日産 シーマ のみんなの質問

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日産は、どこで販売戦略を誤ったのでしょうか?シーマがバカ売れしたときでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

そりゃ〜バブルの頃に故障ばっかりする車しか作れなかったからですよ。

その他の回答 (7件)

  • -ホンダ爺さんのみすぼらしい回答
    私の回答の具体例を挙げているに過ぎないと言う事も理解できていない。
    爺さんの回答は 会社経営の難しさを書いた私の回答を補強しているだけ。
    ホンダは確かに立派に成長した、簡単な事だ 得意分野に特化した戦略
    私が書いた通りである。
    そんなことは中小の戦略、化ければ大企業にのし上がる
    ホンダのお粗末さはそれ以降 大きな企業になってから
    とうとう 国交省から社長を解任される事態までやらかした。今のホンダは
    正に迷走中。

    業界の二位とは難しい。
    トヨタは圧倒的な量を持つ会社だから 全ての要求に対処しなければならないと
    言う問題が有る。だから同じ車でさえ、多少の味付けを変え 複数の車を出さなければならないと言うコスト的な問題も有るが それをしなければ数は縮小してしまう。業界4位や5位と言うものは 全ての車を揃える必要さえない。
    得意分野に特化すればよいし、技術を売りにしても良い ドイツのポルシェは
    日本で言えばスバルより小さい会社・・・スポーツカーしか作らない。
    メジャーと同じ車を作れば存在価値がそもそも無くなる。
    難しいのは業界二位や三位・・・・百貨店の様に(トヨタの様に)振る舞えば
    金が掛かってしょうがない、絞り込めば台数が捌けない。
    車に限らず、どんな業界であっても同じような事は常に言える。

  • 純粋に販売戦略の誤りというのなら、1970年~1975年頃じゃないかなぁ。

    1970年のトヨタとのラインナップの差を考えるとわかりやすいです。

    トヨタは、パブリカ、カローラ、コロナ、マークⅡ、クラウン、センチュリー
    日産は、サニー、ブルーバード、スカイライン、ローレル、セドリック(グロリア)、プレジデント、フェアレディZ

    日産の方が1車種多く、セドリックとグロリアの兄弟車を持っていたので、見かけは有利に見えました。
    ただ、この年はぎりぎりトヨタ2000GTも販売されていたはずで、フェアレディZの影響はなかったといっていいかも。

    トヨタは、コロナ、マークⅡ、クラウンにHTを用意していて、特にクラウンHTは個人向けの需要の掘り起こしにも成功していたようです。
    (HT:ハードトップ。Bピラーの無いクーペ。この当時は2ドアでした)
    日産はブルーバードがクーペ、スカイラインとローレル、セドリックにもHTがありましたけど、トヨタよりは少し遅れての登場だったはず。

    私は1970年に3つの事件があったと考えます。

    最初は、東京モーターショーで発表された、トヨタと日産の新型車。
    トヨタはセリカとカリーナで、カローラとコロナの間を埋める車でした。
    日産はチェリー。日産では最小の1000ccのFFでした。
    ただ、悪いことに、日産は少し前から車体をぼやかしたようなテレビCMをガンガン流していたのですけど、実際の販売は12月頃だったと記憶しています。

    トヨタ・カリーナは独特な縦のテールランプが特徴で、賛否は別れましたが、任期は出ていました。
    ところが、デビューした日産チェリーも、どちらかと言えば縦型。
    デザイン的にはパッとしなかったです。(主観です)

    日産としては初めてのFF車ですから、それなりに力を入れていたはずなのですけど、不発に終わったような感じでした。
    仮に売れたとしても、一番安い車ですからね。
    今考えると、どうしてそこを攻めたのか、ちょっと疑問です。


    次の事件は、セリカ/カリーナは普通に5速ミッションが選択できたこと。
    この当時国産車で5速ミッションが装備されていたのは、トヨタ2000GTとスカイラインGT-R、フェアレディZ(Z-L、Z432)位。

    トヨタのお家芸で、ちょうど同じ年にモデルチェンジしたカローラも、追加になった1400cc車にその5速ミッションを流用し、採用車種をどんどん拡大していきました。
    日産のサニーは2年位遅れてやっと5速ミッションが登場したものの、採用車種の差は大きく広がっていました。

    1970年と言えば、東名高速、名神高速は全線開通していたはずで、トヨタは高速道路を強く意識していたのでしょうけど、日産は「大きなエンジンを載せた、大きな車で・・・」なんて思っていたのかも。


    最後の事件は、他の2つに比べると小さいのかもしれませんけど、日産の新型車の投入が雑になったこと。
    まず、最初は1973年に投入されたバイオレット。
    この車は、形式からわかる通りブルーバードの派生車種。
    実は、4代目が610系で「ブルーバードU」(Uはアーバンの頭文字で、都会的とか)。ところが、あまりぱっとせずに、カリーナの対抗馬を求められて、次期モデルとして開発していた710を「バイオレット」として投入。

    当時カリーナのリアサスは4リンク+ラテラルロッドという固定車軸で安価に造れましたけど、バイオレットは510以来の伝統のセミトレでコストはかかっていたでしょうね。
    610の2年後の登場ですから、車としての煮ツメも甘かったような印象です。

    610もスカイラインに倣ってノーズを伸ばした2000GTシリーズを投入。
    この後の810も同じ手法の「G6シリーズ」がありました。
    無駄にボディのコストが上がっていたはず。

    バイオレットもモデルチェンジするのですけど、その時にHTがハッチバックに変わり、オースターという兄弟車も登場。
    デザイン、サスの構造などは、トヨタ・カリーナによく似ていました。


    その後、バイオレット、オースター、スタンザという3兄弟になり、ブルーバードG6、スカイラインGT、ローレルなども実質3兄弟という売り方が長く続きました。


    兄弟車と言えばトヨタというイメージですけど、考えてみればセドリックとグロリアという兄弟車を売り始めたのは日産。
    個性の差の与え方はトヨタの方がうまかったという事でしょうね。

    安直に兄弟車を作り、客の事をあまり考えずに、数が売れればいいという方向に向かったことなんでしょう。
    そうしなければ経営が厳しかったということもあるんでしょうけどね。


    今でもそういう体質は変わっていないように思いますけど、基本的な技術の部分でルノーの協力を得られて、しっかりと車を作れるようになったという気はしますけど、モデルチェンジが非常に少ないというのは、どうなのかなぁ?
    日本じゃ車が売れないから見限ったという事なのか?

    「日産」の「日」は「日本」の「日」じゃないのかなぁ。


    あくまでも個人の意見ですけど・・・・

  • やはり89年のインフィニティQ45ではないでしょうか?

    インフィニティ以降、セフィーロ、プリメーラ、プレセア、インフィニティJ30など意味の分からん車を乱発しますので。

    北米や欧州を意識せずにスカイラインとセドリックをまじめに作り続けていれば、今とは違った結果になっていたのではないかと思われます。

  • 日産は、どこで販売戦略を誤ったのでしょうか?



    日産 インフィニティQ45を販売してから
    https://www.goo-net.com/catalog/NISSAN/INFINITI_Q45/1500435/

  • 販売戦略を誤ったの?

    どういうことか聞きたいです。

    どこで?はあなたの質問なので、それ以外でわかっていることを
    教えていただければと思います。

  • 日本で人気ない車メーカーのオッサンを社長?CEO?かなんかにした時から。

  • タクシー

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