日産 ブルーバード のみんなの質問

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NISMO以前の日産のレース活動について。

NISMO設立以前の日産のレース用オプションなどに「DATSUN」ロゴが使われているのをよく目にしますが、当時のDATSUNってブランドはどういうポジションだったのでしょうか?
なぜ「NISSAN」ではなく「DATSUN」がレースシーンで多用されていたのでしょうか?
NISMO設立以前の日産のレース活動については、大森や追浜にあった部門がどうのこうのくらいしか資料が見つからず、部署の動向はまだしもイマイチ全容が見えてこないので、ご存じの方いらっしゃいませんか?
もしくは、わかりやすい資料や書籍などあれば教えてもらいたいです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

長い歴史がありなから分かりやすいテキストにまとまっていないのは事実ですね。

まず。>>「DATSUN」ロゴが使われているのをよく目にしますが
これは見ている資料が偏っていると思います。少なくともこの40数年、DATSUN名でモータースポーツ活動はしていません。

DATSUNは日産自動車の前身である快進社の脱兎(だっと)号を源流とする名称で、製品であるクルマの名前でした。日産自動車が作るダットサン〇〇号という感じです。
ダイムラーベンツ社が作るメルセデスベンツと同じノリです。
特にかつての看板モデルであるブルーバードは80年代初頭まで日産ダットサンブルーバードでした。

また50年代から本格化した海外進出でもNISSANではなくDATSUNが使われましたが、これも会社名はあくまでもNISSANでありDATSUNはクルマのモデル名です。
DATSUN510とかDATSUNトラックという使い方。ZもDATSUN Zです。

ただし今ほど「会社名」を重視しない時代だったためDATSUNの認知度の方が高かったのは事実。そのため特にアメリカ、オーストラリアではDATSUN名でレースに出ることが主でした。

なのでこの時代の資料を見ているとDATSUNが目に付くと思います。ですがそれはブランド名でもレース活動の呼称でもなく「DATSUN(車)でレースをやっている」という感覚です。

で。1985年ごろに日産自動車は海外でのDATSUNの使用を廃止する決定をします。
理由は会社名NISSANの認知度を上げブランドとして伸ばしたいためです。この時代の趨勢として「個々の製品名よりも会社のブランド力を高める」という潮流が背景です。他にもホンダがアキュラを、トヨタがレクサスを、日産もインフィニティを立ち上げる時期でブランドロゴも刷新しブランドマークを強く押し出すデザインが始まる時期でもあります。

ただDATSUNが深く定着していたアメリカではなかなかDATSUNが消えることはなく、今でも古き良きロマンスを感じさせるDATSUN呼びはあちこちに残っています。ですが80年代後半以降、日産がワークスとして参加したり公式にサポートした活動ではNISSANに統一されています。

NISMOの背景もそれなりに複雑で、ざっくり言うと日産自動車系の追浜ワークスとプリンス自動車系の大森ワークスを統合して1984年に設立しています。日産とプリンスの合併が1966年ですから合併後も20年近く別々に活動していたわけです。が上記のブランド力強化の流れに従って「日産」として統合されました。

日産のモータースポーツの特徴は海外ラリー/レースへの直接参戦と現地チームへのサポートの歴史です。当然現地ではDATSUNで売っているクルマですから「今から見ると」DATSUNがモータースポーツブランドに見えてしまうかも知れません。ですがそれは違うということです。

長文失礼。

質問者からのお礼コメント

2023.1.21 09:52

ありがとうございます

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