いすゞ アスカ のみんなの質問

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私の祖父はいすゞの古い車を愛用してます。117クーペという第一世代のフラグシップカーだったようで、当時は日本車離れした美しいフォルムを持つのが特色ですが、前後のガラス、窓もガラス部分が他車に比較して多く

を占めるので、見晴らしは抜群です。また祖父はコックピットのインパネを木製パネルをカスタムメイドしてるので、トヨタ2000GTと見間違うほどデザインが美しいのです。
いすゞは第一世代に117クーペの他に、フローリアン、ベレットを作ってました。少ないラインナップながらフルモデルチェンジをしなくて基本的にマイナーチェンジのみと欧州スタイルを貫いてきたようです。
第二世代としていすゞは全ての車種を一新しました。117クーペはピアッツァ、フローリアンはアスカ、ベレットはジェミニ、また車名は分かりませんが当時のアメ車そっくりの車をラインナップに加わりましたが、フルモデルチェンジやOEM生産と日本式スタイルを取り入れたのが仇となっていすゞは乗用車部門の売り上げが衰退して、ついには乗用車から撤退に追われたようです。
元々少ないラインナップだからこそフルモデルチェンジのない欧州スタイルをいすゞの売りだったのに、トヨタや日産のように日本式のスタンスに変更したのですか?
乗用車では元々車種の少ないラインナップ、後発ではトヨタ、日産には追いつけないのは目に見えてた筈なのに。

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ベストアンサーに選ばれた回答

写真を拝見する限り、素晴らしく美しい保存維持をしていますね。
117クーペはたまに見ますが、ジュウジアーロのデザインだけ在って、イタリアンの雰囲気がありますね。
私は117が出た当時は、セリカ2000LB(RA25)の49年式に乗っていました。
117は居なかったのですが、友人は日野コンテッサやベレット1600GTで、一緒に良く走りましたよ。
とても懐かしく、良い時代でした。
いすゞの乗用車はどれも良く出来ていて、シンプル故耐久性も高かったと思います。
いすゞが乗用車撤退となったきっかけは、ビークロスの失敗が元でトラック部門にシフトの重点を置いたと、元いすゞ社員から聞きました。
当時は、まだ日本ではSUVは左程人気が無く、更に近未来的なデザインで、車体の大きさや排気量に合わない3ドア設計で、開発や生産に資金が掛かり過ぎた割りには、売れずに生産すればする程、赤字になり、同じくビックホーンの売れ行きも伸びず、経営危機になったようです。
プラス輸出も余り良く無く、US$決済で円高$安が追い打ちを掛けたようです。
ビークロスは、今でしたらそこそこ売れると思いますが、時代の先を行ってしまったのでしょう。
昭和の時代は、個性的で魅力的な車を、各社がそれぞれ出していましたが、今はどれも個性が見られず、魅力的で欲しい!と思う車が無く、どれも同じに見えてしまいます。

車が売れない時代ですから、万人受けする車を造るのは、仕方が無い事ですが、もっと個性の在る独創的な車が出て欲しいものです。
メーカーが冒険心(チャレンジ精神)を持って作って貰いたいものです。

質問者からのお礼コメント

2020.4.12 18:11

沢山の回答いただきありがとうございました。勉強になりました。

その他の回答 (8件)

  • いすゞは第一世代の欧州スタイルが立ち行かなくなった時が引き際だったのですよ。でも日本式の第二世代に手を出して失敗したのですね。
    手始めにベレットを廃止してジェミニを発売したら割と売れた。その勢いで117クーペはピアッツァーに、フローリアンはアスカに変更したら日本式スタイルに合わなかったことにようやく気付いたのです。
    いすゞの競合してる日野自動車も乗用車を生産してました。コンテッサというレトロな欧州スタイルで、大型バスに採用されてるリアエンジンリアドライブ方式で、いかにも日野自動車らしいものでした。でも日野自動車は乗用車の売れ行きが悪かったのですぐに撤退しました。

