ホンダ シビック のみんなの質問

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なぜトヨタは、世界有数の自動車メーカーになれたのですか?ホンダであればアメリカでのシビックが世界進出のキィ・カーと思いますが、トヨタの場合には一番のワールドカーとなったキィ・カーはなんだったのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

トヨタが世界で評価されたのはランドクルーザーの輸出です。安くて壊れない車として評価を定着、これぞキーカーなのです。そ評価を元にコロナなどを輸出開始しました。これらも日本とは異なる仕様で耐久性をアップさせてさらなる評価と認知をる努力を怠らりませんでした。更に小型なカローラを追加、販売台数を増やしていきました。
トヨタの強みはユーザー第一主義、特徴的な技術などは使わず、国ごとにユーザーが求める車を適正な価格と優れた商品制で発売し多くのユーザーを獲得していったのです。
しかし一方、ユーザー第一主義とは方向性の違うトヨタ200GT、セリカ、エスティマ、RAV4など、そしてハイブリッドの先駆けプリウスなど技術や先見性のある車を出すことにより、世界的に認められるメーカーとして評価を高めて、今や世界一の販売台数を誇り、日本を支える企業とまでなっているのです。

質問者からのお礼コメント

2023.11.18 16:29

ランドクルーザー、カローラ、カムリと思います。カムリを落とされてますが、ランクルの方がカムリより価値が高いと判断しました。他の方々も有難うございました。没個性と言われますが、トヨタの愛好者も多い事を知りました。

その他の回答 (8件)

  • カローラでしょう。
    正確にはカローラの名が付く車。
    世界中で売れてるって言っていいぐらいの販売台数を誇る世界のベストセラーカー。
    北米などはRAV4とかカムリぐらいのサイズが今は売れ筋でしょうけど、アジア圏や中国などではトヨタの中でも一番売れているのでは。

  • キーカーはそれぞれの国によって違うのでは。

    日本車の輸出は当初は日産の方が好調だったけど転機となったのは1990年頃。ソビエト連邦が崩壊し諸国が独立民主化。そして湾岸戦争がありました。

    世界にはアメリカと仲が悪い国がたくさんあります。ロシア始め旧ソ連の国々、中東諸国、アジア、アフリカの一部。中国、北朝鮮、キューバ・・・あげたらキリがないほど。

    紛争が起きるとアメリカが経済制裁を加え貿易を制限します。「あなたの国の産物は買わない」と。すると制裁を加えられた方もだまってなくて報復措置を行うのです。「アメリカの自動車は買わない」と。

    そこにトヨタは上手く入ったのです。日本の自動車なら輸入できるということで売れました。その時、日産は経営不振になっていたしホンダは車種が多くない。

    トヨタのピックアップトラックは紛争地域でバンバン売れました。今イスラエルとパレスチナの戦争が悲惨なことになってますが、イスラム組織が乗ってる車はほとんどトヨタです。

  • 日本経済新聞社刊「私の履歴書・経済人15(1980年代に日経新聞が出版。2023年現在は絶版ですが、公立図書館に所蔵されている場合があるかも知れません)」に収録されている神谷正太郎の(昭和49年に日経新聞朝刊に連載)項目を読むかぎり、アメリカのフォード・モーター社やゼネラルモーターズGM社の生産体制や商品構成、販売戦略などに関する情報を得る等して海外の好い例を参考にしたり、戦前・戦後を通じて日本政府の外貨を稼ぐ通商政策に便乗したからだと思います。
    それにインターネットが普及した西暦2000年以降はネットの世論操作などと言う、小細工を弄する卑劣な手口で、数だけを売りまくった要素も小さくないのかも知れません。しかもトヨタ自動車の場合は無理に無理を重ねた結果、西暦2006年7月にリコール隠し(=人命を危険にさらす欠陥車放置)事件を起こした事もまた事実の様です。尚このときの品質保証担当の副社長が豊田章男だった様です。統計によると、トヨタの世界販売は2003年の時点では約600万台でしたが、2007年までに843万台、豊田章男の社長就任後は年販1,000万台超えを目ざす……という具合に2000年代以降に無謀な事業計画を組んでいる様に見えるのです。そんな中トヨタはリコール隠しを繰返している様です。
    このため名古屋の田舎企業にして『潰れそうな田舎の鍛冶屋』にすぎないトヨタごときであっても、今のところ販売量だけは国内外の自動車市場で分不相応かつムダに膨張させているだけ(つまり販売車両のリコール率も酷い)だろうと思います。

