ホンダ コンチェルト のみんなの質問

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ホンダコンチェルトはシビックベースの車ですが、売れなかったので1992年10月30日発表、翌月4日発売の「ドマーニ」に引き継がれたのですか?

また画像の車はホンダ車らしくない設計では?

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ベストアンサーに選ばれた回答

ホンダは日英貿易摩擦解消のため、当時のサッチャー政権の要請に応じて1979年12月、当時のブリティッシュ・レイランドと資本、技術提携を結びました。

その具体的成果として、1981年、ブリティッシュ・レイランドのトライアンフ部門の小型セダン、ドロマイトの後継車種として、ホンダ・バラードをイギリスでライセンス生産したトライアンフ・アクレイムを発売。

ホンダ・コンチェルトは、この流れをくむ小型車です。ホンダはブリティッシュ・レイランドがオースチン・ローバーに社名変更されてからも提携を続けましたが、新車開発能力を失ったオースチン・ローバーのためにホンダが新型車を開発する羽目になり、これらの車種は日本国内で不人気を極めました。

日本国内でRVブームが起きると、この分野の品ぞろえの乏しいホンダは窮地に陥り、一時は三菱自動車との合併も噂されるほど経営は悪化しました。

開発資金の乏しいホンダは、アコードの生産ラインでも組み立てできるオデッセイを開発し、1994年に発売して何とか再建に成功しました。

一方のローバーは、1994年ドイツのBMWが買収し、ホンダの足を引っ張っていた同社との腐れ縁は切れました。しかし買収した側のBMWが、毎年日本円にして1,000億円を超える赤字を出し続け、BMW自体が倒産の危機に瀕したため、2000年に形式的に10ポンドで売却。ほどなくしてローバーは倒産しました。

質問者からのお礼コメント

2020.12.7 16:29

そうなのですか。

その他の回答 (2件)

  • コンチェルトは1980年代にイギリスのBL車と技術提携し共同開発し日英両国で販売されました。
    その後、シビックのフルモデルチェンジを機に、英国はコンチェルト、日本はドマーニへと変わりました。
    その後日本ではいすゞジェミニとしても供給していたのが、ドマーニとなります。

  • 当時はイギリスに実在していたローバー社で同時に生産販売するためにシビックベースで開発された。Concerto=協奏曲、ホンダとローバーの協業、というニュアンス。

    ドマーニ(1代目)もローバーと共同設計だが。なおドマーニは「いすゞジェミニ」のバッジをつけて販売されていた。

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