日の「グラン・プレミオ・デ・オヘダ」では、スペイン人ドライバー、フリオ・ポラを抑えて2位に入り、そのシーズンのロードレース選手権を制した。こうして「0933GT」は、わずか12カ月の間に2人のチャンピオンに仕えることになったのだ。
マルコトゥッリは「0933GT」をベネズエラで 「ND0943」として登録し、1959年末にウーゴ・トーザに売却された後もこのプレートが保持された。
1960年シーズン、トーザとコ・ドライバーのシルヴァーノ・トゥルコは、世界スポーツカー選手権第1戦の「ブエノスアイレス1000km」に、このマシンをエントリーさせた。世界選手権に参戦した数少ないTdFのうちの1台である「0933GT」は、GTクラス3位、総合11位という好成績を収めた。
さらにシャシーナンバー「0933GT」はアルゼンチンとコロンビア、ベネズエラの3カ国で開催された耐久レースにも参戦し、カラカスからボゴタへのラリーで記録された最後のレースでは、トーザが妻フランカと運転を分担したことも有名なエピソードとなった。
1961年初頭、リノ・ファイエンはトーザからこのマシンを再び引き取り、ベネズエラからフランスに持ち帰ろうとした。おそらくヨーロッパのプライベーターに売却するつもりだったのだろう。
しかし、まだまだ有望だったはずの「0933GT」の競争力と将来は、ファイエンとフランスの税務当局との間の係争によって突然の中断を余儀なくされてしまった。フランス税務当局は、パリのオルリー空港の駐車場でベネズエラのナンバーをつけたまま、この250GT TdFを押収してしまったのだ。
欧米の超有名フェラリスタたちに愛されたヒストリーと、ほぼ無事故のコンディション
1966年10月の税関オークションに出品され、クリスチャン・デペヌーが購入するまで、このフェラーリ250GT TdFは5年もの間、フランスの税制当局によって保管されていた。
いっぽう、世界的に著名なフェラーリ・コレクターであるピエール・バルディノンは、デペヌーがオークションで入手したと知るや否や、すぐにシャシーナンバー「0933GT」を彼から買い取った。そして、フランスのオーブッソンにある彼のプライベートサーキットつきミュージアム「マ・デュ・クロ」のテイストに合うよう、「ロッソ・コルサ」に仕上げ直した。
そののち、1975年から1977年にかけては「モエ・エ・シャンドン」で有名なフレデリック・シャンドン・ド・ブライユ伯爵が一時的に「0933GT」を所有したものの、再びバルディノンが買い戻し、さらに6年間にわたって彼の素晴らしいコレクションに所蔵されることになった。
そして1983年から40余年を経た現在に至るまで、ル・マンに3度参戦しているドミニク・バルディーニをはじめ、アンドレ・ビンダや著名な「ティフォーゾ(フェラーリファン)」であるミシェル・セドゥーなどが歴代のオーナーとなった。
その後、1997年から2001年にかけて、「0933GT」はオリジナルのオロ・キアーロで化粧直しされ、英国を拠点とするスペシャリスト「テリー・ホイル・レーシング・エンジニアーズ」社によって機械的なレストアが施された。さらに2004年には、オリジナルのロッソ・ボルドーのレザー張りを取り外し、コニャック色のレザーハイドでインテリアを張り直した。
ただ、これはフェラーリのコンペティションカーにはよくあることだが、このTdFはベネズエラでマルコトゥッリがレースで走らせていた時期に、オリジナルの3.0Lエンジンブロックの寿命が尽きてしまった。
重要なコンポーネントはすべてオリジナル
現在、このマシンに搭載されているエンジンブロックは、リノ・ファイエンのディーラースタッフが正規の手続きを経てカラカスで換装したものと思われる、通常の刻印がない正規品である。この交換用ブロックは、正確に「0933GT」と刻印されたオリジナルのタイミングケースに取り付けられたままである。
さらにフェラーリの歴史家で、自身も別の250GT TdFを所有していたジェス・プーレは、著書『Ferrari 250GT Competition Cars』(1987年刊)の中で、「0933GTは1960年頃に工場によってアップグレードされたエンジンコンポーネントが装着された」と記している。
また、フェラーリの第一人者であるキース・ブルーメルが提出した査定書によれば、「0933GT」のオリジナルの合金製ボディワーク、マッシーニの報告書に引用された内部番号を持つオリジナルのギアボックスとリアアクスルユニットが保存されていることが確認されており、これらの重要なコンポーネントはすべてオリジナルであると考えられている。
そして2006年に、今回のオークション委託者でもある現オーナーのコレクションに加わって以来、このクルマは「GTOエンジニアリング」を含む一流のスペシャリストから供給された部品を使用し、プライベートメカニックによって忠実にメンテナンスされてきたという。そして「カリフォルニア・ミッレ」や「コロラド・グランド」といった一流のツアー型ラリーイベントや、フェラーリ・クラブのワンメイクイベントの常連として、「0933GT」は日常的なドライブとメンテナンスを享受してきたとのことである。
期待に応えるオークション結果
今回18年ぶりに出品された「0933GT」には、「アウトモービリ・クラブ・ディターリア(ACI)」の承認証、マッシーニ氏とキース・ブルーメル氏の車歴レポート、レストアの請求書、歴史的な画像や通信、書籍、「ロッソ・ボルドー」のレザーが張られたオリジナルのツールキットなどが添付されている。 RMサザビーズ北米本社では、
「ツール・ド・フランスは、まぎれもなく最も魅力的な250GTのひとつであり、フェラーリのレースの系譜の中で重要な位置を占めている」
というアピール文を添えつつ、350万ドル~450万ドル(邦貨換算約5億4600万円~7億200万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定。
そして2025年1月25日に迎えた競売ではビッドが充分に伸びたようで、終わってみればエスティメートの想定内に収まる377万2500ドル、現在のレートで日本円に換算すると約5億7100万円で落札されることになったのである。
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