    具体的には、昭和10年代頃にGM日本法人の副支配人を務めていた神谷正太郎をトヨタは招へいしています。ただ、1930年代の日本と言えば英米列強との関係が冷え込む等して国際的な孤立を深めていった時期であり、独ナチス政権の猿真似をするかの様に?昭和初期の岸信介ら旧・商工省官僚による自動車製造事業法に基づく国策「自動車の国産化」と後の重要産業統制法により国内各地の自動車販売網や新聞社が影響を受けていた様です。
    さらに戦後GHQ占領期における販売網の形成(トヨタ直営と現地独立資本の2系統による販売網の整備)、1955年の『国民車構想(VWタイプⅠ等を参考にしたと言われる「パブリカ」。それに"国民車構想"という意味合いでは前述の様に"ナチスの猿真似"と言えるのでは?)』に便乗した事、さらに1945年9月にA級戦犯容疑者として逮捕されたのにも拘わらず、なぜか極刑に処せられる事も無く、その後に政界へ復帰してしまった、岸信介が首相へと上り詰める1950年代の日本政府は当時の外貨事情を理由に(この他にも旧トヨタ自工中心の自動車業界の意向を汲む形で?)乗用車の輸入を制限する等の保護政策(米欧の大衆車の日本国内進出を阻む、実質的な鎖国政策)を布いた影響も大きい様です。
    しかもトヨタの創業一味は、戦後期に米英仏の自動車メーカーなど外国資本と業務提携を拒否する等の国際社会と協調しない独自路線を執った反面、販売シェアにたいする異常なまでの執着心をもった事が大きく関係しているのだろうと思います。


    さて、キィ・カーですが、
    他自動車メーカーの猿真似だけは得意とする為『盗用多』と皮肉られることが非常に多い、トヨタごときが御手本にしたのは1962‐63年発売の英「ボグゾール・ヴィヴァ」/独「オペル・カデットA」、これに倣った日産自動車「ダットサン・サニー」初代モデルだと言われています。
    これら3車種は大衆向けの乗用車としては非常にすぐれた設計であり、とりわけ日産自動車「ダットサン・サニー」は日本の高度成長期も後押しする形で国内でも消費され、販売面でトヨタの「パブリカ」に圧勝し車種廃止に追い込んだのだろうと思います。
    実際に自動車評論家の星島浩氏は、西暦2000年代に生前の三本和彦氏との共著で出版した自動車及びクルマ業界を批評する書籍(古書店でなら、現在も購入できるかも知れません)で『ダットサン・サニーの方が、トヨタ大衆車なんかよりも、自動車としてのバランスが好かった』と批評している様です。
    このためトヨタらしい大量の広告出稿に因るマスコミ買収や、それにより民衆を煽動するプロパガンダ的な宣伝効果等で「パブリカ」から変名した「カローラ」が数だけはムダに売ったからと言って、必ずしもトヨタの大衆車が日産自動車よりも勝れていると決め付けるべきではないのでは?

  • カローラです。
    トヨタの大衆車は誰が乗っても壊れない丈夫な作りで
    世界を制覇しました。

  • 80点主義が万人に受けたのでしょう。

  • トヨタがアメリカで初期に売れていたのはカローラですね。
    その後カムリが出て爆発的に売れるようになった。

  • 販売のトヨタ

    これにつきます。
    カローラは世界150カ国で販売されており、最近累計販売台数5000万台を超えました。単一車種でのこの数字はすごい数字です。

  • なぜトヨタは、世界有数の自動車メーカーになれたのですか?
    先読みが大きな転機

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