三菱 デリカD:5 のみんなの質問

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20歳です。車の三菱は乗用車は三菱自動車でトラックとバスは三菱ふそうと別な会社ですよね?

三菱のバスに乗ったら出口ドアの部分に「三菱自動車工業株式会社」のプレートが付いていましたがデリカD5と同じ三菱自動車がバスを作っているのですか?

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回答一覧 (3件)

  • 三菱自動車には,以前は,①乗用車を生産する名古屋自動車製作所(愛知),と,②軽自動車と小型乗用車を生産する水島自動車製作所(岡山)と,③トラックバスを生産する川崎自動車製作所(神奈川)が存在していました.(②では小型バスも生産していました)
    この内,トラックとバスの製造,販売に関して分社して三菱ふそうという会社ができました.
    質問者さんが見たバスはこの分社前の三菱自動車時代のバスだったものと思われます

  • 三菱系のバスに関しては、もうちょっと話が複雑で。

    ※三菱系でバスを作っていたのは三菱ふそうではなく、MBM(三菱自動車バス製造)という会社です。

    ※トラックに比べ生産台数が少なく、また製造もトラックの製造ラインでは作れないバスは、グループ内の別会社に作らせるのはよくあることで、例えばトラックで世界最大手の一角・いすゞ自動車も、バスは長らくIKコーチ(いすゞと川崎重工の合弁会社)や富士重工(現・スバル)に委託されていました。(故にいすゞの路線バスでは、『富士重工』というメーカープレートが付いているものがありました。)

    ※MBMの発祥は、呉羽紡績(現・東洋紡)を母体とした呉羽航空機という飛行機屋です。
    この会社、第二次大戦には軍需産業で儲けていましたが、戦後航空機の製造がGHQにより禁止されると、航空機の機体のモノコック構造の製造技術を生かしてバスボディの製造に乗り出し、母体の紡績屋グループから分離・独立して呉羽自動車工業となりました。
    その後呉羽紡績が資本を引き揚げ、代わりに三菱自動車が出資して、三菱自動車のバス部門となりました。
    要するにMBMは、三菱重工とも三菱自動車とも、何の関係もないバス屋だったのが、資本のやりとりで『たまたま』三菱自動車の傘下となっただけの別会社です。

    ※故に三菱自動車のバス製造は、あくまでも『傘下企業への委託』のスタンスです。
    三菱自動車グループのバスは、三菱ふそうでエンジンやシャシ、サスなどの中身を作り、ボディの架装はMBMの富山工場か三菱自動車の大江工場に分散して委託されるのが、長らく三菱系バスの製造パターンとなっていました。
    それでバスによっては、製造メーカーとしてMBMでなく『三菱自動車』のプレートが付いたものが存在します。

    ・・・その後三菱自動車から三菱ふそうが完全に独立し、2010年までに大江工場のバス製造を全て引き上げて富山工場に集約し、社名もMBMからMFBM(三菱ふそうバス製造)に改名されて現代に至ります。

  • 2003年に三菱自動車工業から三菱ふそうトラック・バス株式会社が分離独立しました。分離独立前の古めのバスだったのでは。

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