  • 欧州車も日本車の短いサイクルでフルモデルチェンジするビジネスモデルを取り入れて5〜6年でモデルチェンジをする様に変えました。
    いすゞは開発体力と販売力が追い付かなかったので脱落しました。
    しかし、トラックでは成功したのでトラックに集中しただけです。
    ちゃんとトラックメーカーとしては生き残っています。

  • 売れなかったから、売れる車を作ろうとして失敗した。

  • 心に残る雑誌媒体による自動車宣伝には、117クーペが登録されて廃車になった割合を示して、いかに117が愛されているかを示したものがありました。
    また、デザインにも無頓着な人たちに、ジウジアーロの名前を教え込んだのも117の大きな功績でしたね。
    主さんの画像も、その完全に時代を超越した内装として、輝かしいもので、よき時代の栄光を物語って居ますよね。
    わたしは、スーパーカーの頂点がランボルギーニ・ミウラだとしたら、117クーペは、誰もが羨むスペシャリティカーのカテゴリーの頂点の一台に容れますよ。
    あなたも御祖父さんの気持ち、心根を大事にして挙げてくださいね。

  • 117クーペ、懐かしいですね。

    私も当時、何度か運転しましたよ。
    周りからジロジロ見られたものです。

    デザインはジウジ・アーロですね。
    しかもハンドメイドで車体後部の曲線を出したはずです。

    友人はこの車を見て「水槽みたい」と言っていましたが(笑)

    ベレットGTも懐かしい!

    今のメーカーは、売れる車しか造りません。
    そう考えると、いすゞって素晴らしいメーカーだったと思います。

    回答とは関係無い事を書き込んで、すいません(笑)

  • いすゞは大型トラックとかバスが主流で、乗用車部門では大きな拡大をせずに個性的なスタンスにこだわってました。117クーペはカロッツェリア・ギアデザインで流麗なデザインでガラス張りの部位を多用して日本車離れした風貌はトヨタ2000GTと引けを取らない魅力は祖父さんの気持ちがわかります。
    質問はいすゞは何故、フルモデルチェンジのない欧州スタイルから日本式の生産の方針にした理由ですね。
    いすゞは欧州スタイルが故にフルモデルチェンジなしの細く長くでは、一部のマニアに限られて市場の拡大ができなくなりました。ベレットはツインカムを搭載した優れたスポーツカーですが需要が少なかったので廃盤して後継車種にジェミニを発売しました。初代ジェミニは欧州の大衆車を彷彿させるデザインが予想以上に売れてモデルチェンジしました。これを機にフローリアンはアスカに、117クーペはピアッツァーに変更しました。またアメ車風の車はステーツマンデビルだったと思います。結局は開発資金が乏しくてラインナップが増やせず、開発資金が捻出できなくなってOEM生産になりいすゞらしさもなくて更に売れなくなった負の連鎖が撤退の理由です。

  • いすゞは元々が大型車(トラック・バス)の専門メーカーで、乗用車の販売力は極めて脆弱でした。せっかく新車を開発しても販売台数が伸びず、開発費を回収できないためにモデルレンジがどんどん長くなっていき、車種を増やすこともできないという悪循環に陥っていたに過ぎません。欧州メーカーのやり方を積極的に見倣って車種を熟成させようとしていたわけでは無く、結果的にそうせざるを得なかっただけでしょう。

    初代ジェミニはいすゞを配下に収めたGMのグローバルカー構想に上手く乗っかることができた成果で、後継車種のFFジェミニはバブル景気に乗じて販売台数を伸ばしたものの、モデルチェンジ後にバブルが弾けたのが運の尽きで、親玉のGMの方針転換もあっていすゞは乗用車の自社開発から撤退、SUV以外の乗用車はOEM供給を受けるようになり、最終的にはSUVも含めて国内での乗用車販売から完全撤退したという流れです。いすゞの車作りが日本車メーカー的なスタンスに変わったというわけではなく、国内三番手メーカーを目指そうという野心からGMの資本を受け入れてみたものの、GMのグローバル戦略と景気の変化に振り回された挙げ句、結局は元の大型車メーカーに戻っただけかと思います。

  • 詳しいねぇ。まるで本人みたい。

    で、質問はなんですか?

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