瀬戸大橋の「片隅」で役目を終えたローカル私鉄
岡山県南部の児島半島を拠点に路線バスを展開する「下津井電鉄」。その社名通り倉敷市内で鉄道路線を運営していましたが、バブル時代の1990年末で運行を終えました。その末期、社運を賭けて大型投資に打って出た跡が、熱狂の時代を象徴するあだ花のように残っています。
近くに瀬戸大橋が開通した1988年、下津井電鉄は押し寄せる観光客に立ち寄ってもらおうとオープンデッキを備えた3両編成の観光列車、2000形「メリーベル号」を新造しました。しかし、この起死回生策は「ある理由」で当てが外れ、廃線の流れを決定づけました。
倉敷市は廃線跡を整備し、歩行者と自転車が通れる「風の道」(6.3km)になっています。筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は廃線跡を歩き、メリーベル号といった当時の車両が保存された下津井駅跡へ向かいました。
下津井電鉄の線路幅は762mmと、新幹線などの標準軌(1435mm)の約半分でした。下津井軽便鉄道の社名で1913年に茶屋町―味野(後の児島)間14.5kmが先行開業。翌14年の延伸で21.0kmに及ぶ茶屋町―下津井の全線が開業しました。
当時は本四連絡橋がなかったため、下津井港を発着する船舶で四国と行き来する旅行者を運ぶのが大きな役割でした。香川県の金刀比羅宮への参拝客も利用したそうです。
しかし、需要はそれだけに留まりませんでした。岡山県教育委員会が2014年に発行した冊子「おかやまの鉄道遺産をたどる」は「当初の目的であった四国連絡よりも、児島の繊維産業の発達や鷲羽山(わしゅうざん)観光客の増加などにより輸送量が増大しました」と解説しています。児島は国産ジーンズ発祥の地として知られており、学生服メーカーの日本被服の本社には「児島学生服資料館」も併設しています。
第2次世界大戦後の1949年には電化し、社名を「下津井電鉄」に変更。ピークの昭和30年代には年間利用者が300万人近くに上りました。
ところが、その後の道路網の発達とマイカーの普及が逆風となり、1972年に路線の大部分に当たる茶屋町~児島間が廃止に。児島~下津井間は残ったものの、利用者の低迷に歯止めがかからず全廃されました。
レンタサイクルはあるけど「徒歩!」
筆者は土曜日の15時40分、高架駅になっているJR本四備讃線(瀬戸大橋線)の児島に到着しました。1階の改札口を抜けると、前にある児島駅観光案内所の窓口に「レンタサイクル」の張り紙がありました。普通自転車ならば1日300円で借りられ、ペダルをこいで海風を浴びながら「風の道」を駆けるのは心地よさそうです。
しかし、案内所の営業時間は16時半までで、下津井まで50分で往復して返却するのは時間的に厳しいため断念しました。
係員の方が「近くの倉敷市児島産業振興センターのレンタサイクルは17時まで借りられますよ」と教えてくれましたが、スマートフォンの地図アプリで下津井電鉄児島駅跡の場所を探すのに気を取られて見落としました。筆者の失策で「徒歩」が確定しました。
児島駅跡から続く真砂土が敷かれた道は歩きやすく、途中には架線柱や駅のプラットホーム跡が残っています。柵には枕木を活用しており、それらを眺めるだけで“鉄分”補給ができました。
ホームに隣の駅までの距離を記した駅名標があるなど案内もしっかりしており、沿道にはパンジーの花などが咲いています。道中で十数人の散歩をしている人とすれ違い、遊歩道として地域に溶け込んでいることを実感しました。
旧児島駅の2kmあまり先からは上り坂になります。本四備讃線の高架橋をくぐると、瀬戸内海が眼下に広がる琴海駅跡に着きました。ここは児島競艇場の最寄り駅でした。
琴海から雑木林の中を0.9km進むと、鷲羽山駅跡に。旧ホームからは傾き始めた太陽が照らす瀬戸大橋と、瀬戸内海の島々を一望できました。駅名標には次の東下津井駅跡まで0.4kmと記しており、「あと少しだ」と奮起して再び歩き出しました。
なぜ観光列車は失敗したのか
ところが、東下津井駅跡で駅名標を眺めて絶句しました。終点の下津井駅跡まで2.1kmあり、「風の道」の“駅間距離”で最長なのです。
脳裏をかすめたのが、両駅間にある山あいの雄大なカーブを走る、「湘南顔」の2枚窓が特徴のモハ1001の写真でした。この車両は1983年、車体へ自由に落書きができる「赤いクレパス号」となり、当時の筆者はぶっ飛んだ企画に驚嘆しました。今思うと利用者が低迷し、話題を集めるための窮余の策だったのかもしれません。
児島駅跡から歩いて1時間で着いた旧下津井駅には、実物のモハ1001が止まっていました。「下津井みなと電車保存会」の復元作業により、かつて落書きだらけだった外観は白と赤の美しいツートンカラーがよみがえっていました。
そこには、瀬戸大橋開通にあやかろうと投入したものの、期待外れに終わった赤色のメリーベル号も置かれていました。オープンデッキの座席は瀬戸大橋側を向いて腰かけられるようにしたメリーベル号が運行を始めたにもかかわらず、下津井電鉄の1988年度の輸送人員は約29万8000人と、ピークの10分の1にとどまりました。
地元関係者は失敗の理由をこう解説します。「下津井電鉄は瀬戸大橋の観光ブームにあやかろうと観光列車をわざわざ新造したが、旅行者の多くは瀬戸大橋を渡って四国を観光することが目当てだったためほとんど恩恵を受けなかった」
存亡の機に追い込まれた下津井電鉄の巻き返しの切り札の役割を期待されたものの、当てが外れてしまったメリーベル号。2年あまりの短命に終わったその存在は、狂乱のバブル時代に踊らされた日本人と軌を一にしていたと言えそうです。
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